4.空間軸上の位置を創る(2)北極星の動きを発見した人
星の伝承研究室
北尾浩一
(2)北極星の動きを発見した人
こぐま座α星と天の北極との距離は、時代をさかのぼるとともに以下のように、さらに増大していく。
年(西暦) こぐま座α星の赤緯(注1) こぐま座α星と天の北極との距離
1700年 87゜.7
2゜.3
1600年 87゜.1 2゜.9
1500年 86゜.6
3゜.4
1400年 86゜.0
4゜.0
1300年 85゜.5
4゜.5
1200年 84゜.9
5゜.1
1100年 84゜.3
5゜.7
1000年 83゜.8
6゜.2
900年 83゜.2
6゜.8
例えば、1600年頃において、「2゜.9」、即ち、現在の約3倍、月が約6個並ぶくらい天の北極から離れ、北極星が動くことを肉眼で発見可能になる。しかし、揺れている船の上では、やはり、北極星の動きはわからない。そこで、船乗りの妻が動きを発見して教えたという物語が語られることになる。
兵庫県相生市のAさんのケースでは、動きの発見者は、「天竺徳兵衛の妻」であった。
「それも、うそかほんまか知らんで。昔、天竺徳兵衛いう高田屋嘉兵衛みたいな偉い船乗りがおったんじゃ。船乗りは、たいがい夜走りした。そうしたところが、またその嫁はんが偉かったんじゃ。婿はんが夜さり夜走りしよるから自分も夜さり機織る。それで、おやじさんと問答する。動かん星がネノホシさんだいうし、そしたら嫁はんの方が偉かったんや。ネノホシさんを障子の桟とあわしたんや。そして、三寸動くいうことを…」(注2)
兵庫県家島町坊勢島のBさんのケースでは、動きの発見者は、「クワノトオクロウの妻」であった。
「クワノトオクロウいうて船乗りで偉い人がいた。クワノトオクロウは、ネノホシを見て、北、南、東、西…と船を操った。クワノトオクロウの嫁さんが偉かった。クワノトオクロウはネノホシは動かん言うてた。ところが、クワノトオクロウの嫁さんが、夜に機織りよって、ネノホシが動くのを発見した。おとうさん、ネノホシが基準と言いますけど、ネノホシは障子の軸1本動きます。嫁さんは、トオクロウにこう教えた」(注3)
兵庫県北淡町富島のCさんのケースでは、動きの発見者は、「トクゾウの妻」であった。
「ネノホシは、ひと晩に屋根の瓦1枚だけ動くんだ。瓦1枚だけ。まあ動かんにしとんのや。トクゾウの嫁はんが、トクゾウが船乗りよんのにな。暗いときは、方角がわからないと思った。嫁はんは、機織り織り、じっとキタノネノホシをねらっとった。そしたら瓦1枚分動いた」(注4)
船の上では無理でも、障子や瓦等を目印にすると北極星の動きが発見できたのであった。
だとすると、船乗りも、港で発見可能であったはずである。実際、大阪府泉佐野市では、妻とともに船乗り−トクゾウ本人も、以下のように港で松を目印にして、動きを発見したと伝えられている。
「北極星いうのは、三寸あがって三寸さがったら夜明けるいうて…。あれ、トクゾウボシいうて、昔はクワナイトクゾウいう人があの星を見つけたいうんだ。ええ、トクゾウボシいうんだ。それがキタノヒトツボシなってやなあ。今の学問から言ったら北極星や。大阪の築港に松の木を植えて、北極星見て、北極星見ても位置わからない。かめあわして…、一晩に三寸動いた」
「トクゾウのおくさんが針仕事してて、障子の破れたのを見て、障子の桟だけしか動けへんのやった。その星さん、それから三寸いうんかな」(注5)
* *
ひとつ、不思議な現象がある。それは、船乗り−トクゾウの子孫がいると伝えられている愛媛県壬生川(注6)から遠く離れるにしたがって、北極星の動きを妻が発見して船乗りに教えたという伝承の割合が小さくなっていくのである。静岡県伊東市川奈や、茨城県北茨城市大津町(注7)まで伝えられたのが、1800年頃であると仮定すると、他の地域から伝えられた「北極星の動きを発見する物語」と、自らの「北極星は動かない」という観察結果に矛盾が生じ、伝承者が世代を超えて伝える際に船乗りの妻が動きを発見して教えたという部分が脱落したと考えることはできないであろうか。
(注1)各時代における赤緯は、次の文献による。
(Paul V.Neugebauer, Sterntafeln
von 4000
vor Chr. bis zur Gegenwart, 1912,p.26.)
(注2)筆者による調査。調査年月:1987年1月。話者生年:明治42年。
(注3)筆者による調査。調査年月:1984年7月。話者生年:明治35年。
(注4)筆者による調査。調査年月:1984年4月。話者生年:明治30年。
(注5)筆者による調査。調査年月:1985年2月。話者生年:明治43年。
(注6)越智勇治郎は、壬生川に徳三の子孫が残っていて桑名屋を名乗っていることを野尻抱影に報告した。
(野尻抱影『日本星名辞典』東京堂出版、1973、p.79。)
(注7)天文民俗学試論(8)参照
(東亜天文学会発行『天界』1998年12月号に掲載されました「天文民俗学試論(9)」のホームページ版です)
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