7.突発的な現象−流星
星の伝承研究室
北尾浩一
星ぼしは、絶対止まらない大自然の時計であるとともに、生業に関係する行動を起こす時季を教えてくれるカレンダーであった。このような星ぼしの周期的なめぐりに対して、「流星」「彗星」「月食」等の突発的な現象(注1)があった。
(1)流星
石川県珠洲市狼煙町のAさん(注2)は、「私どもの経験で、流れ星、あれで明くる日の風の方向が調べられると…。そうそう、東の方向に流れていけば、あす西風がきます」と語った。流星の流れる方向から翌日の風を予測したのである。
熊本県牛深市加世浦のBさん(注3)は、「太か流れ星飛んでいったら風が太か」と語った。明るい流星のことを「太か流れ星」と呼んで、明るい流星が現れると強い風が吹くと予測したのである。
流星は高さ約100kmの現象であり、当然のことながら風とは関係がない。しかし、科学的かどうかは別にして、自分のからだで感じることのできない風の前兆をはるか上空の流星は感じることができると信じて観察したのだった。
風と同様、雨も流星と関係がないが、自らそのことに気づいたのは、岡山県邑久郡牛窓町のCさん(注4)である。
「ナガレボシ…、雨でもなかろうか。あてにならん」
たとえ失敗に終わっても、流星を観察し学び、少しでも的確な判断を実現しようとした努力に、人びとと星とのかかわりの原点を教えられる。
ところで、流星に関して、「不吉なものとしてのおそれ」と「願い事をかなえてくれるものとしての期待」という二つの矛盾した伝承が伝えられている。
群馬県利根郡水上町藤原・原のDさん(注5)は、「流れ星、どこの方へ飛んだから人死ぬなんて言う。飛んだ方向の人が死ぬ」と語った。流星を人の死と結びつけたのである。
群馬県利根郡水上町藤原・山口のEさん(注6)は、「果報をくれ、夜這い星果報くれ、と三度くりかえす」と語った。流星(夜這い星)を、願い事をかなえてくれるものとして捉えたのである。
星空は、山や海と同様、生活と密着した日常的な景観であり、山や海へのおそれ、願いと同様、流星に対するおそれ、願いが育まれたのである。
また、流星には、次のような様々な呼び名が伝えられている。
・ 星ぬ宿移い(フシヌヤドウチイ):流星を、星の引っ越しと考えて、「星ぬ宿移い」と名づけた。(沖縄県渡名喜島等)
・ 遊来星(ユーライブシ):流星を、星が遊びに来るのだと考えて、「遊来星」と名づけた。(沖縄県石垣島等)
・抜け星(ヌケボシ):本当の星がひとつ抜けるのが流星だと考えて、「抜け星」と名づけた。(岡山県牛窓町等)
その他、星の夜這いと考えて「夜這い星」と呼んだり、星がほかの星に嫁入りに行く様子だと想像して「星の嫁入り」と呼ぶ等、流星は、人びとの暮らしにものすごく近く、親しみのある存在であった。
* *
福井勝義氏は、「私たちが命を支えるためには、あるいは命を継承していく子どもを支えるためには膨大な知識が要ると思うのです。科学でわかっていることはほんの一握りにすぎない」(注7)と述べている。
科学で流星について様々なことがわかった。科学としての流星の研究は、これからもさらに深めていかなければならない。それと同時に、1998年のしし座流星群をきっかけに、今日においても、流星は人びとにものすごく近くて親しみのある存在であり、重要な生活環境であることを教えられた。人びとが流星に出会い感じたことを表現することを通して、かつて流星の呼び名や伝承を創造したひとりひとりの豊かな力が蘇り、命を継承していく子どもを支える膨大な知識や感性を形成していく営みを切り開いていくことができる可能性を感じる。
(注1)流星には流星群、彗星には周期彗星という周期的な現象がある。しかし、星との暮らしのなかでは、それらは突発的な現象であった。
(注2)筆者による調査。調査年月:1982年10月。話者生年:明治45年生まれ。
(注3)筆者による調査。調査年月:1986年2月。話者生年:明治38年生まれ。
(注4)筆者による調査。調査年月:1988年8月。話者生年:明治39年生まれ。
(注5)筆者による調査。調査年月:1980年12月。話者生年:明治39年生まれ。
(注6)筆者による調査。調査年月:1981年3月。話者生年:明治35年生まれ。
(注7)福井勝義氏(京都大学総合人間学部教授、文化人類学)が、『エコソフィア』 誌上の座談会で述べている。
(「フィールド・サイエンス宣言」『エコソフィア
第1号』昭和堂、1998、 p.42。)
(東亜天文学会発行『天界』1999年4月号に掲載されました「天文民俗学試論(13)」のホームページ版です)
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