Help the aged

12月


1998/12/6

 最近前ほど祖母に呼ばれなくなった。

 祖父が帰ってきて、話し相手が出来たせいもあるが、9月くらいにはからだが復活しても、脳の方は戻らないなぁという印象だったのが、最近やはり意識の方もすこしちゃんとしてきたようで、必要以上に寂しがらなくなってきたのが原因の様だ。

 だって一番ひどく呼ばれたころは、名前が分かってなかったものなぁ。

 実家のちかくに住んでいたいとこだと思われたり、とりあえず孫だってことは忘れているようで、思いついた名前でよんだりされた訳だけど、今は名前を忘れてる、と思ったら、「間違って読んだら気の毒」という意識が復活したのか、呼びつけなくなった。

 1年前も今考えるとぼーっとほぼねたきりだったようなので、どうやらそのレベルくらいには戻ってきたらしい。

 もともと大ボケかます人だったので、本当にボケてるのか、周りもなかなか認められなかったのだけど、体調が悪くなって以降は、どう考えてもボケでしょう、って状態になり、今まで過ごしてきた訳だけど、また他人の事が考えられるようになったことでなんというか、適当に扱えなくなってきたなぁ、とうれしいようなちょっと寂しいような。さみしいってのも変だけど。

1998/12/13

 前日に祖父の弟がなくなってお通夜。

 祖父になくなったときかされてから祖母はぐすぐすしていた。

 でも誰が亡くなって誰が子供でっていうことは分かっているみたい。

 夜、祖父を一晩つきあわせる訳にはいかない、一旦家に帰った方がいいということで妹が車を出すことに。

 もう身内しかいない時間なので、寝かけた祖母に「もう知り合いしかいないから、いってみる?」と聞くと、「あとでひどくなったら困るから行かない」という。

 「行きたいんでしょう?」ときくと「そりゃ行きたいけど」というが全然起きあがる気配がない。

 あーーもう、行く時間おくれちゃうなぁと思いつつ、「会場に入らなくても外までいって車でまってても一緒だから行こう」とさそうと、「本当は行きたいんだけど。心配で」って言う。

 でもどうにか「行きたい」と言ってくれたので、実行に移す。

 まずは祖母をベッドの縁に座らせて、靴下履かせないと〜〜と探しにいったところで、部屋からごろっという大きな音。

 最近はちゃんと座れるようになったはずの祖母が畳の上に転がっている。

 ありゃぁ、意識ははっきりしてるみたいだけど、体は完全に眠っているらしい。

 先が思いやられる。寒いけど外出用のコートなどあるわけもないので、セーターをもう一枚着せようとするのだが、しまった、もちろん黒なんて持っているわけでもない、紺色で許してもらおう。

 そして、運ぶだけになったその時、「トイレ」というのだ。

 座らせる。結局出ないまま、新しい試みとして、後ろから脇の下に手を通して、靴下をはいた足を引きずりながら車まで運んでみた。

 速い速い。靴を履かせて、車まで歩くのも無理そうなので、足と頭の方を持って2人ががりで車に押し込んだ。

 椅子に座ると、腰が痛い。だいぶ気をつけたつもりなのに。

 会場につくと、人目があるせいかしゃっきりしている。

 見慣れないひとからみたら、かなりの代わり果てようなんだろうけど、いつも見ているものとしては、これでも今日は調子いいのだ。

 しかしすごいなぁと思ったのは、私は葬式の作法というのを全然しらないのだけど、祖母が座るなり、手を合わせ、ちゃんとお香を摘んで、焼香したのには驚いた。

 私もあれ、やんなきゃなの??、でもとりあえず、一緒にやってもらったことにごまかして、立ち上がるサポートをするのだった。

 その後、祖母は椅子に座ってすすめられるままに、ジュースをのんで、いなり寿司を食べている。

 こんなちゃんとした食べ方なんていったいどれだけぶりだろう。。。本当にはたからみたら、あそこのばあさんはもうろくした、って感じだけど、。

 祖父もだいぶ眠くなってきたようなので、急いで帰ろうとしても、まだ祖母が寿司を食べていた。

 すこし持ち帰らせてもらって、やっと家に帰ったのだったけど、祖母ももちろんだが、祖父も気が済んだといった感じだったと思う。

 しかし、祖父は日頃お経をあげたりすることもあるし、わりと、坊さん的な悟りを開いた感じの人なので、弟の死、と言うことも、病気とはいえ年からか?、それでぐずぐずするような気配は全然なかったのだけど、帰ってきて開口一番、なくなった弟の下の弟の家族が全然来ていないことに憤慨し、「あいつのことはもう、あきらめた」だのと言っていた。

 祖父なりに、やりきれない気持ちがあったのだろうなぁ。

 そして、叔母が持ってきた、赤い毛糸の帽子をかぶってみせ、「誰の?」と聞くと「ばあさんの」というから、てっきり、祖父の母親、ひいばあさんのだと勘違いしたとたん、その赤いずきんのような帽子をかぶって頭の形が変わった祖父の顔をみていたら、祖父の母親そっくりであることに気がついたのだった。

 なくなった時は93位だったから、あのときは20年も前だったから、比べてみても何とも思わなかったけど、今、年が近づいてきて改めてよく見ると、似ている。

 祖父にいうと、祖父が母親似、弟が父親似だったと話してくれた。

 結局、「ばあさん」は祖母のことだったのだけど、曾祖母のことを思い出すあたり、やはり今日のお通夜の影響なんだろうなぁと思った。

1998/12/14

 昨日までは、ちゃんと分かっていたのに、水を飲みながら祖母がいう。「○○はもう水も飲めないねぇ」あれ?○○ってば、それ祖母の実家の方の親戚の名前のはず??

 そのあと、何回言っても誰がなくなったのか、変換されてしまったままになってしまったのだった。

 ちゃんと「(祖父の弟)は正月までもたないかもといってたけど、そうなっちゃったねぇ」なんて、今が正月前でって感覚まで正しかったのに。

1998/12/20

 夜、老人部屋の方から祖父の声がするような気がして、とりあえず様子をうかがうと、祖父でなく祖母の声だった。

 「はいはい」と駆けつけると、かなり焦った様子、多分トイレだ、ということで、最近すっかり慣れた、強引なやり方(手を貸すのでなく、ばっと下げてばっとポータブルに載せる、というやり方。寝てすぐだと割と足がしっかりしているので、足をおろした瞬間からこっちの腰に負担がかからず、結局楽)でポータブルトイレにのせるなり、「あーー間に合った」(ぼとぼとぼと。。。)本当に危機一髪だったらしい。

 でも本当は祖父を呼びつけても仕方がないのだ。自分でポータブルトイレを使うか、そうじゃなければ、おむつにするしかないでしょう、というと、「頑張ったんだけど」とか言っていた。

 もう一度寝かしてから、同じことを言うと、「私の目をみてください」と目を指さした。ちゃんと起きてるでしょう、ちゃんと頑張ったのよ、そう言いたいんだろう、でも私には「とりあえず開いている」ということしか分からないのに。我慢したせいかちょっと涙目なのも分かったけど。

 ところで、今日は祖母の甥が来てくれた、のに、今日は名前も来たことも忘れている。

 もっと体力、記憶があやふやな時でも分かったのに、いや、自分の娘も忘れる位だから、前がたまたま分かっただけなのかなぁと思った。

1998/12/24

 夏の暑い日に1階で寝てしまったように、冬になると、こたつから離れられず、また老人部屋のある1階で眠ってしまう。

 夜中に祖母の声で目が覚め、「やばー、結局起きることになるのに」と後悔しつつ、祖母のところにいくと、やはりトイレ。

 「さっき、寝台から落ちてね」という祖母(寝台、とはベッドのこと)。ふうん、よく一人で上に上がったねぇ、とおもいつつ、ポータブルトイレに座らせると、「どっかにやってもらおうか」とつぶやいた。

 「どっかってのは、お金がかかるのか?」「いやぁお金なんてかからないよ」と答えたが、どっかっていうのは要するに施設のことなんだけど、ときどき、こうやって自分で悟ったように口に出す。

 でもそのあと決まって「お金だけはないし」といいわけする。

 実は、昔働いていたから、私の基本月給ー(各種税金+保険料)より多い年金をもらっていることを知っているだけに、(ほんと、世の中ってひどいよね。働いている人より、寝ている人の方がお金をたくさんもらえるなんて。)あぁ、ぼけてるって、おもいこめるって幸せだよなぁ、とちょっと愚痴でもこぼしたくなる瞬間である。

 数ある施設に行かない理由の中で「お金」だけはあり得ないのに。

 「寝台から落ちたから膝が痛くてねぇ」というつぶやきをきいて、寝ぼけながらも思いだした。

 最近聞いてないから忘れてたけど、ようするに、祖母は自分の体が不自由である、ということを認めたくないわけで、だから、「昨日ぶつけたから」だの「今日はなんだか調子が悪い」といって「たまたま具合の悪い自分」でいたい、それが今の場合は具合の悪くない私が立てないのは、きっと「さっき寝台から落ち」たからに違いない!と思いこんでしまっているのだ。


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