勿論、公園や近隣、そして商店街の適切な照明は、より多くの人々を買い物や娯楽へ連れ出すとは、言ってもよいだろう。もしそうなら、人が沢山居ることが犯罪を少なくしているのだろう。逆に、まぶしく、どぎつい過度の照明は、通りや、その近辺に派手な場末の装いを与えて、人々に犯罪発生率の当然高い地域と関連付けさせてしまうかもしれない。大都会では、通行人も無いのに、まばゆいほどに照明されている場所がどの位あるか、考えて見よう。
照明が設置された後に犯罪と暴力が増えたという逸話のような報告も(複数)ある。"ビルディングオペレーター(Building Operator、IDAインフォーメーションシート54を参照)"の記事では、全国の通学地域で実際には、暴力を少なくするために、校内の照明を何故消しているかを議論している。これは、エネルギーの使用を押さえて、お金の節約にもなる。夜間照明の増加が犯罪を必然的に少なくした証拠が無いのと同様、夜間の照明が消える事がいつも暴力を少なくするという、はっきりした科学的根拠もない。犯罪と暴力に対する大衆のヒステリーがもたらしたぞんざいな照明計画は、益よりも害の方が大きい。多くは、大衆の感情を刺激し、問題を実際より拡大してしまう。人々に結論だけを先に与えている;効果を見せるために、間違った安全の意識をもたせ、警官の増員とか、学校から脱落した生徒の再出発へのプログラムの様な、他の社会の必要に回せる資金を無駄にしている。
大衆は夜間照明を必要としているだろうか?勿論だ。おびただしい調査が、上手に照明された交通の激しい道路や幹線で、自動車や歩行者の事故の減少を報告している。しかしながら、静かな郊外地域では、多分街灯のような物は必要ないだろう、よくて交通量の多いコーナーの街灯だけである。モールやショッピングセンターの駐車場は、営業時間中は、適切な光量の照明が必要だ。営業終了後は、光量を大幅に下げるか、照明を全部消すことが出来る。屋外の夜間照明の全てのケースに当てはまるように、公衆の安全の必要性と、娯楽、同時に美しい夜空を守る必要性を考慮しながら、照明は、その目的の為に十分考えられ、うまく設計されなければならない。