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8月
熱帯夜が続き、年寄りは暑さには強いから大丈夫だと思っていたが、様子がおかしい。
熱があったらしいので、夜、目を覚ますたび、祖母に水分を与えていたら、わざわざリハビリパンツをはずして、尿にまみれている。しかも夜中に3回も、最初に布団をかえ、2回目は替えた布団をはずして、毛布の上となり、最後はなにもなくなって、組立式ベッドの上に直接寝ることになった。
ふつうの子供だったら、まず自分ではずしはしないだろう。おむつをしてない子供だって一晩に二回も3回もしないと思う。しかも、気がつく度に大騒ぎをされるから、ただでさえ、寝苦しいのに、困る。
しかも、風呂に入るときでさえ、自分で着替えないのに、上まで全部脱いでいるらしい。
この間は、そのほぼ脱いだ状態で、祖母は自分のベッドから、となりの低い布団で寝る祖父の上に落ちかかっていた。
こうなると、あら、仲がおよろしくて、なのか、なんなのか、分からなくなってくる。
それが2日ほど前に、もうだめだとおもいつつ、ケーキをあげたら、ぺろりと平らげ、その後食欲が復活したらしい。
なんかごまかしつつきたけれど、本当はかなり弱っているのかもしれない。
迷いもせず、祖母を車に放り込む。
去年も喜んでいたし、と帰りにソフトクリームを買って半分ずつにするつもりで手渡すと(しかし、老人と半分わけにするつもりの自分ってかなり勇気あると思う)無我夢中でたべまくり、とうとう一人で食べてしまう祖母。
必ず爪が短くなるというのだけど、少なくとも一年はだれもそんなことを言う人には出会っていないはずなのに、不思議。
すこしずつ、反応が違う時があって、いつもは適当に「そうなんだーーー」と相づちをうつのだが、今日はコワイ。
「あんたつめきれいやね、って誰かがいってくれるんだけど、その顔がおもいだせんのや。次に言われたら、顔覚えようとおもっているんやけど、わすれるんや」
だから誰も言っていないから、顔がないわけだし、イメージとしては正しい、しかし、完全に思いこみの世界であり、かんぜんに思考がどっかにいってしまっている訳だ。
相づちもうてず、ただ、話が変わるのを待つしかなかった。
母親もこわいものをみたらしい。最近体がうまくうごかなくなってきて、よく服や布団をよごすので、ひさびさに尿取りパッド(ナプキンのでかいやつ)を復活させた。
ある日の昼間、母親が祖母のところにいって、ポータブルトイレをつかわせようとすると、祖母は尿取りパッドをはずしており、そのかわりに、タオルを2本いれていて、「これは正気でやってることだ」と力説したらしい。
どうしたんだろう??とおもっていると、早朝、強烈なにおいと祖父の罵り声で6時におきるはめに。
暑いのでドアを開けておいたのがまちがいのもと。におい直撃。
祖母は、勝手におむつをとって、体中に塗りたくった状態になっている。
叫ぶ母親、とりあえず、尿にはなれたものの、汚れたところをかたづけるまでは頭が回らないので、汚れを拭き取ったあと、とりあえず、風呂につれてゆく。
パジャマ、シーツ、などそのまま捨てたらしい。
またしても強烈なにおい、自分も具合が悪くなる。
また総取り替え、昨日は昼間にも1回やっているらしい、一日3回もやるの??放って置くわけにはもちろんいかないが、いちいち片づけなければならないのだろうか??と考えてしまうほどに、手間がかかるし、ゴミも出る
病院なんかじゃ、もっととれないふつうのおむつをしたりするんだろうなぁ。
突然、祖母の「たすけて〜」といういつもより、1オクターブほど高い叫び声が聞こえる、すわ虐待か??と見に行くと、母親が、ただねかせて、おむつをはぎ取ろうとしただけだった。
昼間に、祖母と私の二人でとなりあわせに座っている向かい側に母親がやってきた。テーブルの向こうで新聞を読んでいる、祖母がちいさく目配せをしながら、ちいさいこえで隣にいる私になにかつぶやく、下唇をつきだして、不満をあらわすような態度をとっている、よく聞くと「猿と犬だけのこった」と言っているのだ。
「猿って誰??」たしかに母親は猿年だが、、、
言い方と状態を併せて考えてみると、どうやら、祖母は自分の娘である、私の母親と犬猿の仲である、といいたいらしいのだ。
自分が迷惑をかけておきながらせっかく世話をしている娘にたいしてこの態度である。
もし、母親が嫁の立場であったならば、自分はこのババァとばかり放置攻撃にでたかもしれない。
ま、母親にいわせると、誰かが怒っている状態でいいんだそうだ。そうすると、ほかの誰かがかばう、まるで刑事ドラマで「カツ丼でも食え」というのが今の私の役どころな訳だ。
さっきたべたからいらないんだけどなぁ、、とことわるが、勧めるので、食べる。
食べてやった、と言う感じで食べてしまったのだが、あとでえらく後悔する。
老人はときどき、こまるものをくれる、という。いらない、と簡単にことわったりするのだが、そのあと、なんかの拍子に「生き甲斐ってなんだ??」と考え込んでしまった結果、人にありがとう、ばかり言っている生活は、あまり気持ちのいいものじゃないなぁと思いついた。
しかしなにもできないわけで、それがなんか身の回りにあるものをくれたりする行為につながるのではないか??結果的には「ありがとう」といわれるように。
しかし実際、ぼけぼけの老人に対して感謝できることはほとんどない。
老人を敬うということ、長寿を尊ぶということは、「いまはなにもできないけど、ありがとう」的存在でなければ、生きていくことができないから、自然に発生したんだろう。
この祖母も祖父もよく「ありがとう」といってくれる、たぶん、この言葉があるから自分も、いろいろやっているのだと思うし。
しかし、祖母にありがとう、をいう機会をつくることを真剣にかんがえているのだが、なにも思いつかない。
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