日本近代文学ML Q&A

 いままで当MLでどのような質疑応答が交わされたのか,主要なものを紹介します。

質問

回答

Subject: LONDON
From: takalin <takalin@mitene.or.jp>
Date: Sun, 25 Jan 1998 21:51:16 +0900
Subject: RE: [areasoseki:14] LONDON
From: 木村 功<kimura@pub.ube-c.ac.jp>
Date: Mon, 26 Jan 1998 16:25:09 +0900
 

 

明治二十三年頃のロンドンについての情報を調べるには
どうしたらよいか、ご存じの方が居られましたら、ご教示ください。
特に物価や、当時の留学生がどの程度の費用でどの程度の生活
をしていたかが知りたいのです。
また、当時の地図などが見られると、尚有り難いのですが・・・ 
もちろん、時期は多少ずれますが、漱石関連のものなど、
参考になりそうなものがありましたら、教えていただきたいのです。

藤堂尚夫
<takalin@mitene.or.jp>
http://www.mitene.or.jp/~takalin/



あたりがありました。「南方熊楠全集別巻2」平凡社1991.11.25を
ご覧下さい。熊楠の「ロンドン日記」(1895)など当時の日記が
入ってます。P.232には,日記と関連した1900年頃のロンドンの
市街図が掲載されてます。
 日記によると,渡英当時熊楠は,「一週間食付十三志(シリング),
食無しは十五志也」という所に下宿してました。当時部屋代は1週
間毎の支払いです。食事が付かないのに値段が上がるのは,或い
は誤記かもしれません。2月には5志の部屋に移ってます。

 生活費ですが,9月に着いて,12月17日に国から書留で「百五十
円(二十一磅八志二片)」送金を受けた記載があり,翌1月21日にも
送金「十三磅七志」を受けています。※「磅」はポンド

 家計簿や食事の内容についても言及があり,熊楠の生活ぶりが
彷彿とします。女性もお読みなので,そのほかの尾籠な話は控え
ます。

注意;巻頭熊楠のデスマスクがいきなり目に飛び込んできますので
ご注意下さい。
Subject: [areasoseki:61] about 成立学舎
From: takalin <takalin@mitene.or.jp>
Date: Wed, 11 Feb 1998 21:21:30 +0900
Subject: [areasoseki:63] 成立学舎について
From: paperfish <paperfish@geocities.co.jp>
Date: Thu, 12 Feb 1998 00:35:09 +0900
藤堂です。またまたヘルプのメールです。

漱石は、二松学舎を辞めて成立学舎で受験勉強をしたようですが、
この学校は、どこにあったのでしょうか?
この学校と神田英学舎または神田英学塾という学校について、
情報があれば。お教えください。
【成立学舎】
 例えば現行の『漱石全集』25巻の注解では、「大学予備門受験者のための予備校。明治十五年七月に、笹田惣右衛門が設立を願い出て開設された私塾。」と記されています。これだけでは情報不足で好く判らないですよね。なお現行の『漱石全集』27巻p603下では、明治16年の記載で「秋頃 大学予備門受験のため、神田駿河台の成立学舎に入学した」とありますから、この時期の「神田駿河台」の古地図を調べれば番地も判るのではないでしょうか。
 夏目漱石自身は、「落第」(『中学文芸』1巻4号、明治39年6月20日付)、「僕の昔」(『趣味』2巻2号、明治40年2月1日付)、「一貫したる不勉強・・私の経過した学生時代」(『中学世界』12巻1号、明治42年1月1日付)などの談話で「成立学舎」にコメントしています。
 なかでも、「僕の昔」では、「その中に僕は中学へ這入つたが途中でよして仕舞つて大学へ入る準備の為め駿河台に其頃あつた成立学舎へ這入つた、其頃の友人には大分エラクなつた奴がある」と述べています。これは臆測ですが、漱石と同時代人の文学者の明治文学全集の各巻にある年譜を調査すると、案外「成立学舎」とニアミスした人物もでてくるのではないでしょうか。 
 また文脈は若干はずれますが、矢崎鎮四郎(嵯峨のや主人)は、女子教育に言及した「世の中」(『婦女雑誌』14-23号、明治26年7-12月)で、「東京市内、女学校も数多し、先づ番町に明治女学校あり、永田町に華族女学校あり、虎の門に東京女学館あり、築地に東京府高等女学校あり、一ツ橋に東京高等女学校あり、其他成立学舎の女子部を始めとして、其数枚挙に暇あらず」と記述していますから、どうやら明治26年の時点では女子部があったようですね(引用は明治文学全集17巻参照)。
Subject: [areasoseki:196] 「網走まで」のパックとは?
From: 渡辺 知明 <w-tomo@mxu.meshnet.or.jp>
Date: Sat, 13 Jun 1998 09:14:10 +0900
Subject: [areasoseki:197] Re: 「網走まで」
From: takumi@mxd.meshnet.or.jp (木村 功)
Date: Sat, 13 Jun 1998 14:32:53 +0900
渡辺知明です。

 みなさん、こんにちは。今回は志賀直哉「網走まで」に登場する
用語についてのご質問です。

「男の子は黙った首肯いた。母は包みの中から四五冊の本を出して
やった。中には古いパックなどが有った。」(新潮文庫28ページ)

 この「パック」というのはなんでしょうか。「ハ」は濁音でなく、
半濁音です。ある人は、当時のマンガの主人公の名ではないか、
ある人は漫画の包みのことだといいますが、どれもアイマイです。
どうぞ、お教えください。

1998/06/13(土)
**************************************************
東京都品川区旗の台
渡辺 知明〈わたなべ ともあき〉
E-mail Adress w-tomo@mxu.meshnet.or.jp
Web Page http://www2s.biglobe.ne.jp/~kotoba/
**************************************************

 

 

木村です。

渡辺 知明 さんは書きました:
>「男の子は黙った首肯いた。母は包みの中から四五冊の本を出して
>やった。中には古いパックなどが有った。」(新潮文庫28ページ)
>
> この「パック」というのはなんでしょうか。「ハ」は濁音でなく、
>半濁音です。ある人は、当時のマンガの主人公の名ではないか、

 「日本国語大辞典」(小学館)によると,
<明治時代に出版された漫画雑誌の標題の一部としてもちいられた語。
「東京パック」「楽天パック」など。>とあります。
 漫画雑誌が入っていたということですね。