今村仁司『「大菩薩峠」を読む』ちくま新書
今村仁司が分析して見せた「大菩薩峠」(以下「峠」と略)の世界は、竜之介と駒井に代表される悪と正義の二項対立ではなく、むしろ彼らを図とした時に見えてくる「地」としての脇役たちにスポットをあて、その意味を明示した点で意味のあるものではないか。それは事々しく主義や憂悶を振り撒いてはばからない主人公たちを相対化するような「愚者」たちの世界なのである。「愚者」として描かれている彼らに焦点を合わせるとき、従来の読解のグリッドである理想・絶望の二項対立の世界は一つのシニファンとして括られてしまい、さらに大きな「峠」の「意味」の世界が展望されるように思われる。その意味で今村の試みは、大変刺激的であった。
徳岡孝夫『五衰の人 三島由紀夫私記』文芸春秋
猪瀬直樹・川島勝につづく三島本でもある。平岡瑤子夫人が昨年急逝されて、三島由紀夫を知る人が亡くなって行くにつれて、こういう証言集・人物論が出始めるのも、三島由紀夫という人物ががいよいよ歴史の一頁になりつつあるという感を強く感じさせる。
徳岡氏といえば、三島文学を愛読した人には、直ぐに三島から市ヶ谷に来るように言われたジャーナリストと思いつくであろう。いわば三島事件の見届け人として、三島当人から指定された人物である。その意味で徳岡氏のこの本も、三島を取材したジャーナリストの証言という形で残ることになるはずだ。僕は三島由紀夫の頭の良さと礼儀正しさが好きで、その作品は10代の頃に愛読してやまなかった。常識人として振る舞う彼の姿が描かれているこの本の中の三島像には、好意を持った。
Anne Rice「ヴァンパイア」シリーズ
東京の学会に行ったときに神田の三省堂で、閉店間際に扶桑社から翻訳が出ているのを見つけて慌てて購入したもの。その時はすでに両手に購入した古本を抱えていて、荷物を持てる状態ではなかったのだが、買ってしまった。池袋のホテルに向かう僕の足は幸福感でいっぱいだった。「ヴァンパイア・レスタト」「呪われし者の女王」「肉体泥棒の罠」。いずれも上下巻そろって6冊あったのだが、1週間で読み終えた。幸福な1週間だった。これらのシリーズではすべてレスタトが主人公であり、彼の我が儘に他の不死者達が振り回されるという展開が至る所に見られた。俗事に疲れたとき、このような冒険譚で、心を潤すのはいいものだ。あらすじは書かない。是非冬休みにでも読んで貰いたい1冊だ。
工藤 隆『新・坊っちやん』三一書房
短大の同僚である前出先生から紹介して貰い、借りて読んだ本。東京の大学で教える51歳の助教授為永が主人公。筒井康隆の『文学部唯野教授』のパロディーと思っていたが、向こうは教授でコワイモノなしの立場だから、姿勢が安易だと言うことだ。為永は助教授の立場から、規定年数前に教授に昇進しようとするが、国文の同僚の策謀によって果たせない。しかしほかの同僚の昇進はなんとか勝ち取ることが出来たというもの(1人例外はあったが)。国文の私は、工藤氏がどこの大学の先生か容易に調べることが出来て、低俗な好奇心を満たすことが出来た。ラグビーで有名な大学である(あのジャージの色はカーキ色というのか。ラトゥ選手は凄かった)。おっと筆が滑った。四人組の江青にたとえられた、近世のエヘ子宮崎教授というのが非常に気になる。どこにでも勘弁してくれと言う先生はいる、と誰でも簡単に言うが、本当に大変なんですよねー。
身辺記@熊本「漱石博」
11月1日2日3日と熊本に行ってきた。熊本に漱石が足を踏み入れて、100年目の年に当たると言うことで、いろいろと行われているイベントの一つ、「世界と漱石」のシンポジウムや研究発表会を見聞きしてきたわけだ。漱石の孫の婿に当たるという評論家の脚本による「草枕」の上演鑑賞などはご遠慮申し上げたが、初日の平川祐弘氏の講演など、研究者として興味深いものもあった。2日めの研究発表会に一番の関心があったのだが、これは期待通りと期待はずれがあって何とも言えない結果に終わった。
漱石の文学に関する研究がテクスト論と作家論に分極していることは明らかで、研究者が主体的に漱石と関わろうとしたときに、第三者にその言葉をどのように伝えていくかと言うことが、一つ大きな問題としてあるだろうということは言えるのではないか。端的に言うと、よく理解できない発表があったということだ。そして僕の参加した会場では、群馬女子大のH氏が、テクスト論的な読み方についても疑念を呈しておられたが、これは東京の学会でテクスト論的な読み方をされた発表者に対する発言と地続きであり、「流行」のテクスト論も方法論として十分吟味されなければいけないと言う、作品論の「流行」を体験された立場からの苦言として受け取れた。読み手の読解を重要視するテクスト論では、何でも言えると言うところがあり、テクスト論は批評的言説を垂れ流すだけだという印象もないわけではないのだから。
会場では、金戸清高氏に久しぶりにあった。運営委員の彼の、最後の一言は「懇親会に出て」。手元不如意なのと運転で疲れていたので、お断りした。すいませんでした。鳥井正晴先生・仲秀和先生・村田好哉先生も見えていた。鳥井先生や仲先生は、電車で来たということで6時間かかったという。
木村「どーして飛行機を使わないんですか」
鳥井「私、飛行機は苦手」
村田「時間の無駄ですよ。僕なんか飛行機で1時間半で来られましたから。」
仲 「ホント。でも怖くなかった?」
村田「今日は結構揺れましたけど」
鳥井・仲両先生、ゾッとした表情。
それにしても熊本は暑かった。日中は25度以上になって、とても11月だとは思えなかったくらいだ。僕は車で行ったので、冷房を入れなければ我慢できなかった。しかし峠の茶屋の方は山と言うこともあって、随分涼しかった。カーブも多いので別の意味でも涼しかったのだが。それにしてももう少し市内に案内表示があっても良いのではないか。「熊本城」があるだけで、市民会館はどういけばよいのかさっぱり分からなかった。宇部市ではちょっとした建物の案内はちゃんと道路上に示してある。観光をあてこんでいるのなら、もう少し考えたほうがいいだろう。あっ、観光といっても「熊本城」くらいか。それなら、もうすこし他の案内も増やしてくれ!といいたい。
身辺記@日本近代文学会関西支部大会
付MACな人々
11月9日。僕は方向音痴で、花園大の近くで迷っていたところ、洛星の元の教え子である申君と西村亮君に出会い、彼らのお導きで花園大までたどり着けた。彼らももうH3で、2/10には卒業するということだ。二人とも理系進学をめざしいているということで、頑張って欲しい。
僕の学会参加の目的は、1つは漱石の研究発表を聞くためと、2にホームページを公開している信時哲郎氏(神戸山手女子短大)を見つけるためだった。もっとも学会に参加していられなければ目的は達成されないし、第一顔を判別できるか自信がなかったので、同僚の田口さんが来ているかどうかが大事なポイントだった。3には、友人達と旧交を温めるためだった。1では、司会をした北川扶生子さんに質問するように言われて、大変困惑したが、彼女への義理はなんとか果たせた。枝葉が多く、主旨のくみ取りにくい難しいご発表だった。透谷の発表は、早口でついていけなかったのが正直なところだ。詳しく資料を読んでおられて説得力もあるのに、残念なことだ。時間内で発表されたのだし、もう少し発表ということに工夫があっても良かった。樋口一葉の発表は、大変興味深く面白かったが、作品の1部だけを取り上げている分析で作品論としてもテクスト論としてもバランスが悪いのではないかと思われた。福永の発表は、大変落ち着いた聞き取りやすい発表だったが、作品の分析はともかく、そこと結びつけようとされていた福永の自分を見つめる内省の内実がどのようなものか、十分展開できていなかった様に思う。
信時さんには、田口さんの紹介で懇親会の時に会うことが出来た。苦み走ったいい男という第一印象で、どちらかというと理系の人のような感じを受けた。彼と話しているうちに、インターネットの「布教」活動をしようということになり、メールを出し合って今後の「謀略」の内容を考えていこうと言うことになった。 田口さんはパソコンなんてとてもという反応だったが、我々が「布教」対象として目を付けていることをどれくらい自覚しているのだろうか。「傘をさしている写真があって、今度は(今はVサイン)それを公開してくれ。可愛いと言われたんだ」と言われていたが、とてもお茶目な人だ。
懇親会では、パソコン所有について聞き取りも随意行っていた。結果は以下の通り(11月9日現在)。
身辺記@長門峡で紅葉狩り
11/18にGFと長門峡に行って来た。宇部から1:15でいける距離である。紅葉の名所なのだが、あまり紅葉していなくて、京都の嵐山のような「燃える秋」を想像していた僕は、随分裏切られた気持ちになった。しかしそこで会う人たちは互いに挨拶を交わし、情報を交換しあって(というのは、高低差のある山道が片道3kmほどあるので歩くのが大変)随分和やかな雰囲気があった。僕たちが2kmで諦めて帰途をたどっているときに、向こうから杖を突きつつやってきた、80だという腰の曲がったおじいさんが、終点にある川魚の料理屋にいくのだと言われたときは、思わず互いに顔を見合わせた。寒さと距離にバテて引き返していた僕は、80であの元気は無いだろうなとしみじみ自分の老後を考えてしまった。
それから僕らは津和野に行って、鴎外記念館・稲荷神社・北斎美術館を見てかえってきた。阿東町の道路沿いで販売しているリンゴを土産に購入したが、あのいやなワックスは塗っていなくて、果肉は瑞々しく、蜜が入っていてとてもおいしかった。焼きリンゴやアップルパイを食べたくなりました。