天文民俗学試論(19)


10,1999年の星の伝承−(1)広島県尾道市A
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一

「ネボシとかそういうのも学校じゃなくておじいさんから教えてもらって?」

 そう尋ねると、「そうそう。教えてくれんでも、話するから、子どもながらそれを聞いて習うわけ」という答がかえってきた。6・7歳の頃から大人が話をしているのを聞いているうちに、少しずつ覚えていくのだった。学校のように、ただ聞いていれば順に教えてくれるのではなく、大人どうしの話のなかから、少しずつ覚えていき、そのなかでわからないことを自ら尋ねた。

「それでまあ、14・5歳くらいのときには問いよったな、おやじに。ネボシいうたら、おとうさんどこですかいうて。あれだいうて。ミツボシとか、カジボシとかいうて、問うたら教えてくれて」

 Aさんも30分以上話をしているうちに、星と暮らした時代の記憶を次から次へとたどれるようになった。もしかすれば、さらに星の呼び名を思い出すことができるかもしれないと考え、「ほかに星なんかで名前ついているのはいうてなかったですか」と確認すると、次のように「ツマル」という星について記憶をたどることができた。

「ミツボシとか、カジボシとか、ツマルさんとか何とかああいうことは言いよった」

 ツマルがどのような星か確認する。

「ツマルいうのがどういうたらいいかな。星がずーとこう6つか、7つかかたまっとたな」

 ツマルはプレアデス星団のことである。(注1)

 Aさんは、14・5歳の頃の星空を思い出しながら語りはじめた。

「今、星でもきれいに見えんですわ。私らに言わしたら、あんだけもう、今は空気が汚れてると考える。そりゃきれいなもんじゃった。夜になったら、星がねキラキラキラ。もうすごい天候がよかったらね星がべったり見えてきれいなもんじゃった。今、それがあんた星いうたってうすく見えるだけ。そりゃ私らに言わしたら、空気がすごい汚れとる」

 黒板も教科書もなかった。しかし、ほんものの星と海があった。そして、「そりゃきれいなもんじゃった」(注2)という感動があった…。

 Aさんの話は続く。

「こんだけ空気が汚れてたら、私らの小さいときからこんだけ汚れてたら人間はどうなるんじゃろか。先は暗いね」

 星とともに暮らしてきたことを人びとは忘れてしまい、数十年の間に失ってしまったもののあまりもの大きさ…。「ここの人は学問知らん」とAさんは言っていたが、「学問知っている人」以上に、失われていく環境に危機を感じていた。

 今も星を見つづけるAさん。流れ星が暗いことも気がかりだった…。

「私ら夜の商売するときは流れ星見る。さーとこう飛ぶな。その流れ星でもな、そのころの流れ星とちがって今の流れ星いうたらね、ちょっと暗いね。今でもあるよ、流れ星は」

 海で星ととともに生きる人は、もうAさんの世代が最後だ。

「若い人はね。みな、オカじゃ。もう、今、これ漁業しよるけどな、これおやじ一代、あとする者おらん」

 寂しそうに語るAさん。オカに家を建て、船で住まなくてもよくなった。エンジンつきの船を買って、櫓を漕がんでもよくなった。ところが…。

「2000万かかる。船とエンジンだけでな。ああいうな、いろんな釣り道具つかう。船が2000万かかったらね、釣り道具、魚1匹でも沖行ってとれるようにしようと思うとね、3000万。今、もどらんね。魚がそんだけおらん。魚がすごい安いんじゃ。そして資材はあがりよるんじゃ、どんどん。やっていけんです」

 3000万円借りても返すことができない。海で星ととともに生きてきた何百年、何千年がこの数十年ですっかり変わってしまった。学校には行けるようになったが、「ネボシいうたら、おとうさんどこですか」と尋ねることもなくなった。豊かになるということはどういうことか。発展するということはどういうことなのか。今さら櫓の時代には戻れないが、いや戻ってはいけないが、21世紀、その答をださなければならない。

(注1)ツマルは、スマルが変化した呼び名である。

(注2)昔、星がよく見えたことについて語る人が多い。(天文民俗学試論(10)参照)

(東亜天文学会発行『天界』1999年10月号に掲載されました「天文民俗学試論(19)」のホームページ版です)


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