天文民俗学試論(17)


9.明けの明星 
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一

 岡山県小田郡美星町星田のAさん(注1)(後月[しつき]郡芳井町出身)は、明けの明星がのぼるのと競争して朝起きた思い出を語った。

「夜、おじいさんや、おばあさんがな、私の子供の時分、早起きよ、ヨアケノミョージョーがあがっとってのー、というて言うのですわ。私ら、ヨアケノミョージョーじゃ言われて何かわからんで、はい、言うて起きるんですわ。あれがのお、もうちょーとあがっての、姿が見えんようなるまで仕事して戻って、ごはん食べて…。それから、あのミョージョーサマとどっちが早う起きるか、毎朝起きっこしょうやいうて、ようおじいさんや、おばあさん言いよりましたけんな。あれが出たら大人起きてんのじゃなーと思いよりましたけど」

 そして、明けの明星がのぼっていても寝ていると、以下のように戒められた。

「ヨアケノミョージョーといっしょに起きな貧乏なるぞ。朝寝をしよる者はこまるんじゃ、早起きした方がええんじゃよと言いよりましたけど、昔は星をたよりにしよったかな思いますがな」

 一晩中仕事をして明けの明星を迎えた人びともいる。熊本県牛深市加世浦のBさん(注2)は、「メイジョボシ出た。夜明け間近。夜明ける準備せねば…。1回網やったら夜明け」と語った。星ぼしを気づかいながら、松の木を八しめくらいたき、3回か4回鰯の網をやるとメイジョボシ(明けの明星)がのぼる。さらに1回網をやれば夜明けで仕事を終えることができた。

 愛媛県南宇和郡城辺町深浦のCさん(注3)は、「アケノミョージョー出たぜ、きりあげてオカに帰らないけんね」と語った。Cさんの場合は、明けの明星は仕事を終える時間を教えてくれた星であった。

 長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡野母崎町野母のDさん(注4)に、「ここらでは星なんかで時間知ったりすることありましたか」と尋ねると、以下のような答がかえってきた。

「はい、ありましたですよ。鯵釣りに行くときにね。時計も持っていかんじゃけんのことですから…。ここの人は、ヨアケノミョージョーとか何とか言いよったですけどね。その星が見える時分に、ちょうど山かげからこうのぼってくるというとね、もう帰る時分だな言うて。それでいくら魚釣れよってもやっぱりこっちの時間の都合がありますからね、帰りよったです。漁業会のあそこに売りよったですよ」

 明けの明星は、朝、魚を売りにいく時間を教えてくれたのである。

 魚の釣れる時間を明けの明星が教えてくれたケースもある。石川県羽咋郡富来(とぎ)町福浦港のEさん(注5)は、以下のように語った。

「ヨアサノミョージンて言うてね、大きな、この特に大きな星が東から上がる。それがあがって、約1時間ほどたてば目に見えるだけの明るさになってきます。そのときにその星があがったときには、やっぱり魚の釣り具合がよい。その星の出る時間はね」

「そりゃ、鱒でも鱸でも…。あらゆる魚はヨアサのナドキいうてヨアサのエサを魚が食べる時間で…」

 明けの明星と人びととのかかわりは時間だけではない。広島県豊田郡豊浜町豊島で聞いた話である。

「世の中がいいときには、アサボシが大きい光を照らす。不景気なときは小さい星になって見える。昔の人が言っておりましたよ」(注6)

 アサボシ(明けの明星)の光と景気とを結びつけたのである。科学的根拠は、全くないが、時間を知る目標にするとともに、自分たちの暮らしが豊かになるようにアサボシが大きい光を照らすことを願ったのである。

 また、広島県竹原市二窓のFさん(注7)は、「オオボシいうのが夜明けに出るのがあるわいな。それが太い。それが大きな。オオボシいうてね、絹で見たら、9つになって見えるのじゃ。絹もって見たらね、3つずつ並んで9つある星もあるんだ。絹もって見たら9つなって見える星があるんだ」と語った。オオボシ(明けの明星)を絹ですかして見たら3つずつ並んで9つに見えたのである。

 野尻抱影氏は、『日本星名辞典』において、宵の明星を絹星、絹屋星という地方が、広島・愛媛・岡山・島根・岐阜・八王子などにあって、「高い天の星や絹屋の娘、絹でおがめば九つに(広島県安佐郡)」「わたしゃ九つ絹屋の娘、星になるから見ておくれ(愛媛県大三島)」という俚謡が残っていると述べている。(注8)

 しかし、竹原市二窓の場合、宵の明星ではなく明けの明星で、絹星、絹屋星という呼び名は伝えられていなかった。星との暮らしのなかで、ひとりひとりがいろいろな星を絹ですかしながら語りあい地域をこえて伝えていったことが、宵の明星と明けの明星のちがいに示されているのではなかろうか。

(注1)筆者による調査。調査年月:1994年2月。話者生年:大正12年。

(注2)筆者による調査。調査年月:1986年2月。話者生年:明治38年。

(注3)筆者による調査。調査年月:1984年3月。話者生年:大正3年。

(注4)筆者による調査。調査年月:1986年2月。話者生年:明治33年。

(注5)筆者による調査。調査年月:1983年3月。話者生年:明治33年。

(注6)筆者による調査。調査年月:1986年4月。話者生年:明治44年。

(注7)筆者による調査。調査年月:1988年12月。話者生年:明治33年。

(注8)野尻抱影『日本星名辞典』東京堂出版、1973、p.212。

(東亜天文学会発行『天界』1999年8月号に掲載されました「天文民俗学試論(17)」のホームページ版です)


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