Monthly UBE
AUGUST
CONTENTS
◆高速体験記◆
◆秋山駿「信長」◆
◆高速体験記◆
高速道路に初めて自分の運転で乗ったのは、郷里の兵庫県に帰省したときだった。利用したのは中国道で、小郡から福崎までの約400Km、料金は8150円だった。当日は快晴で天候もよく、車両も少なくて素人にとっては快適な旅だった。最初は恐る恐る80Kmで走行していたが、慣れてくると人並み(?)に120〜130Kmを出して走ったりもした。郷里まで6時間30分程でついたのだが、バスの運転手をしている妹の舅さんによると素人にしては飛ばしすぎだということだった。で帰りは、慎重に100Km位のスピードで走るのだが、どんどん抜かれていって馬鹿みたいだった。そうして広島に入ってから、いきなり驟雨に遭遇したのである。トンネルを出たところで突然フロントガラスを雨粒が烈しく打ち、濡れた路面でハンドルが一瞬取られた時には肝を潰した。視界は雨粒でホワイトアウトしてしまい、ワイパーを最速で動かしても視界は圧倒的に不良であった。この時心拍数でもはかっていたら相当な数字を出したろう。すぐにサービスエリアに入って休憩したが、雨足が弱まらず、仕方なくまた車に乗った。視界が悪いのでスピードは80Kmちょっとだが、驚いたことに慣れた運転手の車は雨だろうが構わずにスピードを落とさずに走っているのである。トラックなどが水しぶきをあげて追い越していくときは、生きた心地がしなかった。しかしそんな状況でも、慣れてくると怖いもので、いつの間にかスピードを上げて他の車両を追い越したりしている自分に気がつくのだった。雨が降り出したのは12:50頃だったが、山口市に入ってようやく雨は上がった。16:00を過ぎていた。高速2回目にして、雨中の高速実習をしたわけである。しかしこの時さらなる困難が待ち受けていようとは、お釈迦様ではない僕には思いも寄らないことだった。
この体験から高速で怖いのは、雨だと思っていた。しかしそれに夜が重なるとその恐怖のレベルは一体いくつまで跳ね上がるのだろう? しかも殆ど初心者の場合。GFにせがまれて海の中道に行った帰り、僕はその恐怖を味わった。九州道の小倉を過ぎてから暗くなってきて、夜の高速を運転したことのない僕には、ずいぶんプレッシャーがかかっていたが、その上に通勤帰りの車両も多く、心臓は結構パクついていたのである。そしてあろうことか雨粒がフロントガラスに当たったではないか。そして、あっと言う間に本降りになってしまった。視界がただでさえ悪いのに、雨粒がフロントガラス上ではじかれてワイパーを動かしているのが馬鹿のように感じられるくらいに、前方の視界が悪くなった、というより見えなくなったのである。後続の車がある以上、スピードを急に落とすわけにも行かず、カーブなどは冷や冷やしながらハンドルを切った。しかも休むICもSAも無いときたもんだから、32歳になって死ぬのかと泣きそうになった。めかりのICを見つけたときは、生き返る思いだった。
何事も経験である。確かにそうだ。しかし寿命が縮まるような思いまでする経験に大して意味はない。僕は高速ではあまり天候に恵まれていないらしい。あのような思いは二度としたくないので、高速に乗るときは天気予報のチェックが欠かせない。
◆秋山駿「信長」◆
信長を「天才性」という言葉で括ることは妥当なのであろうか。この評論家が引っ張ってくるナポレオンやシーザーの一言半句が、僕はどうしても嫌だった。皇帝になることを目指した後者2人に対して、信長が見ていたものはそのような位人身を極めるというようなものではなく、自分の理想という物を実現していく、ただそのことだけであったように思う。ただ自分の理想が頭の中にあってせいぜい自分を格律していくことぐらいが凡夫の限界で、信長の真に恐るべき点は、自分の理想を他者は勿論その社会や時代にまで及ぼしていったことである。