「門」論


      ーー〈和合同棲〉の行方ーー


               木村 功


    1

 〈着眼の仕方一つで、この作品はどのようにも理解できてくるようにみえる。〉@という指摘もあるよう
に、〈「門」は平明な作品のようでいて、少し立ち入ると、なかなか複雑な、作意のつかみにくい作品であ
る。〉Aといえよう。たとえば宗助と御米の夫婦関係については大きく二つの主張が認められるが、一つは
〈和合同棲〉(一三の五)の関係を認める見解であり、もう一つは逆に〈二人の人間関係の裂け目〉を認め
る意見なのである。前者には早くから、〈其の恋は(略)相当の分別のある人が、姦通の大罪を犯して迄も
之を得なければ生きて居られない程、必要な恋である。之を得た宗助とお米とは我々から見ると遥に幸福な
羨ましい身の上と云はなければならぬ。〉Bという谷崎潤一郎の指摘がある。江藤淳は〈しみじみとした夫
婦の愛情〉Cを読取り、内田道雄も〈このようにつつましやかな宗助、御米の交歓は、僕にはそれ自体見事
に完結した、いわば「息詰まるような明るさ」の世界だと思うのだ。〉Dと述べている。一方後者では、西
垣勤が〈この二人の姿は、自分の苦悩を相手に打ち明けるのは相手にとって無用なこと、いたずらに苦しま
せることにしかならない、という種の愛につつまれているのは言うまでもないがそれ以上を出るものではな
い。この二人の愛はそのレベルの愛に変っていっている、すでに裂け目が入って来ざるをえなくなって居る
という限定を付さなければならないだろう。〉Eと指摘する。近年でも石原千秋は、〈この夫婦にあっては、
                   ノンバーバル・コミュニケーション
交わりは言葉や表情に顕在化され、拒否は非言語的交通や沈黙の底に押し隠されているのである。宗助の姿
勢も御米の微笑も、そのようなダブル・バインドの表現なのだ。〉Fとしている。しかしまた余吾育信は、
「門」の語りが〈宗助と御米を「夫婦」として一括して語り出すことが多い。宗助も御米も《個》/差異と
して示されるのでなく、《対》/同一性として読者に提示されるのである。《 語り》のこの志向性は終始変
わることなくテクストを貫いている。〉Gと、依然二人の結びつきを認めている。このように宗助と御米の
関係の内実については、いまだに定説が存在しない現状と言えよう。
 本論では、宗助と御米の夫婦関係の内実を闡明することを目的とし、併せてその関係を規定する「門」の
語りの問題についても言及したい。

   2

 「門」で物語られる宗助と御米の関係を検討する場合、物語の構成要素の一つである時間に留意する必要
があるだろう。すなわち「門」の世界を、今現在の時間と〈昔〉の時間というという二つの時間軸が貫いて
いることである。なかでも〈昔〉が物語られる第四章に始まり、第一三章と第一四章、第一七章が上げられ
る。とりわけ夫婦の過去に関する章段として、第一三章と一四章は詳細に物語られる。この点からも〈昔〉
の時間は「門」の物語の構成上大きな意味を持っている時間であると考えられよう。しかし〈昔〉の時間に
着目するのはそれだけの理由からではない。以下用例は一部にとどめるが、この時間軸を物語る語り手が宗
助だけの〈昔〉を物語る場合はともかく、御米が登場してきてからは、宗助と御米を目して〈夫婦〉〈二人〉
〈彼等〉という呼称で括りだしていることに注目したい。

・ 二人の間には諦めとか、忍耐とか云ふものが断えず動いてゐたが、未来とか希望と云ふものゝ影は殆ん
 ど射さない様に見えた。彼等は余り多く過去を語らなかつた。時としては申し合はせた様に、それを回避
 する風さえあつた。(略)
  彼等は自業自得で彼等の未来を塗抹した。だから歩いてゐる先の方には、花やかな色彩を認める事が出
 来ないものと諦めて、たゞ二人手を携えて行く気になつた。(四の五)
・ 彼等は、日常の必要品を供給する以上の意味に於て、社会の存在を殆んど認めてゐなかつた。彼等に取
 つて絶対に必要なものは御互丈で、其御互丈が、彼等にはまた充分であつた。彼等は山の中にゐる心を抱
 いて、都会に住んでゐた。
  (略)彼等の生活は広さを失なふと同時に、深さを増して来た。(略)彼等の命はいつの間にか互の底
 に迄食ひ入つた。二人は世間から見れば依然として二人であつた。けれども互から云へば、道義上切り離
 す事の出来ない一つの有機体になつた。二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至る迄、互に抱
 き合つて出来上がつてゐた。(一四の一)(傍線引用者)

 語り手が宗助と御米の固有名詞を用いることよりも、二人をワンセットで括りだす呼称を多く選ぶことに
より、宗助と御米が〈昔〉あるいは〈罪〉意識に基づく親密な共生関係を結んでいることが浮かび上がって
くる。とりわけ〈二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至る迄、互に抱き合つて出来上がつてゐ
た。〉という一文は、安井への〈罪〉意識に基づいた宗助と御米の強固な結びつきを示す表現と言えよう。
以上から、語り手が〈昔〉もしくは〈昔〉から現在にいたる迄の回想時間を物語る場合は、〈二人〉〈彼等〉
という呼称を多く用いることで、宗助と御米の〈夫婦は和合同棲といふ点に於て、人並以上に成功した〉(
一三の五)関係を物語っていることが明らかになった。
 それではもう一方の、現在時の夫婦関係はどうであろうか。こちらの関係を検討するにあたっては、二人
に介在し二人の価値観をあぶりだす人物や物などを考察の指標としたい。 その第一は小六である。小六は
学資問題を抱えて佐伯家と宗助の家を往復し、宗助は兄として弟の学資問題を解決しなければならない立場
にある。前半の「門」の物語は、この小六の移動によって展開していく。

・ 此青年は、至つて凝り性の神経質で、斯うと思ふと何所迄も進んで来る所が、書生時代の宗助によく似
 てゐる代りに、不図気が変ると、昨日の事は丸で忘れた様に引つ繰り返つて、けろりとした顔をしてゐる。
 其所も兄弟丈あつて、昔の宗助に其侭である。(略)
  宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び 蘇生して、自分の眼の前に活動してゐる様な気がしてならな
 かつた。時には、はらはらする事もあつた。又苦々しく思う折もあつた。さう云ふ場合には、心のうちに、
 当時の自分が一図に振舞つた苦い記憶を、出来る丈屡呼び起させるために、とくに天が小六を自分の目の
 前に据ゑ付けるのではなからうかと思つた。さうして非常に恐ろしくなつた。(四の二)(傍線引用者)

 今まで殆ど生活を共にすることのなかった弟が垣間見せる言動に、宗助はかつての自分の言動との類似を
認めている。そしてそれは宗助にとって〈昔の自分が再び蘇生〉することであり、恐怖を覚える程に現在の
宗助を脅かすのである。
 一方御米にとっての小六の意味については、すでに前田愛に卓見がある。前田は〈中心に茶の間があり、
宗助・御米・下女の部屋が三方に分岐(要確認)しているという安定した居住空間の構造は、宗助夫婦の《
いま》と《ここ》を見えないところで支えている。〉とし、〈《ここ》の安定した構造は、学資の供給を絶
たれた小六の同居をきっかけに軋みはじめる。六畳の居間を小六に譲りわたした御米は、自分の居場所を失
った〉と述べた。さらに前田は、〈御米の居間〉が今までの生活の〈負の痕跡があつめられている〉〈もっ
とも深い翳を淀ませている場所〉であるとしている。したがって〈小六の同居は、宗助夫婦の家にたたみこ
まれていたこの無意識の領域への侵犯〉であると意味づけた。
 しかし説得的な前田の指摘も、宗助夫婦対小六という図式に束縛されて、宗助と御米の生活時間の差異に
までは言及できていない。というのも、宗助が崖下の家で過ごす時間は帰宅後と日曜日の時間だけであり、
御米が家で過ごす時間に比べると格段に少ないのである。言い換えれば、宗助よりも御米の方が、家と深く
関わった生活を送っているといえよう。宗助の生活が役所中心に営まれているように、主婦である御米のそ
れは家が中心なのである。この意味で小六が侵犯したのは、夫婦の領域というよりもむしろ御米の領域と解
した方がより正確であろう。宗助が日中在宅することがないのに書斎を持ち続け、下女の清でさえ自分の部
屋を所有するしているのに対し、四六時中在宅する主婦である御米が自分の占有する空間を失ってしまう事
の意味は軽視できない。

 御米は又頭が重いとか云つて、火鉢の縁によりかゝつて、何をするのも懶さうに見えた。斯んな時に六畳
  が空いてゐれば、朝からでも引込む場所があるのにと思うと、宗助は小六に六畳を宛がった事が、間接に
 御米の避難場を取り上げたと同じ結果に陥るので、ことに済まない様な気がした。(九の四)(傍線引用
 者)

 小六の存在は、御米の生活を空間的に圧迫するだけに留まらない。遡れば小六が寮を引き払う前の夫婦の
会話で、宗助が〈丁度此方が迷惑を感ずる通り、向ふでも窮屈を感ずる訳だから。おれだつて小六が来ない
とすれば、今のうち思ひ切つて外套を作る丈の勇気があるんだけれども」〉と述べているのに対し、語り手
は〈宗助は男丈に思ひ切つて斯う云つて仕舞つた。けれども是丈では御米の心を尽くしてゐなかつた。〉(
六の二)と、小六を介在させた夫婦の間に横たわる意識の懸隔を明示していたのである。それでなくとも〈
御米には、自分が初めから小六に嫌はれてゐると云ふ自覚があつた。それでも夫の弟だと思ふので、成るべ
くは反を合せて、少しでも近づける様にと、今日迄仕向けて来た。〉(同)という経緯がある。小六に対す
る御米の感情の内実を宗助は十分認識しているとはいえないのであり、この点での夫婦の懸隔は軽視できな
い。
 以上の考察から宗助における小六の意味としては、過去の宗助の姿を〈蘇生〉させ現在の宗助に脅威を与
える存在としての意味が認められる。一方御米にとっては、彼女固有の生活空間の侵犯者であるばかりでは
なく、彼女を精神的にも圧迫する存在なのである。このように小六の同居は、宗助と御米のそれぞれに固有
の内面世界を浮かび上がらせるとともに、その意識の懸隔を読者に示している。
 この小六の同居は、物語の次の展開を促している。学資問題と野中家の家産処分の問題について佐伯の叔
母を訪ねた折に、宗助は酒井抱一の屏風を見いだす。抱一の屏風の機能については、吉川豊子に〈それは既
に失われた、世界と宗助との親愛関係を象徴する、宗助父子の失われた親愛関係の思い出が篭められている>I
とする指摘があり、〈屏風は、宗助にとって、彼が社会的な罪を犯す前の生活の象徴である。〉Jとする牧
野陽子の見解が続く。次いで屏風の満月のイメージに着目した勝田和学は、〈抱一の屏風はその満月の絵柄
が象徴的に示すように、かつての野中家の栄華、宗助の失われた至福の時間を蘇らせるものである。〉Kと
している。三者の見解に共通するように、屏風は〈昔〉の平穏な時間を包蔵するものである。小六によって
〈昔〉の自分が〈蘇生〉した宗助は、その小六の学資問題に導かれて、佐伯の家で野中家所有の骨董、いう
なれば〈昔〉の断片を見いだす。

  父は正月になると、屹度此屏風を薄暗い蔵の中から出して、玄関の仕切りに立てて、其前へ紫壇の角な
 名刺入れを置いて、年賀を受けたものである。其時は目出度からと云うので、客間の床には必ず虎の双幅
 を懸けた。(四の一)

 宗助の脳裡には屏風を契機にして、野中家の正月風景という〈昔〉の時間が現出する。しかし宗助には意
味的な屏風も、御米にとっては〈斯んなものを珍重する人の気が知れないと云う様な見えをした。〉(六の
三)とあるように場塞ぎで邪魔な骨董に過ぎず、それは適当な値さえ付けば金銭に代替し、生活の不足物資
を補うべき品なのである。そういう御米に宗助は、〈けれども親から伝はつた抱一の屏風を一方に置いて、
片方に新らしい靴及び新しい銘仙を並べて考へてみると、此二つを交換する事が如何にも突飛で且滑稽であ
つた。〉(六の五)と売却に抵抗を示す。石原千秋も〈この屏風は宗助にとってかけがえのないたった一つ
の《家》の記憶であった。〉とし、その一方で〈御米は屏風売却の発案者として、自ら知らずに内部から《
家》をこわす力を働かせていたのである。〉Lと把握しているように、屏風を間に置いた宗助と御米の意識
のベクトルは交わることのない志向性を示している。したがってここに、「門」における屏風の果たす機能
が認められよう。すなわち屏風によって宗助の意識はさらに〈昔〉の引力にとらわれ、御米はそういう宗助
の心情を理解することなくただ夫への遠慮から慎ましく口を閉ざすだけなのである。宗助の家の正月を知ら
ない御米は今ある屏風の姿を評価するしかないのであり、それも結局は現在の生活のために古道具屋との交
渉へと発展していく程度の理解なのであった。このように屏風も、夫婦の意識の懸隔を読者に示しているの
である。
 やがて古道具屋に売却された屏風は、家主の坂井によって買い取られ、泥棒の一件に始まった宗助と坂井
の交際が濃やかになるのを助長する。この坂井との交流によって〈宗助は此楽天家の前では、よく自分の過
去を忘れる事があつた。さうして時によると、自分がもし順当に発展して来たら、斯んな人物になりはしな
かつたらうかと考へた。〉(一六の二)りするのであった。坂井との交際も宗助自身が振り捨てた昔を追想
させ、有りえたかも知れない人生を夢想させている。そしてそれは安井をめぐる御米との〈昔〉へもきわど
く遡及していくことに他ならない。そのためか坂井の家には、屏風や子供、頭髪を真ん中から綺麗に左右に
分けた織屋(安井を暗示)など、宗助と御米の〈昔〉に関わる象徴が集まっているのである。年が明けてか
ら坂井が安井の到来を告げることも考慮すると、坂井は宗助の今と〈昔〉を結び付ける、その名の通り今と
〈昔〉の境(サカイ)の役割を果たしているといえよう。その中でも坂井の子供達によって、宗助と御米は
〈昔〉失った自分達の子供を想起させられるのである。

 夫婦の話はそれから、(略)仕舞に其家庭の如何にも陽気で、賑やかな模様に落ちて行つた。宗助は其時
  突然語調を更へて、
  「何金があるばかりぢやない。一つは子供が多いからさ。子供さへあれば、大抵貧乏な家でも陽気にな
  るものだ」と御米を覚した。
  其云ひ方が、自分達の淋しい生涯を、多少自ら窘める様な苦い調子を、御米の耳に伝へたので、御米は
  覚えず膝の上の反物から手を放して夫の顔を見た。(一三の三)

  坂井の子供達の〈(略)騒ぐ声が、能く聞えると、御米は何時でも、果敢ない様な恨めしい様な気持ちに
なつた。〉(五の一)とあるように、〈御米には自分と子供とを連想して考へる程辛い事はなかつたのであ
る。〉(同)。宗助の不用意な発言は、御米を深く傷つける。このエピソードも多くの論者が指摘するよう
に御米に対する宗助の意識の懸隔を示す指標にほかならない。このように坂井との交流は、宗助と御米の〈
子供〉をめぐる意識の懸隔、ひいては宗助の御米に対する意識の希薄さを如実に顕在化させることになる。
 そればかりではない。交誼を重ね、年が改まった正月七日、宗助は坂井の口から安井の到来を告げられる
が、それを御米に秘匿することで自ら関係の懸隔を拡げていくのである。このように小六→抱一の屏風→坂
井(子供)→安井という経緯を辿りながら、現在の宗助夫婦の関係の空隙が読者に漸次提示されていた。宗
助御米夫婦の〈昔〉を回想して語る語り手が〈和合同棲〉の関係を物語るのに対し、この夫婦の現在を物語
る語り手は夫婦の懸隔を物語っているといえよう。明らかに志向性の異なるこの二つの語り手を、便宜的に
「過去の語り手」と「現在の語り手」と読んでおくが、「門」はこのような相反する語りを複合させ、作品
世界を生成していくテクストであるといえよう。
 更にいえば、読者は作品世界の時間進行を読み取りながら、いつの間にか宗助と御米を結び付けた運命の
始源へ逢着する。この意味においては、「門」は今現在の時間の進行と共に〈昔〉の時間が順次手繰り寄せ
られ蘇生してくる、逆比例する時間経過の二重構造を蔵しているといえる。時間軸と語り手を複合させるこ
とで作品世界を重層化し、登場人物の形象も陰翳の度を増すわけである。

   3

 宗助御米夫婦の過去の秘密が明らかになった時点で「門」が終結しないことは、物語の主題が夫婦の秘密
の開示というよりも、夫婦関係を宗助と御米が〈昔〉と今現在を通してどのように生きているのか物語るこ
とにあるからだと思われる。前節までの考察で〈昔〉は〈和合同棲〉の関係を生きていた夫婦に、現在は空
隙が生じていることが明らかになったが、以降その関係の変化を二人がどのように生きているのか検証して
いきたい。

  御米のぶらぶらし出したのは、秋も半ば過ぎて、紅葉の赤黒く縮れる頃であつた。京都に居た時分は別
 として、広島でも福岡でも、あまり健康な月日を送つた経験のない御米は、此点に掛けると、東京へ帰つ
 てからも、矢張り仕合せとは云へなかつた。(一一の一)

 この御米の病気は、宗助御米の関係に生じている懸隔の指標である小六・屏風・坂井(子供)の叙述の後
に続いている。御米の病気は二人の関係に生じた懸隔に対して、どのような意味を持つのであろうか。
 御米が病に倒れた夜、宗助は医者を呼び小六と共に看病に当たる。翌日役所に出ても〈自然御米の病気が
気に罹る〉(一二の一)ので早退し、薬のために眠り続ける御米を案じるのである。やがて御米は無事に回
復し、宗助は安堵する。

 (略)宗助は、蘇生つた様にはつきりした妻の姿を見て、恐ろしい悲劇が一歩遠退いた 時の如くに、胸
 を撫で卸した。然し其悲劇が又何時如何なる形で、自分の家族を捕へに来るか分らないと云ふ、ぼんやり
 した掛念が、折々彼の頭のなかに霧となつて懸かつた。(一三の一)(傍線引用者)

 このように病気は宗助の御米に対する配慮を浮かび上がらせ、一見二人の揺るぎない関係を読者に印象づ
けるようではある。しかし宗助には、〈悲劇〉への〈ぼんやりした懸念〉が生じており、それは御米の全く
与り知らぬ所で不安を形成していくのである。御米が病気を経て平常に復したのに対し、宗助は御米の病気
を経て、逆に平常を失ったのだとも言えよう。それは散髪を終えて坂井を訪問したに宗助が、その場にいた
髪の毛が〈頭の真中で立派に左右に分けられてゐる〉(一三の一)織屋から銘仙を買い求めて御米を喜ばせ
たはずが、坂井の家庭の話題から二人にはタブーである子供のことを、前節のように口走ってしまうからで
ある。
 宗助の発言は御米の感情をいたく刺激し、ついには以下のような御米の告白を導くことになる。ここで語
り手は、御米が告白したこととそうしなかったことを、周到に読者に示し懸隔を読み取らせようとしている。

  御米の夫に打ち明けると云つたのは、固より二人の共有してゐた事実に就てではなかつた。彼女は三度
 目の胎児を失つた時、夫から其折の模様を聞いて、如何にも自分が残酷な母であるかの如く感じた。自分
                                             アカルミ
 が手を下した覚がないにせよ、考へ様によつては、自分と生を与へたものの生を奪ふために暗闇と明海の
 途中に待ち受けて、これを考察したと同じ事であつたからである。斯う解釈した時、御米は恐ろしい罪を
 犯した悪人と己を見做さない訳には行かなかつた。さうして思はざる徳義上の呵責を人知れず受けた。し
 かも其呵責を分つて、共に苦しんで呉れるものは世界中に一人もなかつた。御米は夫にさへ此苦しみを語
 らなかつたのである。(一三の七)(傍線引用者)

 御米が宗助に告げたのは〈徳義上の呵責〉ではなく、〈「貴方は人に対して済まない事をした覚がある。
其罪が祟つてゐるから、子供は決して育たない」〉という〈易者の判断〉(一三の八)の方であった。御米
は易者の言葉によって、流産の背景に〈人に対して済まない事をした〉過去の〈罪〉を見て取らされ、この
判断を受け入れることで御米固有の〈徳義上の呵責〉の問題を夫婦の問題として捉え直し、宗助に打ち明け
るのである。言い換えれば、御米は易者の言葉を発条にして自らに原因する死産の〈罪〉の問題を、宗助と
共有するへ置き換えたのである。それではなぜ御米は、死産の問題を〈昔〉の〈罪〉の問題と結び付けて解
釈しようとするのか、という疑問が生じよう。
 宗助の口から子供の話を聞くのは、御米にとって三度も子をなしえなかった自分の負い目を突き付けられ
ることである。宗助がそのような発言をするのは、子供の死産の問題を夫婦としては勿論自分の問題として
も認識していないからである。〈「是れでも元は子供が有つたんだがね」と、さも自分で自分の言葉を味は
つてゐる風に付け足して、生温い眼を挙げて細君を見た。御米はぴたりと黙つて仕舞つた。〉(三の三)と
いう場面にも窺えるように、宗助には子供の問題について御米に配慮する姿勢が認められない。御米の微妙
な心情も宗助には通じていないのである。子供の問題について宗助との意思の疎通が出来ていない御米にと
って、〈昔〉の〈罪〉の問題を提示する易者の発言は、宗助も子供の問題に無関係ではないことを教えてく
れたのであり、それは御米にとって宗助への負い目を解消する契機となったのである。子供が出来ない責任
は、御米だけではなく宗助にもあるという考えほど御米を安堵させるものはない。〈罪〉によって結び付け
られた二人は、子供問題についても〈罪〉を共有すべきなのであり、ここに御米が宗助に告白する理由があ
る。更に言えば、御米は〈罪〉の確認によって子供の問題は勿論、夫婦を結ぶ「絆」をも強固なものにしよ
うとしていたと考えられよう。一方宗助の側にしてみれば、この告白は要らざる〈罪〉の確認としか言いよ
うがないものであり、それは告白を終えた御米を鷹揚な態度でなだめる宗助の態度に窺える。
 しかし宗助がやり過ごしたかに見えるこの御米の〈罪〉の確認こそは、安井登場のための周到な伏線であ
った。坂井の弟と共に帰国するという忌まわしき〈昔〉/安井の登場によって、〈自然の恵から来る月日と
いう緩和剤の力丈で、漸く落ち付いた。〉(一七の一)だけの宗助の日常性は、もろくも崩れ始める。

  此二三年の月日で漸く癒り掛けた創口が、急に疼き始めた。疼くに伴れて熱つて来た。再び創口が裂け
 て、毒のある風が容赦なく吹き込みさうになつた。宗助は一層のこと、万事を御米に打ち明けて、共に苦
 しみを分つて貰はうかと思つた。(一七の一)

 しかし、宗助は安井の到来を御米には告げなかった。この点について柄谷行人は、〈二人の罪悪感は異質
である。〉とし、〈彼女もまた傷を負って生きてきたのだが、宗助の傷は彼女の知りえないところにある。
彼はいわば関係において傷ついたのであり、相手の男(安井)の接近がもたらす不安は、御米を疎外するの
である。/このような両者の疎隔は、不可避的なものである。〉Mと指摘する。たしかに宗助が安井から御
米を奪った男であり、御米は奪われた女である事を考慮すると、二人の〈罪〉の内実はその関係の当初から
相異なっており、それゆえに違った罪悪感を醸成していったと考えられよう。

  宗助と御米の一生を暗く彩どつた関係は、二人の影を薄くして、幽霊の様な思を何所に抱かしめた。彼
 らは自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでゐるのを、仄かに自覚しながら、
 わざと知らぬ顔に互と向き合つて年を過した。(一七の一)(傍線引用者)

 米田利昭も〈(略)御米は、安井を裏切ったことを罪と意識しているだろうか。〉Nと述べているように、
宗助が安井の消息を御米に告げないのは、そのような〈罪〉意識の懸隔が二人の関係に横たわっているから
である。この懸隔を直視しないことで二人の〈和合同棲〉は辛うじて保たれていたと考えられるのである。
 そしてそれを裏付けるような記述が、宗助が参禅する場面の中に認められる。安井の到来に脅かされた宗
助が、〈積極的に人世観を作り易へ〉るため〈心の実質が太くなるもの〉(一七の五)を求めて参禅した翌
日、御米に宛てて手紙を認め、その手紙をポストに投函してから、〈(略)父母未生以前と、御米と、安井
に、脅かされながら、村の中をうろついて帰つた。〉(一八の五)と語り手が述べている箇所である。宗助
が御米にさえ回避的な姿勢を示し、それを〈脅かされ〉るというように語り手が注していることから、御米
に参禅の目的を打ち明けることもなく鎌倉に向かった宗助には、この時点で安井を想起させる御米から逃げ
るということが意識されていたのではないかと推察される。すなわち安井に対する罪悪感が宗助の中で膨れ
上がるにしたがって、その意識は不在の安井よりも眼前の御米に対する忌避の感情を育てたと思われる。似
た事例として「こゝろ」の先生がその遺書の中で、〈私は妻と顔を合せてゐるうちに、卒然Kに脅かされる
のです。つまり妻が中間に立つて、Kと私とを何処迄も結び付けて離さないやうにするのです。〉(下五二)
と、妻の静と向き合う度に亡友Kを見いだす苦衷を打つ訴えていたことが上げられよう。宗助には、御米を
忌避する感情が生まれているのである。宗助は御米と違って〈昔〉の〈罪〉や〈運命〉を共有しようとは決
してしないのであり、〈罪〉によって結びついていた筈の宗助夫婦の関係に生じた懸隔がいよいよ顕在化し
てきているのである。この意味で〈和合同棲〉の関係を認めることは到底不可能と思われる。事実帰京した
〈憫然な姿〉(二二の一)の宗助に対し、〈御米は如何な場合にも夫の前に忘れなかつた笑顔さへ作り得な
かつた。〉(同)と語り手は指摘している。さらに末尾に示された春の到来を喜ぶ御米に対して〈「うん、
然し又ぢき冬になるよ」〉(二三)と応じる宗助の態度には、〈和合同棲〉の境地からの乖離が見て取れる
のである。
 〈昔〉の〈罪〉ゆえに〈道義上切り離す事の出来ない一つの有機体〉として結び付けられた宗助と御米で
はあるが、その〈罪〉を御米は子供が出来ない現実と結び付けて宗助と共に生きようとし、宗助は〈罪〉を
回避する方向で生きようとするがゆえに御米から離れて行くのである。この意味で「門」は、かつて〈和合
同棲〉の関係を育んだはずの宗助御米の夫婦関係の亀裂を物語っていたといえよう。したがって宗助夫婦の
関係の内実は、現在と〈昔〉とでは相違するものと考えなければならないわけである。すなわち、〈昔〉を
回想して語る語り手は宗助と御米を一括りにして語ることで、宗助と御米の〈和合同棲〉の関係を提示して
いる。一方で物語の時間の大部分を占有する現在を語る場合の語り手は、二人の平穏な生活の中に胚胎した
関係の空隙を読者に示しているのである。従来説かれていたような親密な関係だけが物語られていたのでも
なければ、関係の解体だけが物語られていたのでもない。読者は、ふたつの時間軸と二つの語り手が複合す
る構造を持つ「門」において、同一の夫婦の現在と過去の関係の様態を同時的に認識し、二人の得たものと
失っていくものの内実を把握するのである。それはかつて過去の〈罪〉によって結び付いた夫婦が、その〈
罪〉によって次第にその関係を変容させていく緊迫した様相を、目の当たりにすることに他ならない。夫婦
関係を中心に、人間関係の相克を剔抉した後期作品への端緒は、すでに「門」において開かれていたといえ
よう。


  @ 畑 有三「『門』」『国文学』昭和四六・四。
 A 重松泰雄「『門』の意図」『漱石 その歴程』一九九四・三、おうふう。
 B 谷崎潤一郎「『門』を評す」『新思潮』明治四三・九。
 C 江藤 淳「『門』ーー罪からの遁走」『決定版夏目漱石』一九七四・一一、新潮社。
 D 内田道雄「『門』をめぐってー夏目漱石論(二)」『古典と現代』3、一九五八・四。
 E 西垣 勤「門」『漱石と白樺派』一九九〇・六、有精堂。山本勝正も、〈言葉の矛盾を恐れずにいえ
  ば、漱石はこの小説において夫婦愛を描くと同時に、夫婦間の断絶をも描いているのである。〉として、
  〈御米が、宗助との「関係の断絶」を意識している具体的な例として、彼女の、子供に対する「過去」を
  挙げることができる。〉と述べ、宗助についても〈彼は、安井によってもたらされたこのような苦しみを、
  決して妻の御米には打ち明けないのであり、それは、御米が子供に関する苦しみを宗助に明確には打ち明
  けなかったという事実より以上に重い意味を持っている。〉(「漱石の『門』の世界」『人文論究』21巻
  4号、関西学院大学人文学会、昭和四六・一二)と指摘している。
 F 石原千秋「〈家〉の不在ー『門』論」『日本の文学』8、一九九〇・一二、有精堂。
 G 余呉育信「身体としての境界ー『門』論」『愛知大学国文学』31、平成三・七。
 H 前田 愛「山の手の奥」『都市空間の中の文学』一九八二・一二、筑摩書房。
 I 吉川豊子「『門』覚書き」内田道雄・久保田芳太郎編『作品論夏目漱石』昭和五一・九、双文社。
 J 牧野陽子「『門』のなかの闇」『比較文学研究』32、昭和五二・一一。
 K 勝田和学「夏目漱石『門』の方法」小林一郎編『日本文学の心情と理念』平成一・二、明治書院。
 L 注Fに同じ。
 M 柄谷行人「『門』について」『批評とポスト・モダン』一九八五・四、福武書店。
 N 米田利昭「異空間へー『門』」『私の漱石』一九九〇・八、勁草書房。

 【付記】
  「門」本文の引用は、『漱石全集』第六巻(一九九四・五・九、岩波書店)による。また引用に際して
  は、漢字の旧表記を現行のものに改め、一部を除いてルビを廃した。