天文民俗学試論(15)


7.突発的な現象−日食/月食/月の近くの星                 
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一

(3)日食/月食

 東京都西多摩郡奥多摩町字大原の恵日山門覚寺の前に日食供養塔があった。奥多摩には、「日食は村に疫病のはやるのをお天道さまが代わりに病んでくださったものだ」という伝承が伝えられており、村人の代わりに病んだお天道さまを供養したのが日食供養塔だったのである。(注1)

 一方、奈良県吉野郡川上村のAさん(注2)は、「月食さんは、お月さんが病んでられる。お月さんがみんなの病気をしてくれる。それでまっくろになる。外へ出て拝んだこともあった。ご苦労さんでございます…と言いよって」と語った。代わりに病気になったのは、奥多摩の場合は太陽であったが、川上村では月だった。

 月食については、香川県高松市男木島のBさん(注3)も、「夜、商売してて、月食なんかがあるときには、昔の人は、月に向かって手を合わして拝みよったですね」と語った。

 自分たちの代わりに太陽、月が病気になって日食、月食が起こる。そう信じて手を合わして拝む。人びとにとっての最大の苦しみである病気と日食・月食が関連づけられて語り伝えられてきたのだった。

 病気以外と関連づけられたケースもある。群馬県利根郡水上町藤原・原のCさん(注4)は、日食、月食あった年はあまり豊作でないということはいいましたよ」と語った。日食・月食は、彗星と同様、不吉な前兆となったのだった。

(4)月の近くの星

 月の近くに星が見える現象をソエボシ(添え星)、チカボシ(近星)、ツレボシ(連れ星)等と呼ぶ。星と暮らした人びとにとって、月の近くに見える星も、突発的なもので不吉な前兆であった。

 群馬県利根郡片品村戸倉のDさん(注5)は、「月さまといっしょに同じ間隔で進むのをソエボシという。ソエボシが月から比較的遠くに離れてあると、いつだかわからないが人が死ぬ。月の近くだと近いうちに人が死ぬ。月の右側にソエボシがあると男の人、左側なら女の人が死ぬ」と伝えていた。月との距離によって時期を、右側か左側かによって男性か女性かを判断したのである。

 群馬県利根郡水上町藤原平出のEさん(注6)の場合は、月の近くの星をツレボシと呼んでいた。

「お月さまのすぐそばに星があるとツレボシ。西になら西の方の人、東なら東の方の人が死ぬ」

 月の西か東かによって男女ではなく、どちらの方角の人が死ぬかを判断したのだった。

 群馬県利根郡水上町藤原・原のCさんも、月の近くの星をツレボシと呼んでいた。

「ツレボシがした。これは気味が悪いなあ。誰か死ぬなあ。お月さまのそばにまあ今日のツレボシはとてもついてるんで、誰か死ぬかもしれない−と言った」

 奈良県吉野郡川上村のAさんの場合は、月の近くの星をチカボシと呼んでいた。

「お月さんの近くでチカボシさん。そやそや、チカボシ、お月さんの近いところに出たら身近な者が死ぬと言いました」

「夕べ死んだというはずだぜ、夕べチカボシ出とったねとよう言いました」

 月の近くの星は、もちろん人が死ぬことと関係がない。しかし、星と人とのかかわりを考えるにあたって、月の近くの星を観察し、自分たちのおそれていることと結びつける営みが継承されてきたという事実を避けて通ることはできない。

 群馬県利根郡水上町藤原平出のFさん(注7)は、「お月さまの後についているのをツレボシと言う。人が死ぬ。その通りになることはないですね。先に行くのはツレボシとは言わない」と語った。このように、自らの経験をもとに、「その通りになることはないですね」と、月の近くの星と人の死が無関係だと判断した人びとも一方ではいたのである。




1)日食供養塔は、その後、奥多摩郷土資料館の前に移転された。
(北尾浩一「日食供養塔について」『天界 667』東亜天文学会、1980、p.318。)

2)筆者による調査。調査年月:1983年12月。話者生年:明治34年。

3)筆者による調査。調査年月:1987年4月。話者生年:大正7年。

4)筆者による調査。調査年月:1980年12月。話者生年:明治39年。

5)筆者による調査。調査年月:1979年5月。話者生年:明治29年。

6)筆者による調査。調査年月:1980年12月。話者生年:明治40年。

7)筆者による調査。調査年月:1980年12月。話者生年:明治35年。

(東亜天文学会発行『天界』1999年6月号に掲載されました「天文民俗学試論(15)」のホームページ版です)


東亜天文学会民俗課トップページへ