天文民俗学試論(5)


.星が創るもうひとつの時間(1)沖縄県石垣市−星見石と歌                      
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一

3.星が創るもうひとつの時間

 星ぼしは、絶対止まらない大自然の時計であるとともに、生業に関係する各季節の行動を起こすもうひとつの時間を創る。星ぼしを観察することによって、漁民は、魚のとれる時季、風の吹く時季等を、農民は播種の時季等を判断することができたのである。そして、星ぼしが創るもうひとつの時間のなかで、数々の歌や物語が創造された。

(1)沖縄県石垣市−星見石と歌

   旧石垣村には、群れ星(注1)(プレアデス星団)を正確に観察して農耕の目標とするためにつくられた星見石がある。高さは、約103pで、ほぼ真西を向いて木に抱かれるようにして立っている。(写真参照) 群れ星と星見石と眼が一直線になったときを観測して播種の目標とした。

  沖縄県石垣市新栄町(注2)には、以下のような歌が伝えられている。

 「ハイナナツンブシヤヨウ、天ヌアージマイカラ…」

 ハイナナツンブシ(いて座)とニシナナツブシ(北斗七星)は、天のあるじから国を治めよと言われたが従わなかったため各々南と北の方へ追いやられ、群れ星(プレアデス星団)が従ったため、天頂を通り、農耕の目標になったと歌われているのである。

 群れ星を正確に観察するために星見石をつくり、星ぼしのめぐりとともに実りの季節を迎えた人びと…。群れ星が、豊かな実りを与えてくれたことを喜び、そして、歌ったのであった。

 このように、群れ星を観察して播種の時季を判断する段階にとどまるのではなく、歌に表現したことの意味は、以下の4点になる。

  @星の知識内容の習得の徹底、共有化。

  A生業にかかわる行動の徹底。

  B人間としての表現、文化の創造。

  C歌を通しての世代を超えた継承の実現。

 ところで、八重山地区では、この歌のように、実際に群れ星が天頂付近を通り、ニシナナツブシは、北の方、ハイナナツンブシは、南の方を通る。このように見える場所は限られ、まさに八重山地区の緯度がそれに相当するのである。ところが、時代をさかのぼるとともに歳差運動のために群れ星は天頂から少しずつ離れていく。(表参照) 

 西暦100年には、天頂から 7.8度離れてしまい、天頂付近を通るのは北緯17度付近となる。はるか南の人との農耕の学びあいのなかで北へと伝えられていったのであろうか。さらに南では、やはりプレアデス星団をもとに農耕を行なっている。小さな船ひとつあれば、何百キロも行動範囲を持つ星と暮らした人びとのエネルギーの可能性である。

表 プレアデス星団の赤緯と天頂からの距離(注3)

 年(西暦)  赤緯   天頂からの距離  
 1900年     +23°.8       0°.5
 1600年    +22°.8          1°.5
 1300年     +21°.7          2°.6
 1000年  +20°.5          3°.8
  700年    +19°.2       5°.1
  400年     +17°.9     6°.4
  100年     +16°.5      7°.8



(注1)プレアデス星団が星がたくさんかたまって群れているように見えることから群れ星と名付けた。

(注2)筆者による調査。調査年月:1979年3月。

(注3)八重山地区を北緯24.3度、プレアデス星団は、おうし座η星の位置として計算。
  各時代における位置は、次の文献による。
 (Paul V.Neugebauer, Sterntafeln von 4000 vor Chr. bis zur Gegenwart, 1912,p.30.)

(東亜天文学会発行『天界』1998年8月号に掲載されました「天文民俗学試論(5)」のホームページ版です)

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