天文民俗学試論(10)


5.環境としての星               
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一

 福井県小浜市のAさん(注1)は、「19か20まではな、まるっきり昔の仕事やった。今みたいに岸壁じゃなしに砂浜やったわいな。砂利の出具合を見たり、小さい川やけど川の流れの具合を見たりして、商売行ったもんや」と語った。砂利の出具合や川の流れ、さらには植物や動物…、それらのひとつひとつがAさんにとって生業に密着した自然環境であった。そして、星ぼしも生業に密着した自然環境のひとつであった…。

「秋になってね、タナバタの入りに景色が変わるてな。スバリの入りには霜がおりるとかね。カラツキの入りには雪がふるとかね」

 Aさんによると、夜明け頃にタナバタ(織女と牽牛)が入る(注2)時季に天候が悪くなり、スバリ(プレアデス星団)の入る旧の10月頃に霜がおり、カラツキ(オリオン座三つ星)の入る旧の11月頃に雪がふった。星ぼし、霜、雪…、それらが共に繰り広げる自然環境のなかで、人びとは星の伝承を語り、繊細な感性を育んだのである。

「サンジョがかげればつもりがふるって…」

 Aさんと同様、群馬県利根郡水上町藤原平出のBさん(注3)も、オリオン座三つ星(サンジョ)(注4)が夜明けに沈む(かげる)頃になると雪(つもり)がふると伝えていた。

 ところで、人びとは生活の過程で、例えば木を伐ったりというように自然環境を変化させていかなければならないが、群馬県利根郡片品村戸倉のCさん(注5)は、その変化が無制限に行なわれなかったことについて、次のように伝えていた。
「12日は木を伐る仕事をひかえる。わきに枝が出て大きい枝になったとき、十二様のヤスミ木と言って伐ってはいけない。12日以外にももちろん伐ってはいけない。山のオコジョは十二様の使い。オコジョ見たら注意しなければならない。怪我でもしないように」

 伐ってはいけない日、木を伝承し、世代を超えて自然と共に生きてきたのだった。

 木を伐ってはいけない日だけでなく、魚をとってはいけない日を伝承していたケースがある。京都府丹後町間人のDさん(注6)によると、次のような伝承により七夕の日に漁を休むということが徹底させられていた。

「七夕祭のときは、一本釣りに出る場合には休みました。七夕さんのお祭りの日に出ますと、たくさん漁があって、喜んで帰ってきたら、よくそれが、スルメイカなんかがササになっとったり、木の葉になったりして、どう言いますか、昔の方々は化け物が化かしたと言います」

「そのちょうどササを流す時間に漁場から手漕ぎの船が帰ってくるんですね。そうすると、釣っているイカがナスビやウリになってたとか、ササになってたとか、木の葉になってたとか、そういう話を聞きました」

 ところが、生業に密着した豊かな自然環境としての星ぼしの見える環境が失われていく。

 千葉県船橋市のEさん(注7)は、「星はね、今みたいにこんなスモッグだの、こんなのねえ、よく見えたよ、ぎんぎらぎんに。昔はね、空気がきれいだからね、よく見えましたよ」と語った。また、千葉県浦安市のFさん(注8)も、東京湾の満天の星ぼしを思い出して語った。

「大正の頃はすごい星見えた。今、明るいからわからない。機械になる前の方が魚とれたよ」

 星ぼしと暮らす環境が失われた。機械の導入により魚もとりすぎていなくなった…。星の伝承を21世紀に伝えるとともに自然環境としての星をひとりひとりの生活のなかに取り戻すこと、それができればとてもうれしい。

(注1)筆者による調査。調査年月:1984年9月。話者生年:明治28年。

(注2)織女と牽牛は、出るときは約3時間も間隔があいているのに、沈むときは、ずっと間隔がちぢまりほぼいっしょに入る。

(注3)筆者による調査。調査年月:1980年12月。話者生年:明治26年。

(注4)Bさんは、3つの所、即ち三所(サンジョ)と伝えていた。同じ藤原平出のFさん(明治35年生まれ)は、三女(サンジョ)と伝えていた。サンジョ(サンジョサマ)は群馬県内に広く分布している呼び名である。

(注5)筆者による調査。調査年月:1979年5月。話者生年:明治29年。

(注6)筆者による調査。調査年月:1984年11月。話者生年:大正11年。

(注7)筆者による調査。調査年月:1993年7月。話者生年:大正9年。

(注8)筆者による調査。調査年月:1985年6月。話者生年:明治37年。

(東亜天文学会発行『天界』1999年1月号に掲載されました「天文民俗学試論(10)」のホームページ版です)


東亜天文学会民俗課トップページへ