庭瀬の街並みと庭瀬城跡・撫川城跡 GoogleMap
庭瀬城跡
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庭瀬城跡 岡山市庭瀬
室町時代の末ごろ(約400年前)備中松山の三村元親は備前の固めとしてこの地に築城した。
附近の地名から芝揚(こうげ)城とも呼ばれた。一帯は泥沼地でひじょうな難工事であった。その後宇喜多の重臣戸川肥後守達安がはいり(1602)古城を広げ城下町を整えた。
元禄12年(1699)板倉氏の居城となり明治を迎えた。自然石の石垣をめぐらした堀もよく残り、沼城の典型を示している。
寛政5年(1793)板倉勝善は城内に清山神社を建て板倉氏中興の祖重昌、重矩父子を祭り歴代の遺品を収蔵した。(遺品は現在、吉備公民館に収蔵)
(現地案内板より)
高松城水攻めと庭瀬城
天正10(1582)年の羽柴秀吉の備中高松城水攻めの際、毛利方の防衛ラインとされた備中七城の一つ。
時の城主井上有景は毛利氏の撤退命令にも従わず秀吉軍と戦ったとされrている。
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大賀一郎博士と大賀ハス
大賀一郎 岡山市川入(小西)出身(明治16年〜昭和40年)(1883年〜1965年)
植物学者 吉備町名誉町民
岡山中学校 ⇒ 一高 ⇒ 東大植物学科卒業
第八高等学校教授を経て南満州鉄道株式会社教育所に勤め普蘭店から古代蓮の実を採集発芽に成功、理学博士となる。
帰国後、昭和27年(1952)千葉県検見川の泥炭層から約2000年前の古蓮実を発掘その発芽に成功。
この蓮を大賀ハスと命名されました。岡山市後楽園に保存栽培されています。
時あたかも岡山城築城400年に当たり、庭瀬城跡保存会・吉備地区地域活性化推進実行委員会が連携し、この濠堀に大賀ハスを先生のふるさとに開花させることにしました。
淡紅色の花ビラが緑の葉の間にゆらぎ訪れる人々の目を楽しませてくれることを願っております。

先生の言葉   蓮は平和の象徴なり
平成10年2月吉日
吉備地区地域活性化推進実行委員会
庭瀬城址保存会
(現地案内板)
撫川城跡 旧庭瀬港と常夜燈 庭瀬往来
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庭瀬往来 薬屋の看板 不変院