韓国人と日本人
高橋 洋 1998年3月14日
 先日、韓国人のJayと一緒に、ハーバードのShilaで韓国料理をつつく機会が会った。彼とはハーバードのVernon教授の授業でたまたま知り合ったに過ぎないのだが、彼の方から食事に誘ってくれ、思いがけず様々な興味深い話ができた。
 これまで自分の韓国に対する印象と言うものは、一般的な日本人のそれに例外でなく、決して良いものではなかった。歴史的問題を含めてあくまで客観的であろうという意識は働いているものの、これまでアイセックを通して出会った韓国人の中に、友達と呼べる者は一人も居なかった。彼らは、いつも自分達で固まっており、アジアの集団の中でもやや孤立しており、決して向こうから日本人に対して接してこようとはせず、やはり日本人のことは嫌って避けているのであろう、という固定観念を深めるばかりであった。
 しかし、このJayに会うまでも無く、ここフレッチャーに来てからの、韓国人に対する印象は、着実に改善されつつあった。同級生のWootaekにしろ、Yun Juにしろ、外見も堂々としていれば、さらにこちらへの接し方にも一定の親しみやすさがあり、それほど深くは接していないものの、親近感はあった。さらに、Pfaltzgraff教授の無茶苦茶な授業で自らを救ってくれたTeaching Assistantの金さんに至っては、国籍を超えて、どうしてここまで良くしてくれるのか、と疑いたくなるほどの親切さ、寛容さであり、その頭の良さと相俟って、大いに尊敬の念を抱いていた。そして今回のJayとの話により、私の韓国人観は大いに改善されることになった。

  近親憎悪
 大学で社会学を専攻していたというJayは、日本と韓国との関係をこう表現した。「2つの国はいろいろ共通点があり、世界の中でも非常に文化的に近い関係にある。そしてお互いもそれを強く信じている。ところが実際には細かい点でいろいろと違いがあり、それが逆に誤解の元になる。他国人なら、他国人であるという理由で許せてしまう違いも、相手が同じだと信じ込んでいるから、何故そんなことをするのか、と怒りたくなるのだ」という。
 彼は以前日本で銭湯に行く機会が会ったという。公衆浴場に入る、という文化までは同じなのだが、体の洗い方が異なるのだと言う。日本では自分の回りに居る人たちの迷惑にならないように気を付けながら、穏やかに体を洗ったりシャワーを浴びたりするものだが、韓国ではそのようなことを余り気にせずに、豪快にやるらしい。それが日本人の顰蹙を買う。そして韓国人だということが解り、どうして韓国人はああも身勝手なのか、ということになる。これが白人だったらこうはならないであろう。一見しただけでガイジンとして解る彼らに対しては、日本人はあかの他人として寛容である。
 要するに一種の近親憎悪なのである。それも戦争を通して複雑にひん曲がってしまったが故に、余計ややこしい。近くて、兄弟のような関係であるが故に、誤解が誤解を増幅し、憎悪が憎悪を生む。どうしてこいつはこんな事を言うのか、こんなことをするのかと。

  在日韓国人
 さらに面白かったのは、在日韓国人の日本人の対韓国観への影響である。Jayによると、日本で比較的下層に位置している在日韓国人が、日本人の韓国そのものへの印象を悪くさせているのではないか、と言う。
 在日韓国人の問題は、決して100%が本人達の問題ではない(要するに、植民地支配・強制連行という歴史の産物であるということ)事を改めて確認した上で話を進めると、確かにそれはその通りかもしれない。他国人と違い、在日韓国人は、日本人がある意味で最も身近に接する、唯一の外国への窓口である。日本人は知らず知らずの内に、在日韓国人を通して韓国そのもへの印象を形成してしまいがちである。自分自身で振り返ってみても、テレビのニュースなどで、低俗な殺人事件や強盗事件で頻繁に韓国姓が登場し、また韓国人か、と侮蔑的な目を向けた経験が何度かある。しかしそれは、韓国人だから引き起こすものではなく、世界普く低層にある人々が高い確率で引き起こす問題なのである。
 彼によると、本国の韓国人は勿論そんな事はないし、対日観も大きく変ってきているという。特に戦争を全く知らない若い世代の中では、日本へ対する印象は決して悪くは無いと言う。そこまで言われると、逆に日本人の若者の方が、思い込みで韓国人に悪い対するイメージを膨らませすぎてはいないか、と心配にさえなってきた。

  戦後の韓国観・日本観
 ここまで来れば、核心に触れても良かろう、と思い、思い切って日本人の韓国観について、こちらの意見を振ってみた。
 「日本人の韓国人に対する印象は、残念ながら決して良くはない。そちらにも色々と言いたい事はあるだろうけど、あくまでこちらの意見だけを言わせてもらうと、日本人は韓国人が自分達の事を嫌っていると思っている。だから、それを口実として、韓国人のことを嫌っているというより、興味を持っていない。嫌われているのに関心を持てと言う方が、おかしな話でしょ。」
 びっくりしたことに、彼は私のこの意見に対して反論をしなかった。それは日本人の思い過ごしだとか、戦争でひどい事をしておきながら、などの繰り言は一切言わなかった。彼も大体同意見だという。そしてその背景には、上に上げたような誤解の積み重ねがあるのではないか、と言う。
 さらに彼は付け加えた。「韓国人側の一般的な意見としては、日本のことを尊敬していると思う。戦争であれだけ無茶苦茶になりながら、短期間の間に、本当に奇跡的に立ち直った。これは多くの韓国人が素直に評価しており、だからこそ日本のシステムを真似て韓国もそれに追いつこうとした。でもその裏には、植民地支配を受けた事から来る恨みと悔しさが入り交じった眼差しがあり、だからこそ、より大きく進んでいる日本に対して、随所随所で譲歩して欲しいと思ってしまう。そちらの方がお兄さんなのだから、弟に譲るのは当たり前ではないかと思う」のだそうだ。
 以前ソニーの上司の留岡さんなどからも、商談の度に、韓国人から酒の席で、「日本は戦争中にあれだけひどい事をしたのだから、もっと金額を負けろと、無茶苦茶なことを言われる」と聞いた事があったが、基本的には同じ感情なのであろう。これも近親憎悪なのである。近すぎるのに、近すぎるが故に、これだけ捻れてしまった関係の中で、日本人と韓国人はこれまでお互いの気持ちと気持ちの悪循環を繰り返してきた。本当はEUのように、お互いの経済を補い合い、経済統合などへ進んでもおかしくない両国が、大きな壁をお互いに作り合ってきた。

  日本の責任
 今更戦争責任論などの議論をする気はないが、Jayの話を改めて考えると、やはり日本に責任が大きいのは明白であると思う。過去の過ちへの責任のことをとやかく言おうとしているのではない。戦後それを改善すべき責任のことである。
 欧州に目をむけると、ドイツは戦争の反省に省みて、近隣諸国に扉を開き、自ら積極的に関係改善を図る努力を怠らなかった。過去への歴史的認識を明確にし、自らの戦争責任を認めた上で、未来思考の関係をこちらから呼びかけていったのである。それに対して被害を受けた国々も応えた。それが今や欧州連合にまで発展し、ドイツはその中心に位置している。ドイツの首相がどこぞの国への歴訪で、戦争責任に付いて言及したなどと言う話はついぞ耳にしない。
 しかし日本は違った。日本国民は、自らの国が侵した責任を、個人のものとしては認識しなかった。それは軍事的帝国という組織が起こしたものであり、当時の国際情勢から言って仕方が無かったのだと考える人が多い。個人を糾弾するならば、一部の軍部の人が悪いのだと言う。そして、大半の日本国民は被害者であったとさえ言う。しかしそれは無理な話である。朝鮮半島からさらには中国本土まで出かけていって、実際に何十万・何百万人という人々を殺したのは、結局日本人個人なのである。心情的には、国内では理解できないでもないが、少なくとも対外的には、彼らの前では、そんなことは口が裂けても言うべきではない。
 さらに彼らの論理を続けると、責任が無いのだから、こちらから頭を下げて出かけて行く必要もあるまい。幸いアメリカの傘の元で、経済活動さえやっていれば、日本は世界の中で十分に食っていけた。自らの過ちを素直に認め、誤って回ると言う事は、よほで出来た人でも中々出来ないものである。そうして気付いたら戦争が終わってから50年が過ぎ、経済大国にはなったものの、アジアでは決して尊敬されていない中途半端なリーダーになった。いや、リーダーとして認められてさえいないかもしれない。

  両国の未来
 Jayとも一致したことだが、両国の未来は、やはりこれらの誤解を解く事から始まるのだと思う。歴史的にも両国は非常に深い繋がりを持って接してきた。本当に兄弟同士なのである。そのお互いの共通点を再確認し、さらに微妙な相違点を尊重した上で、仲直りをすべきではないか。そのためには若者の世代を中心とした、草の根の交流が欠かせないだろう。
 実際その芽は出始めている。ワールドカップ予選の日本・韓国戦でも、ソウルの試合で韓国が負けた後で、両国のサポーター同士がお互いの健闘を称え合ったと言う。韓国の出場が決まっていたからだと意地の悪いことを言う人も居るが、やはり十年前では考えられなかったことではないか。確実にお互いの溝は埋まってきている。特に、韓国側の感情的な対応が見られなくなっているように思う。メディアの過剰報道が日本人の対韓国観を、韓国人の対日観を悪くしていたということも言えるだろう。「責任が重い」日本も負けてはいられない。こちらからどんどん向こうに歩み寄って行かなければならない。頭を下げていけ、と言うのではない。有りの侭の自分達を見せ、お互いの腹を割って話をする事が、今必要なのではないか。
 20年後、日本がアジアの本当の一員であり、かつリーダーとして、韓国と共に通貨統合を成し遂げていたとしたら、素晴らしい事ではないか。今度の日本料理屋「蘆花」でのJayとのディナーの際には、その話をしなければ。


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