天文民俗学試論(24)


13 21世紀へ星の伝承を!(1)北海道亀田郡椴法華村元村@      
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一
 1978年10月に星の伝承の調査をはじめてから21年…。(注1)

 初期の調査地域をもう一度訪問したいという気持ちが少しずつ大きくなってきた。21世紀へ星の伝承を!、という願いをこめて、現在でも調査可能なことを確かめていきたい。

(1)北海道亀田郡椴法華村元村@

 1979年10月、北海道椴法華(とどほっけ)村を訪れ、以下のような星の和名・伝承を聞くことができた。

   プレアデス星団   アルデバラン オリオン座三つ星   シリウス             伝         承
Aさん ウヅラ アカボシ ミツボシ、サンコウ アオボシ ミツボシとアオボシがよくつく。星の出は海水があったかく(ぬるく)なる。
Bさん ウヅラボシ サンコウ 主にサンコウをめあてにする。
Cさん ムジナボシ サンコウ ミョウボシ・2つの星、キタボシ/サンコウの出はよけいついた。水の温度もぬるくなってくるしね。
Dさん ウヅラ アカボシ サンコウ アオボシ 主にサンコウ、アオボシ、アカボシでイカつけした。

  それから20年、再び北海道椴法華村を訪れた。20年前にあったバスは乗客減のため廃止になっていたが、消防署の人が親切にも元村まで車に乗せてくれた。

 元村では、幸運にもEさん(注2)に出会うことができた。

 調査の際、いきなり星のことを聞くのではなく、星をめあてにした頃の時代の記憶をたどることからはじめなければならない。今回も、「何歳ぐらいまで櫓で押していったのですか」と尋ねて、次のように星とともに暮らした時代の話に近づけていく。

「そうだね、22、23…。終戦直後までだね。最初ね、この辺ではまだいなかだったもんだからあかりていうのなかったんだよ。12、3から歩いたんだけどね。最初は提灯持って歩いたもんだ」 

 Eさんによると、エンジンが普及するのは終戦後で、それまでは櫓を押して行ったのだった。

「だいたいこの村で電気ついたのがね、わしが3年生頃だものね。3年生よりちょっと前か3年生頃だものね」

 電気もなかった時代、星が生活環境のなかで大きな位置を占めていた頃のことを記憶をたどりはじめたところで、「星とか月とか見えるとき行くわけですよね」と尋ねると、次のように語りはじめた。

「星は、何時出はったから、イカ釣るとかさ。何の星にイカついたとか。それは昔から今でも同じ」

 現在でも星をめあてにしていることに驚き、「今でもあるのですか」と尋ねると、「今でもある。今でもそれは丹念する人もある」という答がかえってきた。

 星の名前は、自分たちの呼び方しか知らないので、「ここらの言い方でしたら」と尋ねないと聞き出すことができないケースがよくある。今回も、「どのような星で、ここらの言い方でしたら」と尋ねてはじめて次のように星の名前について語りはじめた。

 「ここではね、いちばん宵の。いちばん先のね。それからね、アカボシ、それからミツボシ、そして、アオボシ。だいたいそのあたりまでで12時過ぎるんだね。秋になると星がでるのが早いのだからね」 

 いちばん宵に出るのは宵の明星、それからアカボシ、ミツボシ、アオボシと順番にのぼったのである。

「アオボシで12時過ぎるわけですか」 

 念のためそう確認すると、「だいたいその時間には帰ってきたもんなんだ、寒いしね」という答がかえってきた。秋が深まっていく10月〜11月頃の話である。

(注1)星の和名・伝承の調査は、1978年10月1日新潟県佐渡郡相川(あいかわ)町姫津よりスタートした。それ以前にも和名を記録したことはあるが、調査のスタートは姫津である。

(注2)筆者による調査。調査年月:1999年11月。話者生年:大正7年。                             

(東亜天文学会発行『天界』2000年3月号に掲載されました「天文民俗学試論(24)」のホームページ版です)


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