Back to 010331 解説・お好み演芸会 ![]() 今会に臨むに当たって、真っ先に決まったのが「ニセYMO」である。粥川成婚二次会の際の演奏がまずまずの評価を得たので、メンバー唯一の独身となったダニ氏の御成婚の際に再出演することは、御成婚が決まる以前から確定的だったのである。 ![]() そこで満を持して98年6月の粥川成婚二次会「踊るYMO」が、「ニセYMO」の初舞台となった。「似非YMO」の失敗の教訓を活かして、シーケンサーによる自動演奏と手弾きを混ぜた、本家YMOのスタイルを踏襲、楽曲もライディーン、テクノポリスといった著名な曲に絞り、タイテン・アップを媒介に後半はYMOから離れてクラブ形式の踊りで盛り上がりを演出した。 ![]() 後半踊りに連なるのは96年の「お面舞踏会」の流れを受けている。しかし全面踊りを今回もというのは如何にもマンネリの誹りを免れない。そこで「ニセYMO」以降の後半部を創作するに当たってひとつの鍵となったのはハイスクール・ララバイである。「踊るYMO」の際には"一般に馴染みが深く、かつYMOとも縁の深い楽曲"との観点からピンクレディーのウォンテッドを3曲目に演奏した。これは本家YMOが極初期のレパートリーとしていたことから採用したのだが、これに代わるものとして今回俎上に上がったのが細野晴臣作曲、81年のイモ欽トリオのヒット曲ハイスクール・ララバイである。これを演奏するとなると当然イモ欽役が3人必要になり、彼等は踊りながら歌うことになる。そうすれば毎度お馴染み「舞踏隊」もここで使える。但しそのためには余り唐突にイモ欽が出て来ても笑いは取れない。この段階で今回の主題となった「笑い」のコンセプトが頭を擡げてくるのだ。 ![]() コントのネタ作りが始まってからの話になるが、良い子・悪い子・普通の子のオチだけでは、実際に萩本欽一氏の番組が面白くなかったように、どうにも弱い。そこでワルオのホモネタで落とし、変態ファッションで衣装だけでも笑いが取れるよう作りこんだ。この"変態"衣装は「踊るYMO」にも4人で現れた変態のリニューアル版である。 ![]() 会全体のプランはもとより、これに先だって練習を開始したのはニセYMOの演奏である。前述の通り、前回超メジャーの2曲を演奏しているだけに、今回は幾分マイナーな選曲にならざるを得ない。この中で、既にダニ氏が従来から練習を積んでいたDear Lizのソロ演奏を頭にすることがまず内定を見た。このDear Lizは元来がサントリー・ウィスキーのCF曲で、坂本龍一がMedia Bahn Liveで演奏したピアノ曲ヴァージョンよりもこの原曲の方が格好いい。が既存のMIDIファイルがないため、断念した。このようにシーケンサー導入後は、MIDIファイルの存否、出来・不出来に選曲は大きく左右されている。本来はニセとはいえYMOを名乗るならば自ら打ち込みからコツコツ始めるのが筋だろうが、とてもそこ迄の気力はない。従って概ね1曲200円程度で販売されているMIDIファイルを購入し、これを改変して残す部分を決める。即ち前回のテクポリ/ライディーンならばダニがメロ+オカズ、粥川がベースとバッキングと手弾き部分が多いのでシーケンサーの鳴らしている音は少ないし、逆に中国女は粥川がエレキ・ベースに回っているためバッキングは概ねシーケンサーとなっていた。ウォンテッドもピンクレディー版の改変で充分間に合ったのだが、流石に今回候補曲に挙がったFotomusikのようなマイナーな曲ではネット上にアップロードされているものを含めても既存のものはない。そこでDear Lizに連なる教授の曲として採用されたのがEtudeである。中間部のジャズ風部分の演奏に若干の不安が残ることは重々承知の上この曲を決めたが、これには最後まで悩まされることになる。
![]() こうして曲が決まると粥川が打ち込みで鳴らす部分、手弾きの部分を決めラフにアレンジする。昨年の11月に第1回目のスタジオ練習が行われたがこの際厄介だったのがEtudeである。この曲はピアノだけでも幾つもの音が鳴っており、どの部分を弾くべきか、果た又抜いた音と弾く音がイコールなのか、これを耳から判断し指示するのが椙山氏である。椙山氏はアレンジの細かい部分のみならず音色、音量の判断においても重要な役割を担っており、畢竟ニセYMOはこの椙山氏のセンスと、ダニのピアノ演奏力、粥川の事務作業力に支えられて成立していたと言っても過言ではない。 ![]() なお衣装については当初は白地に「ニセYMO」とプリントした80年ワールド・ツアー版衣装を作成する意気込みであったが、粥川が12月に痔疾治療で入院したこともあり、またYMOとして一般に認識され易いのは赤い人民服に限るという判断から、前回の流用となった。厳密に言えばラメ地の一番目立つものを前回は粥川、今回はダニと何れも新郎が着用したという細かい違いのみである。また前回生唄は中国女における粥川のボーカルのみだったが、今回は欽ドンのテーマに加え、ハイスクール、ダウンタウンでもコーラスに登場、ボコーダー用の粥川のヘッドセット・マイクと合わせ計4本のマイクが生きる大掛かりなセッティングとなったことを付記しておく。 一方、演芸会の方は、年明けに大まかなプランがまとまり、2月には欽ドン・コントのネタ作りが行われた。またヒゲはダニの旧友である滝氏に全権が委任された。滝夫妻はこの他、着替えのために新郎新婦が抜けるのをカヴァーするために設けた紹介スライドの運営、また後になるが滝夫人はハイスクール・ララバイ舞踏のスーパーヴァイザーとして活躍する。氏が踊りを完璧に記憶していたことが舞踏練習のスムーズな進展に著しく寄与したことを銘記しておきたい。 ![]() 再び歴史を紐解けば、この「舞踏隊」というコンセプトは95年の椙山氏の御成婚二次会の際にEarth,Wind & FireのSeptemberに乗って踊る「セプテンバー・ダンサーズ」の出演を依頼されたことが発端であり、前日の深夜2時からの練習を粥川が仕切ったことから舞踏隊隊長への道が開かれたのである。想えば以来、二次会と言えば舞踏というパターンが定着し、お約束として今回も登場が必然視され、結果美しく舞台を飾ったのは歴史のなせる業か。
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![]() 歓談後、スライドを経ていよいよ「ニセYMO」が始まると、ヒゲ、欽ドン、懺悔までは一気だった。欽ドンではハゲ鬘に自前の浴衣の若林、学生服姿でボーカルの近藤真樹、七三に髪を固め辞書を抱えて現れた前田と何れも抜かりない。懺悔では告白するダニが水の代わりにパイを浴び一件落着、この際ダニも神様も本当に危険な告白はしていない、とは申し上げない。そしてダウンタウンを留美夫人が唄い、二人並んで御挨拶の大々円と相成った。押すことを恐れる余り時間を読み過ぎたか、始まってみると余りにスムーズでもう1曲ぐらい演奏しても良かったのではとの余裕も出てきた。「ニセYMO」演奏の後、ヒゲのテーマの前奏に乗ってヒゲの2人とお色直し後の新婦が登場してきたが、この際万一準備が遅れ時間が空いたら繋ぎにシーケンサーなしでラーディーンを演奏しようというプランもあった。後になってNHKハイビジョンで2月に放映された「細野晴臣イエローマジック・ショー」で本家YMOの3人がドテラで手弾きだけのライディーンを演奏してるのを見て、これがまたいい味を出していたため一寸惜しかったというのも本音だったか。3時間かけてセットを組んだローディー氏も「ニセYMO」とは実は演芸のバックバンドだったとは驚いただろうか。しかし、それこそ「ニセYMO」が「ニセ」ではあっても「YMO」を名乗る醍醐味だろう。 ![]() 最後に、当初ワルオ役を予定しながらやむなく降板しカメラマンに回った平島、「踊るYMO」に続いてビデオを回した椙山彩子夫人、会場音楽の選曲・CD等音出し担当の横山氏、滝夫人率いる受付の皆様、更に内輪であるがサブで写真担当を務めた妻・美和と、裏方陣に御礼を申し上げたい。 末筆ながら今回を以て「ニゼYMO」は事実上散解するが、「もう1曲ぐらい」の余韻は何れの日にや実現すべき「ニセYMO」3=再生「ニセYMO」の日迄残しておきたい。「ニセYMO」メンバーで進めていた平田氏新曲は中断中に本会設営に入り、平田氏の御成婚には間に合わなかった。従って、何れの日にかまた別の形で皆様にお目にかかることをここに誓って、拙稿を占めたい。 ご来場、また本HPにてご覧の皆様、大変ありがとうございました。そして上田谷夫妻、末永くお幸せに。 粥川善洋 Copyright (c)2001 y.kayukawa.koenji Allright reserved |