文学研究のために


1,文学研究に必要なもの
2,学問としての文学研究
3,職業としての文学研究
  1. 文学研究に必要なもの

  2. 文学理論
     テクスト論に関係した書物は必読である。基本的なもののみあげておく。
    1. テリー・イーグルトン「文学とは何か」岩波書店
    2. ロラン・バルト「物語の構造分析」みすず書房
    3. 岩本 一『読みのポリティク』雄山閣出版,2500円.
    4. 岩本 一『読みのポリフォニー』雄山閣出版,2575円.
    5. 立川健二・山田広昭『現代言語論』新曜社,1700円.
    6. 土田知則・神郡悦子・伊藤直哉『現代文学理論』新曜社,2472円.
    7. 石原千秋・木股知史・小森陽一・島村輝・高橋修・高橋世織『読むための理論』世織書房,2575円.

  3. 作品(テキスト)
     最新の「全集」本を入手しておくこと。とにかく新しいものが不可欠。ただしいきなり新刊本で買うのではなく、書誌で全集の刊行状況を調べ、近年刊行されていないようなら古本屋で探すようにしたい。指導教官の研究室には、古書目録が必ずあるはずなので、それの必要部分をコピーさせて貰って、探すのに利用しても良いだろう。

  4. 資料
     論文を書くのなら、図書館は資料の宝庫である。自分大学の図書館の新聞・雑誌やその復刻版、官報・風俗関係の刊行物、辞典・事典類の参考図書や歴史学・社会学あたりの本がどこにあるのかは、知っておきたい。

  5. 学問としての文学研究

  6. 職業としての文学研究

     先頃2050年の日本社会の年齢構成のシュミレーション結果が明らかになって、3人に1人が老人となる超高齢化社会を迎えるという衝撃的な内容が明らかになった。将来の日本の社会像を考えてみた場合、社会を支える資源(自給食糧)もなく、社会活動を支える人材も乏しく、社会活動の円滑剤となる経済活動もさっぱりというような悪夢のシナリオが描かれているように思われる(僕が生きていると86歳だ。悪夢の老後としかいいようがない)。現在日本の社会は、不況の下に経済活動の立ち直りが遅れていて、大学進学者の動向を見ていても、文学などの教養関係の学問は好まれず、実学的な学部を選択する傾向が強くなっているようだ。
     我が短大の学長(日本学術会議会員)の話によると、文部省では将来的な国力の増進に寄与する学問を重点的に成長させようという意向を示しているらしい。つまり、文学研究・文学教育などというものは、文部省の将来構想からはずれる学問であることは明らかなのである。またそれ以前に、就職に役立つような学問でない以上(就職先から評価される学問でないということ)、(就職を想定した)学生側からソッポを向かれつつあることも事実で、地方の短大に勤める僕などはその傾向をひしひしと実感している。これが都市部の大学・短大に波及するのは時間の問題だろう(もうすでに兆候は表れているはずだ)。つまり国策以前に、社会的に必要とされなくなっているのである。
     とりわけ女性が社会進出をするようになったところから、男性と互していく必要から実学系統の学問を選択するようになり、嫁入り前にちょっと「教養」を身につけるような学問としての文学への需要は減ってきているのである。また女性の社会進出は、少子化傾向とも関連していて、少子化傾向はとりもなおさず教育機関の存廃に関わってくる。就学人口の減少は、教育機関の淘汰を招来するので、私立はもちろん国公立大学の統廃合が行われることになる。文学教育は、そういった社会構造の変化をまともにこうむっており、将来的な展開の予想はとても描けるものではない。
     かくして文学関係で教員になるのは、椅子取りゲーム以上に至難の業に近くなるといえる。僕たちの世代は、ポストを得るのが難しいと言われていたが。それは努力次第で何とかなるとも考えることが出来た。しかし、これから社会に出ようと考えている学生や大学院生は、努力してもその将来が保証されるということは絶対にないだろう。短大の非常勤になって喜んでいる知人がいるが、非常勤講師が「経営の安全弁」と云われているのは、経営が傾いたときに、すぐに切り離して専任だけの軽量運営に切り替えることが出来るからだ。とても喜んでいられる状況ではないのである。何度も繰り返すが、上述したように「文学」を巡る「市場」は縮小を始めているのである。将来的にみて、文学に携わることはかなり危険である。文学系の教員のリストラを含めて、「文学」従事者の生活上のリスクが高まることは必至である。自分はおろか妻子・親を路頭に迷わしかねない事態も起こりうるのではないだろうか。文学関係の仕事や研究職を選ぶことは、余程の金持ちでない限りすべきではない。かくいう僕もかなり強い不安を感じている。解決策も持っているが、これは生き残りの手段なので、到底こういうところに書けるものではない。