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稲庭 彩和子 sawako inaniwa

ロンドン博物館留学記 2 異国での学び

 私のイギリス滞在は都合約2年半。神奈川県に計画を提出した当初は約2年を予定していたが、のちに現場で仕事を手伝ううちにイギリスの博物館学にも興味を持ち、ロンドン大学ユニバーシティーカレッジのマスター(修士)コースに入学したため、滞在は半年間予定より延びることになった。2年半の内訳は、最初の1年が大英博物館日本部、2年目は日本部と教育部両方で働き、それと平行しながらロンドン大学のマスターコースでミュージアムスタディーズ(博物館学)の単位取得と論文に取り組んだ。

 渡英して私が学んだことを振り返ってみると、大学院の講義への出席や、死ぬほどたくさん出た毎月の小論文の課題、展覧会のプランニングと実施、修士論文、そういった「勉強」とか「研究」は予想以上に大変で、おおいにやりがいもあったけれど、その活動の底辺にある生活を通しての毎日の「学び」のほうが、私にとってはかけがえのない体験だったように思う。

 「2年半の生活の中でもっとも意義があったことは?」ともし聞かれたら「自分が育った文化ではない場所で格闘した日々、その体験自体」と答えるだろう。もちろん、大英博物館で働いたこと、大学院で研究したこと、イギリスにおける博物館について見聞したことなど教科書的、学問的に学んだことも多かったが、「イギリスという異文化の中で自分が生き、違う思考回路の人たちと議論をし、考え、問題を解決していこうとしたこと」自体がもっとも私に大きな学びをもたらしてくれた。つまり「自分とは異質な人との出会い」が学んだり、気づいたりするすべてのきっかけだったように思う。

(1) 試行錯誤のはじまり
 「大英博物館での研修」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。普通、研修といえば何かしらプログラムがあって、それをこなして修了したり、少なくともなにかしら目的が設定されていたりするものだ。しかし、私の場合、いわば「押しかけ女房」ならぬ「押しかけ研修生」だったので、大英博物館側ですでにある研修メニューというものは全くなかった。だから活動の目的と目標を自分で設定し、その目標を達成できるようにじょじょに活動を進めて行くことにした。

 大英博物館は約1000人のスタッフからなる組織だ。大企業というほどではないけれど、小さな組織ではない。さらに、館の運営に深く関わりのある、友の会や大英博物館出版、大英博物館旅行社など関連の別組織を含めたら、相当の大きさになる。物理的な職場の面積も広い。一研修生が「大英博物館がどのように市民に利用されているか」「館が利用者に向けてどんな努力をしているか」を知るために、どんな活動をしたらいいか、などと頭でっかちに考えていても何も始まらない。とにかく職場になれること、大英博物館の人に自分を知ってもらい、研修生として信用してもらうことだと思った。信用がなければ、自分が希望する活動を続けることなどできないだろうから。

 日本部で手伝いを始めた頃は、翻訳やカタログ・写真の整理などをから始めた。翻訳は、日本の美術館向けの手紙の依頼文を英語から日本語に訳したり、写真やカタログの整理は、山のようにある資料を地道に仕分けして棚に入れていくなど。こうした博物館での基本作業は、日本で博物館に勤務していた頃、日常業務で経験していたので、すぐになれることができた。とりわけ、扱っている作品が同じく日本の古美術であったため、依頼文など手紙のフォームもほとんど同じに作ることができて、あぁ少しは経験が役にたっているではないか!とうれしくなったものだ。カタログの整
理は、美術館が発行する展覧会図録、日本文化関係一般図書、専門書、古美術のオークションハウスのカタログなど幅広く、とくに私にとって興味深かったのは、日本の博物館ではあまり目にすることのなかったオークションカタログだ。ロンドンは日本古美術の売買ではニューヨークの次に大きなマーケットだ。有名なクリスティーズやサザビーズをはじめ、ヨーロッパ各地のオークションハウスのカタログが数十年分も本棚に整理されないままあった。

 自分のIDカード(セキュリティーカード)をきちんと発行してもらえたのは、活動をし始めてから3ヶ月ぐらいたってからのことだった。イギリス人の何事にものんびりとした対応だからというのもあるかもしれないが、私がやっと研修生として現場になじんできたころ、IDカードはちょうどよくできてきた。それまでは毎回日本部のスタッフが私を入口まで迎えに来てくれた。IDカードをもらうとまもなく職員用のスペースに出入りができるカギも支給され、館内をスタッフとして歩けるようになった。鍵を預ける鍵管理室のスタッフも、初めのうちは観光客によくいるような東洋人顔の「小娘」のわたしをみて、「え?君がスタッフなの?」という顔をしたが、毎回にっこりと「日本部で研修をしているんです」というと「へぇそうなの、で、楽しんでる?」などと聞いてくれるようになり、そのうち鍵の番号を覚えてくれて、顔を見ると「あぁ君かい」とにこにこしながら鍵を棚からとってくれた。自分自身が空間になれていくと、リラックスしてエネルギーもアイディアも沸いてくる。さぁ次はどんな活動をしていこうか、重々しいギリシャ神殿風の大英博物館の入り口を入るたびに、私は自分の活動をすこしずつ深めていく方法に考えを巡らせた。

 私の興味は「博物館の利用・活用」にあった。だから、日本部で大好きな日本美術に関する補助的な仕事をするのも楽しくはあったが、できればもっと館側と利用者の接点のある教育部で手伝いをしたいと渡英前から思っていた。でも、そのチャンスはなかなか思うようにはやってこなかった。だから館と利用者の間の関係を知るために自分で動けそうな、大英博物館の友の会の会員になってその活動について調べてみたり、館内で行われる教育事業に参加してみたり、また休日にはほかのロンドンの博物館・美術館の活動を見に行ったりしていた。

(つづく)

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