当世歌謡曲事情
                                           音楽評論家・堀内一三
 それでは昨年のレコード大賞から振り返ってみましょう。大賞はglobeでした。これはGLAYが番組を欠席し、かつ大賞発表の時点でglobe以外の金賞(とはもう言わない)の方々が皆、紅白のオープニングに出ていたので早々に視聴者にも判ってしまったのですが、本当はglobeは一昨年の方が売れていた筈です。ところが一昨年は「Can you〜」で安室奈美恵氏の2年連続受賞にならざるを得ず、一年遅れでで廻ってきたと見るべきで、本来なら昨年はGLAYか「アルバム1千万枚」のB'Zだったところです。こうなるとglobeの秋の「シングル4週連続リリース」は予定調和的な「枚数確保」のためだったのでは?と疑わざるをを得ません。
 同ファミリーは健在で、顔がまん丸になった安室氏も復帰1曲めは売れました。ご祝儀相場のなくなる2曲めが鍵でしょう。また「鈴木あみ」という唄の下手な若い娘さんも売れています。華原朋美氏は小室氏に捨てられた、という風情のシングルが続いてますので、もう篠原涼子になるのも時間の問題です。まぁ篠原氏も大河ドラマに出るなどしぶとく生き残ってますが。

 さて小室氏に端を発した「プロデューサーの時代」は続いていて、Mr.Childrenが活動再開した小林武史氏のほか、最近ではGLAYの佐久間正英氏が台頭しています。この方は古い方で四人囃子〜プラスチックスを経て、BOOWYのプロデュースで注目されました。
 振り返ってみれば、かつて歌謡界は、ナベプロ(渡辺晋)、ホリプロ(堀威夫)や田辺エージェンシー(田辺昭知)など、GS以前のバンドマンが裏方に回って始めた「プロダクション」主導の時代がありました。60〜70年代に、プロダクションは歌手という素材を掘り出すことに専念し(例えば、スター誕生〜スカウトキャラバン)楽曲はレコード会社(後にフリーの)ディレクターが音頭をとり、職業作曲家が曲を作るという方式が出来た訳です。
 例えば、山口百恵における酒井政利氏(最近、やじうまワイドにコメンテーターとして出てる奇妙なおじさんです)が前者の代表例であり、後者は筒見京平氏が挙げられます。

 これに対し、70年代後半にはユーミンら「ニューミュージック」が歌謡界に台頭すると、彼等は自作自演な訳ですから本人が自分の楽曲の指揮を取るか、若しくは主に楽曲のアレンジ面を司どる「プロデューサー」が登場します。ユーミンにおいては夫、松任谷正隆氏であり彼を含むティン・パン・アレーがアレンジ、バッキングを行ったのが現在の「プロデューサーの時代」の萌芽と言えましょう。
 更にはディレクターが宇崎竜童氏であるとか、従来の職業作曲家に代わってシンガーソングライターを作曲に起用するケースが出てきます。こうして自作自演者が単に楽曲の作成、アレンジに留まらず歌手のイメージ面から更にはかつてプロダクションが行っていた発掘面まで手がける様になったのが、現在の「プロデューサーの時代」の様相と言えましょう。
 レコ大新人賞をとったつんく氏の「モーニング娘。」が典型例ですが、小室氏に至っては歌手本人よりもプロデューサーの名前で売れています。小室氏クラスの「ドン」としてビーイング系を手がける織田哲郎氏がいますが、彼の名前だけでは売れないところがワンランク落ちる所以です。勿論、楽曲も落差がありますが。

 さて、自作自演者→プロデューサーの道を歩んだ小室氏がglobeとして再び本人が「アーティスト」の側に登場したために話はややこしくなります。小林武史氏が途中からMy Little Loverの「メンバー」として現れたのは、かつて自作自演者の頃には売れなかった「過去」の清算という別の側面もあるかも知れませんが(もしくはフロント歌手との結婚という事情も介在しているかも知れません)、恐らくレコード会社はこの現象を目敏く捉えました。
 そこで、Every Little Thingの様に、全く同じ男2女1、プロデューサー1、フロントの女性歌手1、添え物の男1というスタイルで、わざわざ「楽曲作成のために1年間修行した」と名売ってプロデューサーっぽく仕立て上げるケースが生まれたのです。こうなると粗製乱造で「河村隆一プロデュースの工藤静香」や「YOSHIKIプロデュースのDir An Grey」が売りになる様では、早晩このブームは淘汰されるでしょう。
 そうなると、小室−エイベックスのケースを模範に、「プロデューサー−レコード会社」さらにこれを包含する「プロダクション」がかつてとは違った形態で再び歌謡界の主柱を占めるかも知れません。
 既存のマス・プロダクションの衰退は、勿論ナベプロの様なある種の「横暴」の場合もあるにせよ、プロダクションのカラーが固定されずたまたま良いディレクターに巡り会えなければ売れない、という極めて乱暴な手法がまかり通っていたからではないでしょうか。これからはある特定の色に限定したプロダクションが求められる筈で、そのキーワードは「小室」でもいいし、イエローキャブの様に「巨乳」であってもいいわけです。
 言わば銀行がリテールや投信に特化するのと同じですが、早くからそれを実現し、かつマス化しても成功させているのがジャニーズです。

 余談ですが、ジャニーズは現在、同Jr.4人の参加した飲酒パーティーが写真週刊誌に掲載され、彼等4人が解雇されたことでもめています。ジャニーズJr.は昨日のミュージック・ステーションに出演し、滝沢某が「お詫び」を述べることで一件落着の積もりでしょうが、冒頭に、あの退屈なタモリとの茶飲み話なしで出演させたのは誠に上手い戦略で、当初予定になかったのに無理矢理出演させたのではないかと疑って仕舞います。
 ジャニーズはDA PUMPボイコットでライジングとももめましたが、ライジングがイジングが安室、MAX、SPEEDらを生み出した沖縄アクターズ・スクールと絶縁したのもこれが影響しているのか?と考えるとそら恐ろしいです。

 閑話休題。歌謡界に話を戻すと、ビジュアル系ブームは相当に落ち着き、LUNA SEAもあまり名前を聞かなくなったのは目出度いことです。ASIAで公演しているやうなので、もう落ち目なのかもしれません。中で、GLAYとL'Arc〜en〜Cielが売れまくっています。ラルクは個人的には曲が好きなので喜ばしいですが、「シングル何週連続発売」「何曲同時発売」というのは誰が考えたのか、うまい戦略です。
 かつて、シングル何枚か売れてようやくアルバムを作れる、という時代があって、その後ニューミュージック台頭以降、アルバム重視と言われましたが、最近は「アルバムはシングル・ヒットの寄せ集め+α」に戻っています。物理的にはLPからCDになって単一アルバムの曲数は随分増えたのですが、一方でマキシ・シングル(大昔のSP盤に当たります)が増え、また今後CD-ROM等が一般化すれば果たしてアルバムという形態が今後も残り続けるか判らなくなってきました。
 ところでGLAYは背の高いお兄さんが曲を作っているのですが、サイド・ギターの人が作曲とは珍しいと思っていたら、この前の「Be With You」で彼がピアノを弾いている姿を見て氷解しました。恐らく彼は良くも悪くも天性のメロディー・メーカーで、P・マッカートニーの様に鼻歌で作れなくなると、丸っ切り作れなくなる人種と見受けました。
 桑田佳祐氏が上手いのはそこで、彼ももう作れなくなってますが昔の焼き直しと今風の曲(多くはサウンド/ビート重視という言葉で語られます)を混ぜることでファンを維持しています。ドリカムの中村正人氏はパクリの名手という声がありますが、「決戦は金曜日」の最後のリフレインでわざわざ「Got To Be Real」の管のフレーズを入れているところを見れば、確信犯であるとともに、自然に彼の中からそっくりなメロディーが生まれてくるという好意的な見方をしたくなります。
 残念ながら彼も「ビート重視」と公言し出したのはもう鼻歌では作れなくなった、ということでしょう。吉田美和氏の喉の衰えもあり、米国進出の夢破れて舞い戻ったドリカムの前途は多難です。
 バンド関連でもう一言述べれば、ジュディマリがまだ売れています。私は彼等はジャズ・ロック風のテクニック集団が売れるために仕方なく子供顔の女性歌手を入れて売れ線の曲を作ったのだと思ってました。実際、彼等のシングルは間奏になると妙に歌謡曲らしくなくなったりするのですが、作曲者であるギターの方が別のバンド(この場合プロジェクトとかユニットと言われます)を作って、「ああ漸くお金も出来てこちらで好きなことをやらせてもらえるんだ」と思ったら、何と同じ曲をシングルで出してました(イロトリドリノセカイ)。何考えてるんだこいつ。

 後は、端折って羅列しましょう。ちょっと前のUAから最近のMISIAまで「黒っぽい」曲で唄の上手い女性歌手も大量に現れています。
 最近では宇多田ヒカルという16?歳の方が売れています。「15、16、17と私の人生暗かった」の「圭子の夢は夜ひらく」でお馴染み、藤圭子氏の娘さんです。(なお藤圭子の最初の旦那は前川清ですが、現在の夫の間との娘さんです)
 余談ですが、昨年売れる前に既にMISIAに注目していたのは流石に椙山泰生氏慧眼であると感服いたします。手前味噌ですが、私はデビュー曲が最初にラジオでかかった時からMy Littel Loverを贔屓にしていた(過去形です)のを密かな誇りにしていました。

 あとは沖縄から来たデュオ「キロロ」が昨年売れて紅白にも出ました。沖縄振興策の一環と考えれば良いかも知れません。
 とんねるずの「野猿」などお笑いの人の唄も幾つか売れており、先般は「進ぬ!電波少年」から出たSomething ELseという人々が出てきました。
 「ゆず」とか「エレファントカシマシ」とかもろ叙情フォークは嫌いなので聞きません。(勿論、GLAYも歌詞は完全に叙情フォークで、「やがてく〜る〜。各々の交差点を〜」と熱唱されては、、、40過ぎの親爺が唄ってるのかと思いました)。広瀬香美は演歌です。イカ天の生き残り、Blankey Jet Cityの方がまだいいです。
 ブランキーもドラマ主題歌がヒットしたのですが、この傾向はもう10年位続いていて昨年大ヒットしたフジ系ドラマ「眠れぬ森」の主題歌「カモフラージュ」(竹内まりや)がその好例です。
 先日始まった中谷美紀のドラマ「ケイゾク」は何故か好評のやうですが、この主題歌は坂本龍一がかつて岡田有希子に提供した曲をセルフ・カバーした「Ballet Mecanique」をさらに歌詞を替えた唄です。間もなく発売されます。

 はい。そんなところです。主に海外在住の方、歌謡曲を余り聴かない方向けに当世の歌謡曲事情を述べてみました。
 この分野では近田春夫氏が第一人者で週刊文春にも連載されています。氏は歌詞にも着目している所が私とは異なりますが、メロディーに載せた時の歌詞の響きを重視されているのは流石です。私も氏を目標に今後も歌謡曲分析に研鑽したいと思います。
 (ご感想は是非掲示板へ/この稿はAIESEC OBMLに投稿したものを大幅に改訂しました。/また固有名詞の誤記は芸能評論家・こたろ氏のご指摘に基づき訂正致しました。)

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