天文民俗学試論(14)


7.突発的な現象-彗星               
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一

(2)彗星

 香川県坂出市櫃石島のAさん(注1)は、「親に連れられて下関の方から玄界灘の方へ出て行きよったし…。潮や風を考えてな。晴れた空には星が頼りでな」と語った。星を頼りに櫓を押して玄界灘をこえていく行動力は、はるか昔、Aさんのおじいさんのおじいさんの時代から継承されてきたものである。Aさんは、おじいさんから聞いた話を語りはじめた。

「玄界灘にさしかかったとき、暴風で帆柱とられて漂流した。そして、大連かどこか中国に着いた。言葉はわからなかったが、漢字で書いているうちに通じた。村から村へ舟で送られ、朝鮮から日本へ帰ってきたら三周忌の法要が済んでいた」

 危機を乗りこえて生きぬく行動力を支えたのは北極星−ネノホシであった。

「昔は船乗りはネノホシだけを頼ってそれで航行しとったのですわな。それはもう動かん星」

 Aさんは、磁石より正確だとネノホシを頼りにし続けた。また、17・8歳になるまでは舟に時計がなかったので、スマル(プレアデス星団)、ミツボシ(オリオン座三つ星)、ホクトヒチセイ(北斗七星)で時間を知った。

 星空は、まさに毎日の生活環境であったが、彗星にはなかなか出会えなかった。

「ホーキボシいうて、めったに見えん。箒ではいたような」

 彗星がまれにしか見えないことについては、千葉県浦安市猫実(ねこざね)のBさん(注2)も、「ホウキボシ、普通にはあらわれない。何かあったとき知らせる。おかしなことあるとよくあがった。普段はあがらない」と伝えていた。

 「めったに見えん」「普段はあがらない」という言葉が示すように、星と暮らした人びとにとって、彗星は、流星よりもはるかに突発的な現象であり、次のように不吉な前兆となった。

  ・群馬県利根郡水上町藤原平出のCさん(注3)のケース
   「ホーキボシが出れば戦争がある」

  ・群馬県利根郡水上町藤原平出のDさん(注4)のケース
   「ホーキボシは2回ぐらい見たことある。ホーキボシ出たら戦争はじまる」 
 
  ・神奈川県小田原市本町のEさん(注5)のケース
   「ホーキボシ見えた。うまくないぜ」

  ・愛媛県伊予郡双海町上灘のFさん(注6)のケース
   「ホーキボシ出たけん悪いことあらへんじゃろか−と言った。また、ホーキボシの出そこないみたいな人だ−と、変な人間のことを言った」

 不吉な前兆と彗星をおそれながらも、Fさんのようにホーキボシの出そこない…とたとえる一面もあった。

 ところで、彗星を箒(ほうき)の形に見て、帚星(ホウキボシ、ホーキボシ)と呼ぶケースが多い(注7)が、沖縄県島尻郡仲里村真泊のGさん(注8)は、「扇の形した星、昭和19年頃、たまたまオーギブシという星が見えた。全住民が見てる」と伝えていた。扇以外に、次のような見方が伝えられていた。

  ・イリガンブシ(入れ髪星)(注9)(沖縄県国頭郡伊江村):女性が髪を結ぶときにカンプ(うずまき状に髪を結ぶこと)が小さい人は、イリガン(入れ髪)(髪の毛でできたもの)を加えカンプを大きく見せた。彗星がそのイリガン(入れ髪)に似ていることから入れ髪星と呼んだ。

  ・ホーチョウブシ(包丁星)(注10)(鹿児島県大島郡和泊町):彗星を遠くから見た場合、包丁のように見えることから包丁星と呼んだ。

 また、明治43年のハレー彗星の思い出を語ってくださったケースがある。

  ・和歌山県東牟婁郡太地町大東のHさん(注11) のケース  
   「わしの子どもの時分は何かとぶつかって破裂して死んでしまうということよく言った」

  ・鳥取県東伯郡泊村泊のIさん(注12) のケース
   「西の方にホーキボシ、竹箒の格好のが出た。病(やまい)がはやるって言った」

 Hさんの場合、4歳のときの思い出だった。「ぶつかって破裂して死んでしまう」というのは、長年にわたって継承された伝承ではない。彗星へのおそれも科学的ではない。しかし、一方で、シューメーカー・レビー第9彗星木星衝突のような現実もある。21世紀、星と人とのかかわりのなかでは、このような宇宙の現実をもひとりひとりが学び伝えていくことが必要ではなかろうか。

(注1)筆者による調査。調査年月:1989年9月。話者生年:明治40年。

(注2)筆者による調査。調査年月:1985年6月。話者生年:明治37年。

(注3)筆者による調査。調査年月:1980年12月。話者生年:明治35年。

(注4)筆者による調査。調査年月:1980年12月。話者生年:明治40年。

(注5)筆者による調査。調査年月:1985年3月。話者生年:明治33年。

(注6)筆者による調査。調査年月:1984年3月。話者生年:大正元年。

(注7)ホーキボシはプレアデス星団のことを意味することがあるので、調査の際は注意しなければならない。天文民学試論(3)参照。

(注8)筆者による調査。調査年月:1983年8月。話者生年:昭和3年。

(注9)アンケート方式による調査。
 (北尾浩一「南西諸島の星の方言についての一考察」『天界 721』東亜天文学会、1985、p.174。)

(注10)アンケート方式による調査。
 (北尾浩一「[続]アンケート調査による南西諸島の星の民俗」『天界 711』 東亜天文学会、1984、p.219。)

(注11)筆者による調査。調査年月:1986年3月。話者生年:明治39年。

(注12)筆者による調査。調査年月:1984年11月。話者生年:明治34年。
 
(東亜天文学会発行『天界』1999年5月号に掲載されました「天文民俗学試論(14)」のホームページ版です)


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