天文民俗学試論(11)


6.星と人びととのかかわりの多様性−月待・三日月さま               
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一

 星と人びとは、生業に関係する行動を起こすための判断の際だけではなく、暮らしの様々な場面でかかわっていた。例えば、信仰、年中行事等にわたって、星と人びとはかかわってきた。また、「星と人びと…」と言ってしまったが、太陽や月とも様々なかかわりがあった。(注1)  従って、信仰では北辰信仰、月待、三日月さま等、年中行事では七夕、十五夜等の広範囲なかかわりを調査していかなければならない。

(1)月待

 Aさん(注2)(群馬県吾妻郡嬬恋[つまごい]村門貝)は、月齢23の月−二十三夜さまは子どもの神さまで、子どものできない人が信心すれば子どもに恵まれると伝えていた。サンジョサマ(オリオン座三つ星)ののぼる頃に山に出かける準備をしたり、炭焼き小屋の窓から北斗星(北斗七星)を見て、まだ夜中とか夜が明けると判断したり−というように、星と人びとは生業において深くかかわるとともに、月齢23の月が信仰に深くかかわってきたのである。門貝には二十三夜塔(注3)もたてられていたが、明治43年の大水害のときに流されてしまった。

 二十三夜塔に出会うことができたのは、嬬恋村西窪であった。年齢を聞くのを忘れたが、55歳くらいの宮前商店のおばさんは、二十三夜さまの思い出を以下のように語った。

「二十三夜さま(月齢23の月)のあがるまでご飯をゆっくら食べて、ずーと歩いていくと長野原のちょっとしもまでいくと二十三夜さまはあがる。二十三夜さまがあがれば帰ってくる。そうすると願い事がかなった。近くにあるたばこ屋さんの家で、子どもがあってもあっても死んで、あるとき、男の子が一人生まれて、その男の子が達者に育つようにということで、この二十三夜さま(二十三夜塔)をたてて、それからはずーと子どもができて三人生まれて元気に育った」

 嬬恋村では二十三夜さまに子どもに恵まれることを願ったが、利根郡水上(みなかみ)町藤原・原のBさん(注4)のケースでは、以下のように百姓の取り入れの神さまであった。                          
二十三夜塔(嬬恋村西窪)

「二十三夜さまはお庚申。その日がお庚申の日でなくても二十三夜さまはお庚申さま。百姓の取り入れの神さま。小豆を供える。三夜さま(注5)のあがるまで今夜は遊ぶべ、と言って飲み食いして遊ぶ。12時頃にお月さま上る」

 Bさんは12時と言ったが、月齢23の月が上がる時間は当然のことながら常に同じではなく、午後11時頃のときも夜中1時頃のときもある。また、実際に山から現れるのはさらに遅くなる。群馬県桐生市梅田町には、二十六夜塔があるが、月齢26の月の出は、夜中3時頃になることもある。

(2)三日月さま

 三日月さまの信仰が群馬県、栃木県(注6)等に伝えられている。群馬県利根郡水上町藤原・原のBさんは、「三日月さまは疣(いぼ)のおかんじょうするとか言ってね。疣を治すとかいうので、三日月さまに線香進ぜて、線香3本ずつ3日、3ヶ月、3日一晩3月(みつき)拝むから治してくださいという」と伝えていた。また、水上町藤原・平出のCさん(注7)は、「毎月、三日月さまを拝んでいると災難にあわない。夕方の忙しいときに見えて、たちまちかげっちゃうからあまり見えない」と伝えていた。夕方からが忙しい。今日は誰の家(うち)だと言って、夏に履く草履等を縫って夜なべする。12時前に寝る人はいない。夜なべ済んでからお茶飲んで小便しながら誰かが「サンジョサマ(オリオン座三つ星)傾いたべ、早く帰るべ」と言うと、夜中、2時か3時頃…。それだけに、夕方、三日月さまに出会い祈ることができた日の喜びは大きかった。

(注1)「星と人びととのかかわり」より「天体と人びととのかかわり」の方が適切であるが、本試論では、「『星』の伝承を21世紀に伝える」「『星』と暮らした20世紀」というように、「天体」でなく「星」を用いていきたい。しかし、タイトルは「星の民俗学試論」でなく、「天文民俗学試論」とした。

(注2)筆者による調査。調査年月:1979年4月。話者生年:明治39年。

(注3)小花波平六氏は、「月待塔は、特定の月齢の夜に集まり、月待の行事を行なった講中で、供養のしるしに造立した塔である」と述べている。そして、月待塔のなかで最も普遍的なものが二十三夜塔で、全国的に普及していると指摘している。
 (小花波平六「月待塔総説」庚申懇話会編『日本石仏事典』雄山閣、1975、p.164。)

(注4)筆者による調査。調査年月:1980年12月。話者生年:明治39年。

(注5)二十三夜さまと同じで、月齢23の月のこと。

(注6)栃木県足利市には、三日月塔がある。

(注7)筆者による調査。調査年月:1980年12月。話者生年:明治40年。
 
(東亜天文学会発行『天界』1999年2月号に掲載されました「天文民俗学試論(11)」のホームページ版です)


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