天文民俗学試論(7)


3.星が創るもうひとつの時間(3)沖縄県竹富島の星見石と群れ星の北限                   
 
                                               星の伝承研究室 北尾浩一        

(3)沖縄県竹富島の星見石と群れ星の北限             
    
 竹富島の星見石(注1)は、北岬の小高い丘にあった。星見石の下の方に穴(注2)があけられており、日没後その穴から群れ星(ムリカブシ)が見える時季に播種を行なった。ちょうど薄明の終わりが近づいた頃に穴から群れ星が見えた時季−立冬の頃に播種を行なったのだった。

 ところが、星ぼしが創る時間で、生業に関係する各季節の行動を起こす時代は終わり、星見石の穴から群れ星を観察する人も少なくなってきた。北岬の星見石のことを語る人も少なくなってきた。そのようなとき、星見石を児童公園である赤山公園に移転しようという案が出された。いろいろと議論があったが、多数決の結果、子どもの教育のために赤山公園への移転が決定した。

 もう2度と北岬で星見石の小さな穴から群れ星に出会うことはできなくなった。しかし、牛3頭で引いて赤山公園へ運ばれてきた星見石は、群れ星が創る時間で暮らし、豊かな実りを迎えた日々のことを永遠に語り継ぐという大きな使命を今日も果たしている。

群れ星が創る時間で暮らしていたのは石垣島、竹富島だけではない。
沖縄県久米島のAさん(注3)は、群れ星(ブリブシ)が夜明けに現れるのを待ち続けていた。4月にフサアギといって、海が荒れる。その後に群れ星が現れ、イカの時季になったのである。

ところで、群れ星の系統に属する呼び名の北限は?
プレアデス星団の呼び名を順に記すると以下のようになる。(注4)
・沖縄県与那国島……ブリフシ          ・沖縄県新城島……ムリブシ

・沖縄県鳩間島……ムリプシ          ・沖縄県西表島……ムリブシ

・沖縄県小浜島……ムリブシ          ・沖縄県竹富島……ムリカブシ

・沖縄県石垣島……ムリブシ          ・沖縄県多良間島……ムニブス
写真1 竹富島の星見石(東側から撮影)            
 


・沖縄県宮古島……ンミムヌブス、ンミブス ・沖縄県久米島……ブリブシ

・沖縄県渡嘉敷島……ブリブシ        ・沖縄県渡名喜島……ブリムン

・沖縄県粟国島……ブリフシ、ブリムシ    ・沖縄県伊江島……ブリブシ

・沖縄県沖縄本島……ブリブシ、ブルブシ、ムりブサー、ムリブシ

・鹿児島県沖永良部島……ブリブシ     ・鹿児島県徳之島……ブレブシ

・鹿児島県奄美大島……ブレブシ       ・鹿児島県喜界島……ブリブシ、ブリムン

・鹿児島県トカラ列島……スマル    ・鹿児島県屋久島……スマル、スモル

・鹿児島県坊津町坊……スバイ

写真2 竹富島の星見石(西側から撮影)


 即ち、群れ星の系統の呼び名の北限は、奄美大島、喜界島であり、トカラ列島・屋久島より北においては、スバルの系統に属する呼び名が伝えられているのである。


(注1)筆者による調査。調査年月:1979年3月。

(注2)穴の直径は、西側が約13p、東側が約22pである。

(注3)筆者による調査。調査年月:1983年8月。

(注4)以下の文献による。
  北尾浩一「久米島における星の民俗調査報告」『天界 713』東亜天文学会、1984、p.284。
  北尾浩一「南西諸島の方言についての一考察」『天界 721』東亜天文学会、1985、p.174。
  北尾浩一「屋久島における星の民俗調査」『天文ガイド 234号』誠文堂新光社、1984、p.91。
 
(東亜天文学会発行『天界』1998年10月号に掲載されました「天文民俗学試論(7)」のホームページ版です)


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