Help the aged

9月


1999/09/04

 祖父の体調がわるいらしい、頭が痛いとかいったり、食欲がなかったり、ひどいらしい。

 なんか胸のところが痛い、といっているので、いつも症状がなくてもなんとなくだるいときの方が多いので、1個でも具体的にいえることがあるときに医者にいった方がいい、今日は車もあるから、救急車をよばなくてもいいし、と母親に力説したのだが、今一つ乗り気でない。

 ま、でもいってみるわ、と午後になって、祖父のところにいくと、口をあうあうさせながら、けいれんをおこしていた。

 まぁ以前にぶったおれた時にくらべたら、まだ意識がはっきりしているので、とりあえず、車にのせて病院に運んだ。

 祖母はおろおろしている。

 あまりにおちついていないので、ふとおもいついて、またひさびさに耳掻きをすると、かさぶたのようなものがつまっていた方のみみの最後のかさぶたがとれた。

 「こんなおおきいのがはいってるの?」とかいっているうちに、祖父がけいれんおこしたのはわすれてきたよう。

 耳垢もとうとう一年がかりで撤去することができた。

 結局、祖父は検査で入院することとなった。

 夜、なにか飲もうとおもって、5年ほど漬けた梅酒を思い出した。

 梅のしわしわがなくなってつるっとしたやつをいくつかとりだして、ふと祖母に渡すと、おいしそうにかじっている。正月に梅酒をのませて、「これなにかわかる?」といったら「新年会でのむやつでしょー」と元職業婦人らしい発言をしていた祖母である、実は結構飲めるひとらしい。

 梅を一粒かじると、きもちよさそうにうとうとし始めた、祖父がいないことを心配する前に、寝てしまった。しかもノンストップで朝まで眠っていたらしい。

 明日からもこの手で行こう。

1999/09/05

 祖父がいないとおろおろすることもあるがしっかりすることもある。

 暇そうな祖母に洗濯物を渡すと、アイロンでもかけたようにぴしっとのばして下着を畳んでいる、均一な大きさにパジャマをたたんでいる。

 母親に対して反抗的なのはあいかわらず、母親も母親で、ぼけた発言にいちいちつっこむので祖母がさらにうろたえて、さらにぼけた収集のつかない発言になっていく。

 母親のいないところで、ぼそっと私に「あんたのところのおかあさん、きついね」と言う。「あんたのところの娘さんなんですけどね。。。」と言い返すが、分かっているのだろうか???。

 ま、親子の関係ってそんなもんかも、かつて祖父や祖母といえば、全面的に甘えていい存在だったわけで、それも親が厳しいときにはよけいありがたいものだった。

 ぼけを容認するよりもつっこむ、方がむずかしいし大事なのかもしれない。

 テレビをみていて学校関係の番組だったので、ふとおもいついて、「ばあちゃんって、『ハナ・ハト・マメ』だった?」と聞くと、即座に「ハナ・ハト・マメ・(途中私が忘れました)・ミノカサ・カラカサ」と立て続けに答えていた。

 最後の方、本当にあってるのか、はわからないけど、自分は小学校一年で最初にならった言葉なんて覚えてないのに、この世代のひとってすごい。

 ちなみに父親のときは「サイタサイタサクラガサイタ」じゃないかといっている、カタカナではないかもしれない。

 あとで教育関係に詳しい妹に、本当にあの時代「ハナ・ハト」なのか聞いてみよう。

1999/09/12

 夕方ぼーっと昼寝をしていると、廊下のはしからぺたぺたと言う音がする。

 妹におこされて、廊下にでてみると、祖母が歩いてくるではないか!それも誰の手も借りずに、つかまり歩きしかできないはずなのに、途中、どこにもつかまらないところを1メートルほど横切り、トイレのドアをすっとあけて、入っていった。しかもドアをきちっとしめて。

 確か前の日に、ぼけて長らくつかっていないトイレのまえまで這ってきて、「入れるんならどうぞ」と言うと、トイレのドアの柱に手をすぅっとすべらせて立ち上がって入っていった記憶もなまなましい状態ではあったが、しかし、歩くってどういうことだ、しかも足がいたいとか文句ひとついわずに。

 単に、歩けないのをわすれるほどぼけたということで片づけることにしたのだが、しかしーー人間やればできるものなのだ。とはいえ、こちらの思うとおりにはなかなかうまくいかないもので、どうやったら歩くか、という主導権は祖母が隠して握ったままはなさない。

1999/09/14

 最近体がだるい。介護は前よりも楽になっているはずなのに、祖母の入浴の手伝いとかがおっくうになってきた。

 祖父はわるくなる一方だし、祖母はうんとわるくもならず、一番手が掛かる状態(徘徊がないだけ楽だが。。)のまま。さりとて、施設にたのんだり、人をたのんだりするのは家の誰も好まない。

 祖父はともかく、祖母は徹底的に施設をいやがる、しかし、人ひとりの介護は一人の人間の手ではできるわけもなく、子育てのように1年もたったらおむつがとれるわけもない、いったいどこで、祖母の面倒を全面的にみるはめになってしまったのか、しばらく考えていた。

 結論として、ここ10年ほどなんどか祖父母は入院を繰り返していたのだが、その全部の面倒を母親がみてしまったことに問題があると思った。

 うごけなくなった祖母をうちにつれてくることにはなんの疑問も感じなかったという。

 祖母はぼける以前に、骨折で入院したときでさえ、病院をいやがり、家で入院状態になっていたこともあるらしい。それで今回の場合も、当然とばかりにつれてきたんだそうだ。

 病気でなくて、二人暮らしができなくなった時点で、施設に送り込まなければならなかったわけだし、それ以前に二人暮らしがおぼつかなくなった時点で、ヘルパーの人を頼むべきだったのだ。

 そうすれば、まだ本当にぼけていないときだったから、理屈でなっとくさせることもできただろう。

 でも今の祖母には理屈は通用せず、ただただうちから出たくないの一点張りにつきあわされるしかない。

 祖母は娘である母親のことをよくわすれるし、うらみがましい顔つきになったりする、子供は親のことを忘れないけど、親は子供のことなんてわすれてしまう、法律はうまいぐあいに、それに対応しているのか、扶養義務については、わすれてしまう親よりも子供を優先することになっているんじゃなかったっけ??本当にうまくできていると思う。

 しかし、子供は親をわすれられないだけに、割り切れない苦労をすることもあるのだなぁ、とつくづく思った。

 ま、ウチの場合、うるさい親戚、というのがほぼいないために、気楽な方ではあるのだが。

 

1999/09/15

 敬老の日は一年に一度の手抜きの日にする!!と宣言する。

 お昼までマメに見に行っていた分調子のよかった祖母が、午後出かけたりして、様子をみないうちに、突然、なんでもないのに、人を呼びつけるようになった。

 夕飯もたべないらしい。部屋を出てきたので、居間の方につれてきて食事にしようとおもったら、老人部屋にかえりたい、という。

 キレる私。「一人で帰ってください」冗談のつもりが、本当にこの一年に例をみない、祖母をかまわない日となったのだった。

 祖母はかまってほしい、一人ではいられないという病気になってしまった。

 まぁぼける前からそうらしい、家に一人になると娘のところや親戚のところに電話をかけまくっていたらしいし。そういえば昔は電話すきだったんだよなぁ。。

1999/09/16

 前に変になったのが、ディケア施設を見学にいったあと話が具体的になりそうなときだった。

 今回もそれか?でも誰もちゃんと話はしていない。

 しかし、実は今度の日曜日、もし家にだれもいなくなる場合はどこかに預けてしまおうという話が陰ではすすんでいる。

 母親にそんな勇気があるのか????

 今日の午前中も10分おきぐらいに人をよびつける、ご飯は食べない。「食べないのならばお医者さん呼ぶか、病院いかないといけない」と昼にいうと、そのあと起きてきて、ご飯を一口食べる。ほっとして部屋をでると、すぐにヒステリックな口調で母親をよびつけ「具合が良くなった」という。

 よんじゃえよ医者を。その後どうなったのかは分からない。

1999/09/24

 祖父が退院してきた。

 いままでならば格段に健康をとりもどして、復帰であったのが、どちらかというと今回は、もう治療はできません、これ以上入院させるのならば、老人病院に。。。といった状態らしく、母親もすこし気が重そう。

 しかし、足のむくみがとれていて歩きやすそうである。

 なんでも今回は腎臓が悪い、と診断され食事療法の指導を母親が受けてきた。

 一人ぐらしだったら誰に指導するんだ??と思ったが、ようは、一人ぐらしはもうできない状態であり、誰もいなければ、しかるべき施設に入るしかないという状況らしい。

 腎臓って、、、そういえば、透析をする人は塩分がすくなく、水ものめない、蛋白質がとれない、といった話をきいたことがある、いったいなにをするんだろう?とおもったら、なんでも祖父の場合は、もちろん塩分は少な目がいいにきまっているのだが、それはあまりきびしくなく、カリウムがたまってしまうので、カリウムをへらせ、と指令がでたらしい。

 そ、そんないきなしカリウムっていわれてもね、、なんでも野菜やくだものはゆでろ、と指導されたらしい。

 そこで10年以上前の古い成分表をとりだすと、あ、結構缶詰やら水煮の成分もでていて、たしかに、かんづめ、水煮は、カリウム値が少ない。

 しかし、土にうまっていた根菜類や、海の海藻・魚はカリウムが多い。

 いままで糖尿だからといって、あまいものを控えていたのに、病院食では腎臓の診断がくだった日からおやつがつくようになったらしい。なんでも腎臓病の人は塩辛いものを控える、たんぱく質をひかえるために、どうしてもあまい味付けのものが多くなるとか。

 この辺が栄養学のいやなところで、まぁどちらが優先順位が高いとかそういう問題はもちろんあるだろうけど、なんか場当たり的。

 たしかに、ある特定の病気に対して、こういう成分がわるいって、それはあるだろうけど、健康な人間のとるべき栄養だって、ちょくちょく変わるし、成分表だってかわる、今の好ましい数値で食品を食べたから長生きしてる、なんて人は一人もいないのだから、いかに場当たり的な話なんだろう。。

 ま、あまり考えすぎない程度に、やっていくしかないと思う。

1999/09/28

 来月から介護保険の認定期間がはじまる。

 ほんとうにどうなってしまうんだろう??認定されたところで人手を借りたくないと思ってしまえば、払い損なだけなのに。

 1回入浴させる費用は1万2000円だって、、結局会社がピンハネするためにできた法律なんだものほんとうにとんでもない、というイメージしかいまのところない。

 まるで、具合がわるくなったほうが得、なんてそんな制度ヘンだけど、でも実際のところ社会ってそんなものかも。

 若いうちは、健康な方が仕事があるから、具合が悪いのがめぐまれてるってこともないとおもうけど。でも昨今の若者に対しての求人難の状況や不安定な情勢をみていると、働けるだけラッキーでしょ、ってしぼりとられるだけしぼりとられるイメージがある。まぁこれは年金に対しての思いだけど。

 


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