「票田のトラクター」の政治学
                                           政治評論家・堀内一三
 週刊ポスト連載の政治漫画、「新・票田のトラクター」が6月11日号を以て遂に完結した。この物語は、政権政党・民自党の実力者、中村茂の秘書にして中京財閥の雄、稲山建設の御曹司、稲山一郎の初出馬を前に、印刷屋の次男で放蕩息子の筒井五輪が選挙好きの父の差し金で稲山の秘書となり、持ち前の馬力で金集め、票集めと秘書稼業に邁進する政治家秘書の成長物語として、当初は平成元年から3年にかけてビッグコミックに「票田のトラクター」として連載された。
 この第1部は稲山が2度目の選挙に辛くも再選を果たすところで終わっているが、現実の政界再編ブームとなった平成5年に週刊ポストで再開。今度は政界内幕モノの様相を強くし、民自党の若手リーダーとなった稲山が政治改革を唱え、疑獄に連座した師の中村と決別し離党。新党「自由の風」を旗揚げし、同じく民自党の若手スターからともに離党しながらしばしば稲山に弓を引いた伝馬孝太郎らとの相克を越え、遂に民自党の大分裂・政界再編を成し遂げながらも、自身は心臓の病気で潔く引退し秘書・筒井五輪に後事を委ねる場面で最終回を終えた。

 概略の解説からも分かる様に、主人公・稲山一郎は「理想化された小沢一郎」であり、中村茂は顔もそっくりそのままに描かれていたが竹下登その人である。ここで稲山を主人公と述べたのは、回を追う毎に本来の主人公である筒井五輪が狂言廻しの役回りとなり、現実とのリンクの度合いを強め、猛烈なスピードで現実を追い越して、民自党・小室派と自由の風、即ち小渕派平成研と自由党による保守新党結成に至ったためである。
 もちろん、中村(竹下)が首相を経験していなかったり、「自由の風」は政権に就かないなど微妙な相違はあるのだが、例えば自由の風結成にあたって、中村は稲山を「殺さないよう」配下の数人の代議士を敢えて自由の風に合流させたり、御倉代議士にもうひとつ中村別働隊としての新党を結成させたりと、示唆に富む内容が含まれている。いうまでもなく、後者は今や跡形もなくなった武村正義の新党・さきがけを指している。また、最終回を目前に中村茂は癌のため急逝した。
 漫画の文学的評価が高まる昨今だが政治漫画は少なく、終盤は現実をなぞる形に終始してしまったとはいえ独自のストーリーで「政界」を描いた本作は貴重である。原作者のケニー鍋島氏は実際に政治家秘書経験者、小学館より計16巻が既発されており、あと2巻程で完結すると思われるので、是非一読をお奨めしたい。

 さて保守新党が結成されたと同時に稲山が政界引退するのは実に暗示的で、想えば稲山が健康体で小室総理の次を担うとして彼は如何なる政治を為すのか、ここまでのストーリーでは見えない。稲山は中村や中野(中曽根元首相がモデル)ら旧来型の長老支配を打破するために立ち上がったのだが、それは単に世代間の権力闘争ではないのかと問われれば反論は苦しい。果たして、平成5年の夏、我々が熱病に犯された様に取り憑かれた「政治改革」細川八党派連立内閣も、同じだったのではないか。
 なるほど細川政権は政治改革という名の選挙制度改正を成し遂げたが、その結果は社会党を崩壊させ、非現実的観念論を放逐する政界再編こそ進展したが、自民党の政権復帰から始まって「新しい政治」が生まれたとはとても思い難い。
 小沢氏の政策集「日本改造計画」は、「普通の国」をキーワードに消費税10%や全国300市制など大胆な提言で一定の評価を得るとともにベストセラーにもなった。実際、官邸機能の強化や副大臣制の導入による与党と内閣の一体化など自自連立政権によって成立した案件も含まれてはいるが、肝心の憲法改正論議は一向に前進しなかったし、96年10月の総選挙にあたって小沢党首の新進党が消費税3%凍結を掲げ、大いに失望を買ったことは記憶に新しい。
 恐らく小沢氏は、政策を実現するためには建設的な議論を闘わす2大政党制の元で政権を持つことが第一義と考え、確かに仰せの通りだが、その実自民党を永遠に葬り去り小沢党による恒久政権を目指していたものと思われる。がこの構想が瓦解し、さらに新進党自体を瓦解させ、自由党という脱出ロケットに乗った後の小沢氏は見るに忍びない。

 作中、稲山一派の離党にあたっては、稲山、伝馬とともに堀塚、保谷の両重鎮が若い2人を支えるキーマンとして配置されている。堀塚は中村茂の30年来の盟友にして離党の直前、心臓疾患に倒れ劇的な死を迎え、その屍を越えて新党「自由の風」が誕生するドラマツルギーが描かれるのだが、恐らく堀塚のモデルは梶山静六元自民党幹事長であり、それは竹下派七奉行の初期、梶山氏が小沢氏の後見役を自称していたことに由来している。(梶山氏は終盤、川本内閣の竹谷官房長官として再登場し、こちらは現実そのままに稲山と付かず離れずを演じている)
 同様に、稲山のライバル伝馬は政治学者の来島太郎を党首に迎え、「市民の党」を設立する。これは総選挙敗北後、新進党に分党構想が生じたことに範を取っていると見られ、現実には喧嘩別れで羽田「太陽党」になってしまうのだが、ドラマでは「市民の党」を「自由の風」の友党としながらも、民自党とパイプを保ちあわよくば連立政権樹立を狙う伝馬の野心が巧みに演出されている。
 これがまた暗示的なのが稲山が「理想化された小沢一郎」である所以であり、実際の新生〜新進党に堀塚も保谷もいなかった、即ち羽田孜氏をはじめ奥田敬和、渡辺恒三氏が次々と小沢氏と袂を分かったのは、読者は先刻承知である。一方で、伝馬孝太郎のモデルが誰なのかは本編最大の謎だが、前半に謀将として登場する宮原(宮澤)派の穴埋官房長官とともに「極大化された」太田誠一−新井将敬コンビではないかなどと夢想してみるのも面白い。ただ伝馬という好敵手すら実際には現れ得なかったのは、ひとつには政界の役者不足ではあるが、同時に常に「小沢独裁」が問われ、人望の面の欠如を指摘される小沢氏の落ち度ではなかったのか。

 小沢一郎氏には今こそ原点に立ち返り、目指すべき政治が何であるのか考えてほしい。小沢's Childrenと自民への復党予備軍ばかりの自由党の現状ではそんな悠長なことは言っていられないかも知れないが、かつて梶山氏が竹下創政会の設立にあたって、田中派からの独立を渋る竹下氏に「貴方に対する期待権がある」と言い放った言を借りれば、20世紀の最後の10年間を翻弄した小沢一郎という政治家に、我々もまた期待権を有しているのではないだろうか。もちろん、自民党分裂を呼び起こして引退することが氏への「期待」ではないが、小沢氏の「終幕」をどう演ずるかが、稲山一郎と筒井五輪の物語を愛した者たちへの回答、もうひとつの「票田のトラクター」のエンディングであってくれることを、期待して止まない。
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