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清家三智 misato seike
私のガイドボランティア5
「私の」ガイドボランティア
当然のことですが、現在のガイド活動に携わるようになるまで私は美術館側の用意した研修を何度も受けました。ガイド仲間をお客さんに見立てて、実技訓練もしました。
「一方的に情報を伝えるのが仕事ではないのですよ」
「お客さんと一緒に、作品について考えればいいんです」
と何度も学芸員さんに注意されました。そのたびに、私は父のことを考えていたのです。うちの両親は特別勉強が出来る訳でも、何かに秀でている訳でもない、平凡な親なのですが私を愛することにかけては天下一品で、小さい頃から、いろんなところに連れて行ってくれました。その中でも特に多かったのが美術館でした。車で一時間以内で行ける範囲によい美術館がたくさんあったのです。
まだ小さかった妹が母とのんびりソファに座っている間、父は絵の前に立って、私に話しかけました。
「見てごらん、湖が描いてあるけど、水色以外の色もいっぱい使ってあるでしょう?」
「うん、パパ。こい青とね、緑色とね、あ、茶色もあった」
「ほら、ここには紫色も使ってあるよ。実際に見える色じゃなくても、自分がそう見えると感じたら、ない色も使っていいんだよ。お日様だから赤で描かなきゃいけない、なんて決まりはないんだ」
そう言って父は、当時造形教室に通っていた私に色の使い方を教えてくれました。父の話に納得した私は、後日、幼稚園で夕日を描いたとき、一部に茶色や紫色のクレヨンを使いました。すると、幼稚園の絵の先生が
「君、お日様は赤だろう、赤。子供らしくない」
と言って、私に描き直すように指示したのです。
「パパが『お日様だからって赤で描く必要はない』ってゆったもん」
「早く描き直しなさい。お弁当食べさせないぞ」
講堂の冷たい床に座って絵を描いてるお友達がほかに誰もいなくなっても、だんだん足がかじかんできても、最後まで私は描き直しませんでした。結局その日は、お弁当を食べそこねました。こんなこともありました。展覧会でだいたいの展示を見終わると、父は私に
「今日はどれか気に入った絵があった?」
とよく聞きました。
「あんまり・・・」
という日もあれば
「んとね、薄紫色のバックでね、銀色のお馬さんが前足をあげてポーズしてる絵」
と、子供ながらディスクリプションする日もありました。
「そっか。じゃあ気に入った絵の作者の名前だけでいいから覚えておくといいね」
「全部覚えた方がいいの?」
「う〜ん、そうだなぁ。きっと覚えることなんてキリがないし何のために覚えてるのか分からなくなるから好きな作家だけでいいよ」
「はーい」
「何でも『〜しなきゃいけない』と思うと人間おっくうになるんだ。好きなものなら覚えるのもイヤじゃないでしょ。わかるかい?」
「うん、わかる」
ピカソ、ルドン、マティス、クリムト・・・好きな作家をどんどん覚えていったら、高校生の頃には著名なアーティストのほとんどを網羅していました。「ここにある美術作品の作者を全部覚えるんだ!」ともし父に言われていたら、きっと私はこんなに美術を好きになっていません。「これはキュビスムという手法で・・・」なんて説明をされたら、美術館に行くのすら嫌いになっていたかもしれません。
子供にも通じる平易な言葉で、作品を見れば誰にでも分かることを話し、作品のひとつの見方をアドバイスはするけど、強要はしない。相手が想像したり考えるための自由を奪わない、余裕を残しておく、といえばよいでしょうか。ガイドをするとき、この姿勢を忘れてはいけないといつも思うのです。単にガイドに限らず、人と接する全ての場合にも通用する事のような気がします。一緒に美術館に行く機会もなくなったけど今でも私の中で、父は最高のガイドボランティア(しかも専属)なのです。
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