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     解説・お好み演芸会
ニセYMO、再び
 ニセYMOの足跡を振り返る
 会に臨むに当たって、真っ先に決まったのが「ニセYMO」である。粥川成婚二次会の際の演奏がまずまずの評価を得たので、メンバー唯一の独身となったダニ氏の御成婚の際に再出演することは、御成婚が決まる以前から確定的だったのである。
 そもそも「ニセYMO」構想は、93年6月に本家のYMOが再生し、その東京ドーム公演を椙山、上田谷、粥川の3名で観演した際にYMO熱が急速に再燃し、翌94年3月にわざわざ「旧AIESEC関係者の会」なるものを開催し、YMOを演奏したことに端を発する。この時は直前に椙山氏の出演が叶わなくなり、上田谷・粥川によるキーボード2台のみの演奏だったが、シーケンサーを使わず手弾きオンリーと妙に拘りを示したために、音楽的にも成功とは言い難い出来に終わった。そもそもYMOの最盛期である79-80年頃に小学生として最も影響を受けた「YMO世代」を自負する程には、一般にYMOの楽曲は馴染みが少ないために、単に演奏するだけでは今ひとつ観衆の受けが良くない。従って、結婚式の二次会で、かつ新郎が演奏者の一員ならば、少々知られていない楽曲でも盛り上がってくれるだろうというのが、この94年「似非YMO」公演にて得られた結論である。
 そこで満を持して98年6月の粥川成婚二次会「踊るYMO」が、「ニセYMO」の初舞台となった。「似非YMO」の失敗の教訓を活かして、シーケンサーによる自動演奏と手弾きを混ぜた、本家YMOのスタイルを踏襲、楽曲もライディーン、テクノポリスといった著名な曲に絞り、タイテン・アップを媒介に後半はYMOから離れてクラブ形式の踊りで盛り上がりを演出した。

 ニセYMO2構想の生い立ち
 半踊りに連なるのは96年の「お面舞踏会」の流れを受けている。しかし全面踊りを今回もというのは如何にもマンネリの誹りを免れない。そこで「ニセYMO」以降の後半部を創作するに当たってひとつの鍵となったのはハイスクール・ララバイである。「踊るYMO」の際には"一般に馴染みが深く、かつYMOとも縁の深い楽曲"との観点からピンクレディーのウォンテッドを3曲目に演奏した。これは本家YMOが極初期のレパートリーとしていたことから採用したのだが、これに代わるものとして今回俎上に上がったのが細野晴臣作曲、81年のイモ欽トリオのヒット曲ハイスクール・ララバイである。これを演奏するとなると当然イモ欽役が3人必要になり、彼等は踊りながら歌うことになる。そうすれば毎度お馴染み「舞踏隊」もここで使える。但しそのためには余り唐突にイモ欽が出て来ても笑いは取れない。この段階で今回の主題となった「笑い」のコンセプトが頭を擡げてくるのだ。
 即ち、イモ欽のコントからハイスクール・ララバイにつなげる、そうなるとネタがイモ欽だけでは寂しい、ではいっそ笑いネタを並べてみればというのが「お好み演芸会」に至った経緯である。候補は幾つかあったがドリフ、欽ちゃん、ひょうきん族に決めたのは我々の世代に幼少時から馴染みの深い番組を並べてみようという発想で、更にひょうきん族からエンディングのダウンタウンを新婦の唄でと繋がった。エポ版のMIDIファイルに良いものがなかったためやむなくシュガー・ベイブ版の演奏になったが、ひょうきん族の放送開始当初、未だレギュラーでなくプロ野球の雨傘番組時代はエポ版でなくこのシュガー・ベイブ版が放送に使われていたことは後から知った。細野さん→ナイアガラの大滝氏→山下達郎でYMOとの関連も充分であるのは言う迄もない。
 コントのネタ作りが始まってからの話になるが、良い子・悪い子・普通の子のオチだけでは、実際に萩本欽一氏の番組が面白くなかったように、どうにも弱い。そこでワルオのホモネタで落とし、変態ファッションで衣装だけでも笑いが取れるよう作りこんだ。この"変態"衣装は「踊るYMO」にも4人で現れた変態のリニューアル版である。

 ニセYMOの音楽構築
 全体のプランはもとより、これに先だって練習を開始したのはニセYMOの演奏である。前述の通り、前回超メジャーの2曲を演奏しているだけに、今回は幾分マイナーな選曲にならざるを得ない。この中で、既にダニ氏が従来から練習を積んでいたDear Lizのソロ演奏を頭にすることがまず内定を見た。このDear Lizは元来がサントリー・ウィスキーのCF曲で、坂本龍一がMedia Bahn Liveで演奏したピアノ曲ヴァージョンよりもこの原曲の方が格好いい。が既存のMIDIファイルがないため、断念した。このようにシーケンサー導入後は、MIDIファイルの存否、出来・不出来に選曲は大きく左右されている。本来はニセとはいえYMOを名乗るならば自ら打ち込みからコツコツ始めるのが筋だろうが、とてもそこ迄の気力はない。従って概ね1曲200円程度で販売されているMIDIファイルを購入し、これを改変して残す部分を決める。即ち前回のテクポリ/ライディーンならばダニがメロ+オカズ、粥川がベースとバッキングと手弾き部分が多いのでシーケンサーの鳴らしている音は少ないし、逆に中国女は粥川がエレキ・ベースに回っているためバッキングは概ねシーケンサーとなっていた。ウォンテッドもピンクレディー版の改変で充分間に合ったのだが、流石に今回候補曲に挙がったFotomusikのようなマイナーな曲ではネット上にアップロードされているものを含めても既存のものはない。そこでDear Lizに連なる教授の曲として採用されたのがEtudeである。中間部のジャズ風部分の演奏に若干の不安が残ることは重々承知の上この曲を決めたが、これには最後まで悩まされることになる。

練習中のニセYMO

ネタ検討会於豆蔵
 もう1曲は94年の「似非YMO」で最も完成度の高かった(と自負のあった)マッド・ピエロを再利用。粥川がベースとメロ、ダニがキーボードとピアノでバッキングという変則アレンジが固まっており、本家YMOのファースト・ライブ同様に中間部にメンバー紹介を挿入、更には再生(本家)YMOライブで中国女の 途中にコズミック・サーフィンが出てきた様に、シムーンの一節を取り入れるの
も前回同様。シーケンサーでピコピコ音を鳴らし原曲に忠実にボコーダーで唄う完成版を是非演奏したいという粥川の意向で採用が決まった。この他に新譜歌謡の曲は矢野顕子版東風、Ballet MecaniqueからClonic Love(両者は同一曲の別アレンジ)と様々候補はあり、後者はMIDIオケ作成もほぼ完成していたが前述の様にダウンタウンに決まった。

 ニセYMO練習に励む
 うして曲が決まると粥川が打ち込みで鳴らす部分、手弾きの部分を決めラフにアレンジする。昨年の11月に第1回目のスタジオ練習が行われたがこの際厄介だったのがEtudeである。この曲はピアノだけでも幾つもの音が鳴っており、どの部分を弾くべきか、果た又抜いた音と弾く音がイコールなのか、これを耳から判断し指示するのが椙山氏である。椙山氏はアレンジの細かい部分のみならず音色、音量の判断においても重要な役割を担っており、畢竟ニセYMOはこの椙山氏のセンスと、ダニのピアノ演奏力、粥川の事務作業力に支えられて成立していたと言っても過言ではない。
 先を急いだが11月に始まった練習は3月30日前日迄都合6回に亘って行われ、徐々に演奏も固まっていったのだが、結局Etudeの中間ジャズ部は最後迄3人とも怖々の演奏から抜け出せなかった。前回の如く手が元々覚えている様な演奏曲でなかったという弱点はしっかり影響を与えていたのである。なお練習の課程でヒゲのテーマはシーケンサーなしの一発演奏に変更され、5分も演奏すれば殆どトランス状態になることも確認された。また、欽ドンでは冒頭のテーマを「ニセYMO」が歌唱することも決まった。CSのフジテレビ721から音の録れたひょうきん懺悔室と異なり、欽ドンは放映がなかったためやむなく取られた措置だが、こうして細々とした仕事の多い、「ニセYMO」2となった。
 なお衣装については当初は白地に「ニセYMO」とプリントした80年ワールド・ツアー版衣装を作成する意気込みであったが、粥川が12月に痔疾治療で入院したこともあり、またYMOとして一般に認識され易いのは赤い人民服に限るという判断から、前回の流用となった。厳密に言えばラメ地の一番目立つものを前回は粥川、今回はダニと何れも新郎が着用したという細かい違いのみである。また前回生唄は中国女における粥川のボーカルのみだったが、今回は欽ドンのテーマに加え、ハイスクール、ダウンタウンでもコーラスに登場、ボコーダー用の粥川のヘッドセット・マイクと合わせ計4本のマイクが生きる大掛かりなセッティングとなったことを付記しておく。
 一方、演芸会の方は、年明けに大まかなプランがまとまり、2月には欽ドン・コントのネタ作りが行われた。またヒゲはダニの旧友である滝氏に全権が委任された。滝夫妻はこの他、着替えのために新郎新婦が抜けるのをカヴァーするために設けた紹介スライドの運営、また後になるが滝夫人はハイスクール・ララバイ舞踏のスーパーヴァイザーとして活躍する。氏が踊りを完璧に記憶していたことが舞踏練習のスムーズな進展に著しく寄与したことを銘記しておきたい。

 舞踏隊奮闘す
 び歴史を紐解けば、この「舞踏隊」というコンセプトは95年の椙山氏の御成婚二次会の際にEarth,Wind & FireのSeptemberに乗って踊る「セプテンバー・ダンサーズ」の出演を依頼されたことが発端であり、前日の深夜2時からの練習を粥川が仕切ったことから舞踏隊隊長への道が開かれたのである。想えば以来、二次会と言えば舞踏というパターンが定着し、お約束として今回も登場が必然視され、結果美しく舞台を飾ったのは歴史のなせる業か。
 コントとハイスクール・ララバイ、更にひょうきん懺悔室は3月に2度に亘って練習が行われ、2回目は5月に結婚が決まり、今回は司会と懺悔の神父役を兼ねる平田も名古屋から参加、神様衣装は今回新規に発見
右は指導に勤しむ滝夫人

本番にて舞踏隊

白塗神様
した新宿・岡田屋にて布から購入するという手の入れ様だったが、当日はこれに応えた和里田の怪演が大きな反響を呼んだのである。

 雪の2001年3月31日
 日の「ニセYMO」練習後、機材類を全て椙山車に搬入、キーボードが4台にシーケンサー、ボコーダー等箱物が3つ、ヘッドセット・マイクのヘッドフォンも3つにコードが数知れず、更に衣装、垂れ幕と荷物は過重を極める。これを翌31日12時に会場に搬入しセッティングが始まる。真っ新なパーティー会場に少し又少しとセットが積み上がっていく様は壮観である。14時過新郎が到着、親戚一同の昼食会を中途で抜けてきたとのことで、既に新婦は衣装装着のため事前に会場に到着しているので、親類のみになった昼食会で如何に会話が弾んだかは敢えて問わない。急ぎリハーサル、順調な様で一安心すると16時からは人前式である。最近は人前式も段々坊主のいない基督教式に近付いているとは椙山氏の弁。新婦は女子校教諭のため大量の女子高生が参画、偶々会話する機会があったが"現代の若者"特集に出てきそうな若者ではなく礼儀正しい方々で見直した。
 17:30開会、スムーズに会は進行する。司会は平田、小林芙雪の組み合わせで滞りない。生憎の雪の中にも拘わらず160人を超えこれまでの関係者二次会における参加者数の記録が130人台なので、大台に乗った所で「只今140人を超えました」と経世会の総会の様なアナウンスを入れようかと思ったが、悪趣味なのでやめた。会場には全貌を見渡せる二階フロアがあり、ここに式を終えた親族の方々が飲まず食わずで階下を見下ろしている構図は一寸気まずい。当初から二
階は待機席扱いとはいえ、担当者はコロコロ代わり、当日係員が一人しか現れずかつ肝心な時にいない、今回唯一画竜点睛を欠いた会場運営会社の対応のマズさがここにも現れている様に感じた。
 歓談後、スライドを経ていよいよ「ニセYMO」が始まると、ヒゲ、欽ドン、懺悔までは一気だった。欽ドンではハゲ鬘に自前の浴衣の若林、学生服姿でボーカルの近藤真樹、七三に髪を固め辞書を抱えて現れた前田と何れも抜かりない。懺悔では告白するダニが水の代わりにパイを浴び一件落着、この際ダニも神様も本当に危険な告白はしていない、とは申し上げない。そしてダウンタウンを留美夫人が唄い、二人並んで御挨拶の大々円と相成った。押すことを恐れる余り時間を読み過ぎたか、始まってみると余りにスムーズでもう1曲ぐらい演奏しても良かったのではとの余裕も出てきた。「ニセYMO」演奏の後、ヒゲのテーマの前奏に乗ってヒゲの2人とお色直し後の新婦が登場してきたが、この際万一準備が遅れ時間が空いたら繋ぎにシーケンサーなしでラーディーンを演奏しようというプランもあった。後になってNHKハイビジョンで2月に放映された「細野晴臣イエローマジック・ショー」で本家YMOの3人がドテラで手弾きだけのライディーンを演奏してるのを見て、これがまたいい味を出していたため一寸惜しかったというのも本音だったか。3時間かけてセットを組んだローディー氏も「ニセYMO」とは実は演芸のバックバンドだったとは驚いただろうか。しかし、それこそ「ニセYMO」が「ニセ」ではあっても「YMO」を名乗る醍醐味だろう。

 なお終了後は代官山三次会(右写真)、ダニ夫妻は3箇所の3次会を巡る多忙さで、一方残る「ニセYMO」メンバー2名もまず機材の搬出、続いてダニ新居にキーボードと贈物の花を送迎。二次会と新夫妻宅が近いことに大いに利点があることが確認された。更に三次会を中途に粥川家に残る全荷物を搬入し、約12時間の「ニセYMO」公演は終結した。
 最後に、当初ワルオ役を予定しながらやむなく降板しカメラマンに回った平島、「踊るYMO」に続いてビデオを回した椙山彩子夫人、会場音楽の選曲・CD等音出し担当の横山氏、滝夫人率いる受付の皆様、更に内輪であるがサブで写真担当を務めた妻・美和と、裏方陣に御礼を申し上げたい。
 末筆ながら今回を以て「ニゼYMO」は事実上散解するが、「もう1曲ぐらい」の余韻は何れの日にや実現すべき「ニセYMO」3=再生「ニセYMO」の日迄残しておきたい。「ニセYMO」メンバーで進めていた平田氏新曲は中断中に本会設営に入り、平田氏の御成婚には間に合わなかった。従って、何れの日にかまた別の形で皆様にお目にかかることをここに誓って、拙稿を占めたい。
 ご来場、また本HPにてご覧の皆様、大変ありがとうございました。そして上田谷夫妻、末永くお幸せに。  粥川善洋
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