Monthly UBE

OCTOBER


◆CONTENTS◆

追悼遠藤周作
『日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む』
『「超」整理日誌』
『教養としての言語学』
『FBI心理分析官2』
身辺記@レンジが壊れた


◆追悼遠藤周作◆


 先月9月29日18:36に遠藤周作が、呼吸不全のために亡くなった。享年73歳。昨年末の入院の報を聞いて、そろそろ危ないと思っていたが、とうとう亡くなった。第三の新人と呼ばれた人々の中で、吉行淳之介が亡くなり、今度は遠藤だった(同僚の先生が、還暦を迎えてから12年後、24年後が男は危ないということを言われているのだが、その「珍説」(?)を聞いてから、短大の学長が72歳で執務中になくなったのが去年のことだ)。小島信夫が「読売新聞」で連載を始めたことを考えると、まだまだ執筆可能な年齢のはずだった。狐狸庵ものに腹を抱えていた高校時代の自分を思い出しながら、また一つ惜しいものを失ったという喪失感に茫然としていた。生きていくというのは、得ることと同時に喪うことでもある。
 遠藤文学の特長が、まず弱者への暖かい視線にあることには異論がないだろう。この場合の「弱者」というのは、人間的な「弱さ」を意味している。普段我々は自分が強い人間・弱い人間などとは考えていないが、何か事が起こると、普段の自分では思いも寄らない行動をとることが多い。そしてその結果、自分という人間を見失ってしまうことも多いのである。遠藤が視線を向けたのは、そのような人間たちの「弱さ」をどのように受け入れていくのかという問題だった。「沈黙」のキチジローのどうしようもない「弱さ」とそれを許すことの出来ない神父の「弱さ」を我々は知っている。裏切ることだけが「弱い」のではない。「怒り」「嫉妬」「憎悪」「差別」「冷淡」など、人はいろいろな形で「弱さ」を持っている。遠藤の「弱さ」への着目は、人間のあり方そのものを問い直す事であったと思う。そしてその「弱さ」を見据えながら生きていくことが、彼にとってのキリスト教の意味だったのではないか。
 凋落期にある現代文学からまた一つ大きな文学世界が喪われたことは、残念でしようがない。


◆大江健三郎『日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む』岩波書店◆


 この本は古書店で入手した。1984年に刊行された岩波セミナーブックスの1冊である。渡辺一夫と著者との関係は、大江健三郎を読んでいる者ならつとに知るところであるが、この本で改めてその私淑ぶりを伺い知ることが出来る。
 集中、死後に発見された「戦中日記」について言及している所では、やや見方が甘いのではないかと思うところもあるが 戦時中の言論統制の厳しさと過酷さを知らぬ人間が云々するのは、不適当なのかもしれない。特に印象に残ったのは、ルネサンス期の人間達が、宗教と政治に振り回された時代をいかに生きていったかということである。時間を見つけて、ゆっくり渡辺一夫を読んでみたくなった。


◆野口悠紀雄『「超」整理日誌』ダイヤモンド社◆


 ご存じ野口先生の「超」シリーズの一冊である。専門書は読んだことがないが、中公新書の『「超」整理法』以来、柔らかい方面は、なるべく目を通すようにしている。この本はいままでのようなノウハウ集ではなくて、日常生活での出来事についてコメントを加えられたものが多い。携帯電話については2章を使って苦言を呈しておられるが、最近は自動車運転時における携帯電話の使用が問題視されるようになっており、どのように考えられているのか知りたいところだ。
 吃驚したのは、宮崎の「ナウシカ」論を掲載されているところだ。さすがに文学研究者の論文のようには行かないが、文学研究者が思いもつかぬ事(メーペとドイツ戦闘機との関連)を述べられていて、勉強になったところもあった。「ナウシカ」全7巻を読まれているなんて、なんてお茶目な人だろう。僕は2年前に単行本の存在を知ったぐらいなのに。


◆鈴木孝夫『教養としての言語学』岩波新書◆



◆R・レスラー他『FBI心理分析官2』早川書房◆


 地域性を越えて、犯罪が凶悪化、広域化していることを改めて思い知らされる。その背景には、社会の都市化があるとレスラーは指摘している。プロファイリングは、犯罪者の行動パターンを分析することにより、捜査活動の緻密化、迅速化、精度を高めるためのものであり、その知識を持っているかどうかで、初動捜査に大きくさが出てくることも分かった。「切り裂きジャック」事件も王族か社会的に上層の階層の人物が犯人だという通説があるが、レスラーは被害者達と同等の階層の人間であることを説いている。そのレスラーが、一方で「サン」紙に振り回されて怒りまくっている所は、腹を抱えた。名古屋出身の服部君射殺事件の損害賠償請求を審議した民事裁判での、レスラーのピアーズ被告への行動分析の内容には、改めてアメリカの銃社会とそれを担う人間達の問題を考えさせられないではおかなかった。またオウム事件についての分析もあったが、その内容はあまり面白くはなかったが、レスラーが描いて見せた、中流社会がはらむ問題性についての指摘は、日本社会が構造的に孕む犯罪因子の存在を伺わせて、かなり不気味な印象を受けた。日本の「安全神話」というものは、たしかになくなり、我々は何時自分が犯罪に巻き込まれるか分からない状況にいる。ドラッグを販売している風景を見るようになってから、夜中にうかうかと出歩けなくなるまでに5年とかからなかったという彼の友人の談話の引用は、東京などで覚醒剤に手を出す若者が低年齢化している事実に鑑みるにつけ、他人事ではないことを思い知らされる。犯罪の予防のためにも、教育体制を含め抜本的な社会のシステムの見直しが必要だろう。悲劇の主人公を演じることにならないためにも。


◆レンジが壊れた◆


 電化製品はいつかは壊れる。昨年購入した電子レンジが壊れた。NECさんの製品だが、1年半でテーブルを回す回転軸が折れてしまったのである。修理に、早くても1週間掛かると言われて、僕は愕然とした。独身者の生活の友として、電子レンジは不可欠である。朝のトーストや冷凍食品の解凍暖めなどに不可欠なのに、冷凍庫の食品がまったく使えなくなってしまったのである。1週間は不自由な生活を強いられることとなった。先月は冷蔵庫が10年のお勤めを終えたばかりなのに、「今月はこれかよ」とブツブツいいながら修理に出してきたのだった。そういえばビデオも早送りと巻き戻しが出来なくなっていたので、これも修理に出すか。