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10月
これから寒くなるというのに、予想に反して体力的にかなり回復。
昼間は自分一人でポータブルトイレをつかえるようになった。
しかし、体力回復しすぎて、となりのポータブルの存在を忘れ、1年は使っていないはずの普通のトイレまでいってしまい、取っ手に手をかけたままにっちもさっちも行かなくなる光景が多数見られた。
母親は8月の墓参りのことを思いだしつつ、「あんたが面倒みるんなら」と笑いながら承諾。
病院には車椅子があるので車でいければどうにかなりそうだなぁとは前から思っていたので早速実行にうつす。
実は車椅子にさわるのは、はじめてだったけど、病院の床がなめらかなせいか、なかなか楽しいもので、すごく安定性があって、かつ小回りがきくものだとわかって、誰もいない廊下をジグザグに走ったりするが、祖母無反応。
個室の病室につくと、祖父はびっくりしていた。
ふつうにしゃべっている様子だったが、あとで母のいうことには、すこし涙ぐんでいるようだった。
かえってくると、祖母は病名こそまちがえまくっていたが、ちゃんと今日、病院にいってきたこと、家にいるときより、つやつやしてめちゃ元気そうだったことをちゃんと分かっているようで、なんどもなんどもその話を繰り返し、なんどもなんども私と車をだしてくれた父に対して「ありがとう」といってくれた。
いままで日にち、曜日の感覚が全然なくて、「いま」と「さっき」と「いつかわからない最近の過去」と「正確な遠い昔」しかなかったのに。
夜中「誰か〜」と祖母の呼ぶ声が聞こえるので見に行ったところ、排尿タイムとのこと。
ひととおり作業が終わったあと、「ありがとう、お礼の言いようもありません」といわれて「別にいいよ」とかいっていると、「お礼がいいたいのだけど、名前がわかりません」と言われた。
あーまた忘れてるわ、と思い、ちょっとふざけてやれ!と思って「じいちゃんや」というとげげんそうな表情、「とうちゃんや」といってもきょとんとしている(どっちも祖父の代名詞)。
そして祖母が言う。「とうちゃんでもじいちゃんでもないけど、あんたありがとう」ってそりゃ、そのとおりだけどおかしくて笑ってしまった。
それって私がだれ、って全然分かってないってことじゃん。やばいやばい、本当に意識がまだらになっている。
あとでその話を母親にしたところ、「私はもうこの世にいないひとだから」が口癖になってしまったようだ。
でもいない、と自分にいいきかせると、そんな一生懸命手を掛けなくていいやって感じで少しは気が楽になったらしい。
祖母に声をかけると、「歩きたくないからいかない」というが、どうせ病院についたら車椅子にのるのに、すっかりわすれているらしい。
雨のなか病院につくまでの間に「どこにいくんだっけ?」と聞くと、分からないらしい。
まぁいいや。
車椅子にのせて病室へ。祖父は先週から相部屋にうつったのだが、祖母は今週やっととなりのベッドの人にあいさつをしていた。
部屋を出るときもよろしく、ってちゃんとあいさつをしていた。
やはり人前にでるとすこし社会性をとりもどすみたいだ。
ふと思いついて、なるべく祖父のベッドの横まで車椅子を近づけると、祖父が祖母の肩についた糸くずを取っている。
なるべく近くにいたいんだろう、手をさすっていたりした。
帰り際、手をふる祖父、それにこたえる祖母、やっぱり母がなんといおうと、自分は連れてきてよかったと思うのだった。あぁでもそれって本当にただの自己満足かもしれないけど。
祖母も家でずっとぼーっとしてるのも何なので、ディケアの施設にいったらどうか、という話が最近家でもちあがっていて、見学にもいったのだが、そういうときだけしっかりして、ここにはお世話にならない、とかいったらしい。
歩く練習とかもできるのに、ということで、そのことを祖父に相談したら、やはり「行け」と言われていた。
帰り道、そのことをもう一度祖母に聞くと、「たしかにじいちゃんは、いった方がいい、じゃなくて行けといった」と選択の余地を与えられていない、ということをちゃんと理解したらしい。
でも、コトバでは納得しても、ディケアの話をすると、決まって気分が悪くなり寝込むという悪循環、こっちもそれ以上言えなくなってしまった。
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