天文民俗学試論(4)


2.イカ釣り−(3)北海道から福井へ                   
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一

(3)北海道から福井へ                 

 星の出にイカが釣れるという伝承は、青森県、北海道…と、さらに北へと伝えられた。名前を聞くのを忘れたが、北海道積丹町美国で出会った漁師さんは、次のように語った。

「何でもかんでも、わしゃたいてい試してみた。アカボシちゅうアカメシタ星があがるの。それからサンコウだな。アカボシからサンコウだな。サンコウと言って、同じ間隔の星が三つあがるの。それからやっぱり2時間か2時間ちょっとあまりあとに、アオボシという星があがるの。数ある星のなかでアオメシテひかるの。その星がいちばんつく。その星とアカボシがつくの。どっちの星もつくけど、アオボシちゅうのがいちばんつく。完全につくだ。そのかわりずっと時間がおそいのよ」(注1)

 時間と空間を超えて伝えられた伝承を単に受動的に受け止めるのではなく、自分の目で確かめ試行錯誤を繰り返しながら、アオボシの出にいちばんイカが釣れることを学んだのである。アカボシ(赤星)は、おうし座アルデバラン、サンコウ(三光)は、オリオン座三つ星、アオボシ(青星)は、おおいぬ座シリウスのこと。星の色、数を気づかいながらの暮らしのなかで創造された呼び名である。

 星だけでなく、潮の変化を合わせて観察しなければならないと語ったのは、北海道蘭越町のAさん(注2)だった。

「どの星のときにでも、イカがつくとは限らない。潮と星の出が合致するとつく、と、わしらは、たん念している。サンコウの出にきのうついたからといって、今日つくとは限らねえ。潮と合わなければだめだ」  

 Aさんは、「能登星」という星の名前も伝えていた。能登星は、積丹半島西海岸の泊村(注3)でも伝えられており、ぎょしゃ座カペラのことである。

 能登半島を遠く離れて、北海道まで伝えられた「能登星」。時間と空間を超えて共有されていった「能登星」の原風景を求めて旅を続け、8年後、福井県三国町で、Bさん(注4)に出会った。

 Bさんから能登半島にのぼる能登星について聞く。

「半島の先よりちょっと、内側からひとつぼしであがる」

 能登星と暮らしていた頃、星ぼしの創る時間で釣れるタイミングを判断していた。日が暮れて最初に関係するのは、宵の明星であった。

「宵の明星というのは、晩方、この島に上がってるのじゃ。船で行く時分に、6時、7時に。それで、8時頃になれば、宵の明星のはいるときに魚が釣れるんだ。スズキでもタイでも何でも。その星のはいるときにばたばたと」

 目標にしていたのは、イカでなく、主にスズキやタイであった。

 宵の明星のはいった後、しばらく釣れなくなるが、再び、ホーキボシ(プレアデス星団)やサカヤノマス(オリオン座三つ星と小三つ星とη星でつくる星の形)がのぼるときに釣れるようになることについて、以下のように語った。

「ホーキボシいうのがあがってくるのじゃ。そのときもよう釣れるのじゃ」

「夜明けになってくると、サカヤノマスって、こういう格好したのが3つ、柄も3つついて。この星があがるときも、魚よう釣れるんじゃ」

「この星のでる間は釣れても、30分ほどしたらぴたって止まってしまう。釣れても止まるわけ。たまには来ても道具にさわって行くだけで…。星のあがるちょっと前からさわぎだすんだ。あがってしまえば、知らん顔する。あがるちょっと前からさわぎだす。魚が…」

 Bさんは、魚はしおどきよりも星に関係するとはっきり言った。果たして、イカやスズキ、タイが星を感じることができるのだろうか。星を感じることができるのが人間だけでないことだけは確かだ。と同時に、星で毎日、時間を感じる必要のなくなった人間が、21世紀、星を見ることがなくなり、星を感じない世代が現れることだけは絶対に避けなければならない。だからこそ、星との暮らしで育んだものを21世紀に向けて意味づけたい。

(注1)筆者による調査。調査年月:1979年4月、話者生年:明治41年。

(注2)筆者による調査。調査年月:1979年4月、話者生年:明治40年。

(注3)筆者による調査。調査年月:1979年4月、話者生年:明治45年。

(注4)筆者による調査。調査年月:1987年8月、話者生年:明治43年。

(東亜天文学会発行『天界』1998年7月号に掲載されました「天文民俗学試論(4)」のホームページ版です)

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