先頃2050年の日本社会の年齢構成のシュミレーション結果が明らかになって、3人に1人が老人となる超高齢化社会を迎えるという衝撃的な内容が明らかになった。将来の日本の社会像を考えてみた場合、社会を支える資源(自給食糧)もなく、社会活動を支える人材も乏しく、社会活動の円滑剤となる経済活動もさっぱりというような悪夢のシナリオが描かれているように思われる(僕が生きていると86歳だ。悪夢の老後としかいいようがない)。現在日本の社会は、不況の下に経済活動の立ち直りが遅れていて、大学進学者の動向を見ていても、文学などの教養関係の学問は好まれず、実学的な学部を選択する傾向が強くなっているようだ。
我が短大の学長(日本学術会議会員)の話によると、文部省では将来的な国力の増進に寄与する学問を重点的に成長させようという意向を示しているらしい。つまり、文学研究・文学教育などというものは、文部省の将来構想からはずれる学問であることは明らかなのである。またそれ以前に、就職に役立つような学問でない以上(就職先から評価される学問でないということ)、(就職を想定した)学生側からソッポを向かれつつあることも事実で、地方の短大に勤める僕などはその傾向をひしひしと実感している。これが都市部の大学・短大に波及するのは時間の問題だろう(もうすでに兆候は表れているはずだ)。つまり国策以前に、社会的に必要とされなくなっているのである。
とりわけ女性が社会進出をするようになったところから、男性と互していく必要から実学系統の学問を選択するようになり、嫁入り前にちょっと「教養」を身につけるような学問としての文学への需要は減ってきているのである。また女性の社会進出は、少子化傾向とも関連していて、少子化傾向はとりもなおさず教育機関の存廃に関わってくる。就学人口の減少は、教育機関の淘汰を招来するので、私立はもちろん国公立大学の統廃合が行われることになる。文学教育は、そういった社会構造の変化をまともにこうむっており、将来的な展開の予想はとても描けるものではない。
かくして文学関係で教員になるのは、椅子取りゲーム以上に至難の業に近くなるといえる。僕たちの世代は、ポストを得るのが難しいと言われていたが。それは努力次第で何とかなるとも考えることが出来た。しかし、これから社会に出ようと考えている学生や大学院生は、努力してもその将来が保証されるということは絶対にないだろう。短大の非常勤になって喜んでいる知人がいるが、非常勤講師が「経営の安全弁」と云われているのは、経営が傾いたときに、すぐに切り離して専任だけの軽量運営に切り替えることが出来るからだ。とても喜んでいられる状況ではないのである。何度も繰り返すが、上述したように「文学」を巡る「市場」は縮小を始めているのである。将来的にみて、文学に携わることはかなり危険である。文学系の教員のリストラを含めて、「文学」従事者の生活上のリスクが高まることは必至である。自分はおろか妻子・親を路頭に迷わしかねない事態も起こりうるのではないだろうか。文学関係の仕事や研究職を選ぶことは、余程の金持ちでない限りすべきではない。かくいう僕もかなり強い不安を感じている。解決策も持っているが、これは生き残りの手段なので、到底こういうところに書けるものではない。