「紀州の方、和歌山の方、まあ大きい星出まんのや。紀州のみかん星いう。紀州のみかん星出たら間ないわ。夜明けてくる。南の山のちょっと上に、紀州の山の上に見えるから紀州のみかん星」
Iさんは、秋の3時頃紀州の方に輝くカノープスを紀州のみかん星と呼んだのです。
「メラボシというのはね、メラという言葉はね、休むという意味を含んでいるわけなんだ。この南極の星が見えれば舟は休みだ。これはだめだな。メラになっちゃうな、こう言ったんだ」
Yさんは、カノープスを見たことがあるという場所に案内してくださいました。ゆるやかな坂をのぼったところで「あそこだ!」と教えてくれました。南中高度は、大気差を考慮してもわずか0゜.9で、神戸よりもさらに低くて条件は悪いのですが、見事に観察していたのです
年 | 天の北極との距離 | 年 | 天の北極との距離 |
1900年 | 1゜.2 | 1000年 | 6゜.2 |
1600年 | 2゜.9 | 700年 | 7゜.9 |
1300年 | 4゜.5 |
東京都奥多摩の郷土資料館の前で日食供養塔に出会いました。奥多摩には、「日食は村に疫病のはやるのをお天道さまが代わりに病んでくださったものだ」という伝承が伝えられています。村人の代わりに病気になった太陽を供養してつくられたのが日食供養塔なのです。
日食供養塔には、寛政11(1799)年とありますが、その年には東京付近から見られる日食は起こっていません。その前に起こった次の日食を供養した可能性があります。
年月日 | 食分(江戸) |
1786年1月30日 | 10 |
1789年11月17日 | 5 |
1795年1月21日 | 8 |
1796年7月5日 | 6 |
1798年11月8日 | 5 |
日食供養塔は、もともとは東京都奥多摩字大原の恵日山門覚寺の前にあり、ダム建設のために水没するところでした。
しかし、幸いにも、出野バス停付近に移動させ、さらに保存のために、奥多摩郷土資料館の前に移転させられました。
天体に関する民俗文化財をたいせつにする地域の人々に感動させられました。