中国語を学ぶ
高橋 洋 2001年8月
 先日、「中国異質論」なるエッセーを書いてしまった。「9年ぶりに中国を旅行したのに、9年前にも増して全然面白くなかったぞ!」という怒りのエッセーでしたが、それでも私は何故かずっと中国語を勉強してます。「あんなに中国のことをボロクソに言ったのに、矛盾してるじゃないか!!」とご批判の方々もいらっしゃることでしょう。そこで、その怒りのエッセーへのフォローの意味も込めて、「中国語を学ぶ」というエッセーを贈りたいと思います。

中国語を学び始めて13年目
 私の中国語との出会いは1988年4月。大学の第二外国語として中国語を選択して以来、13年が経ちました。その時は、「世界中の人を五人集めれば一人は中国語を喋るのだから」という単純な理由で中国語を選択したのですが、大学での第二外国語の勉強では、皆様同様、全然モノになりませんでした。しかし、高橋にとって大学時代の語学体験と言えば、それ以上にアジアのアイセッカーと喋った中国語なのです。台湾人、シンガポール人、香港人。私の大好きなアジア人は、大抵中国語が喋れるので、彼らと片言に過ぎないとは言え英語以外の言語で意思疎通をするのは、私にとっての大きな大きな楽しみでした。そのため、大学卒業後も、NHKのラジオ講座なんかで、細々と語学力向上を試みていたのです。
 大きな転機というか、ステップアップになったのは、フレッチャー大学院に留学中に、タフツ大学の語学コースを受講したこと。わずか1年間でしたが、この間に私の中国語は飛躍的に向上しました(と思う)。中学1年生レベルの英語が、高校1年生レベルになったぐらいでしょうか。これまでは何年かけてもダラダラと超低空飛行を続けているだけだったのが、寮のキッチンで喋っている台湾人の会話の端々が聞き取れるようになってくると、不思議とやる気が出てくるもので、帰国後も東京にて中国語学校に通うこと、現在二年目です。帰国後はさらに上手くなったとは思わないけど、やはり一つの壁を越えてしまうと、目の前に広がる世界が変わるもので、この前の悲惨な中国旅行でも、自分の中国語が最低限通じることを確認できて、それはそれで嬉しかったのです。

アメリカの大学で、中国人から英語で中国語を教わる
 皆さんは、海外で、第一外国語を使って、第二外国語を教わったことはありますか?こんな面白い体験を私はボストンでしました。アメリカの大学、先生は中国人、生徒はアメリカ人、使用言語は英語、教科は中国語。中国語コースのレベルは自分に合わせて選択できたけど、授業自体は英語なので、フィルターを2枚通して果たして勉強になるのかな?と、正直不安もありました。でもその授業内容が余りに素晴らしくて、楽しくて、不安なんて吹っ飛んでしまったのです。
 何が日本での外国語の授業と違うのか?兎にも角にも会話に重点を置いていること。先生が生徒に喋りかけ、生徒もそれに答えて、上手いか下手かはともかく、会話をせざるを得ない。聞いて、話すことが確実に求められる授業です。1回は1時間程度で生徒も20名弱と多めですが、それが週に3コマあり、それ以外に教科書の中国語テープのリスニングを義務付けられます(視聴覚室にて週3回以上)。また、別途自主参加のフリートークのクラスが週に1回ありました。アメリカでも学部生というのは勉強が嫌いなようで、私以外は殆どフリートークへの参加者はいなかったのですが・・・
 その分、読解は殆どやらされません。難しい文章を読ませて、(英語で)解釈させるようなことはありませんでした。また、私以外の生徒にとって、漢字を覚えることは大変な作業なはずなのですが、これもどちらかと言うと家庭学習に委ねられ、授業で強いて覚えさせるという雰囲気ではなかったですね。「会話」という、実用にあくまで重点を置いた教育であると言えるでしょう。少しでも会話が通じるようになると、やる気が出て楽しくなってくるものです。
 面白かったのが、最初のレベルチェックをする時の話。勿論、先生と実際に中国語会話することが主たるチェックなのですが、さらに先生から聞かれたのが、「漢字はいくつ覚えているの?」という質問。日本ではこの質問は有り得ないのです。だって、日本人なら誰でも漢字は何千何万と覚えてますから。でも、非漢字文化圏の人が中国語を勉強する際には、「漢字をいくつ覚えているか」で、大まかなレベルが判断できるのです。これは日本人中国語学習者にとっては、目から鱗でしたね。
 一緒に勉強した仲間は、多くがアメリカ人ですが、アジア系が多かった。彼らは、親からあるいは祖父母からの影響で、中国語との接触はあったが、喋れるほどではない。だから、外国語を通して自らのルーツを探って見よう、ということなのでしょう。従って、顔はどっから見てもアジア系なんだけど、特に中国語の発音がきれいな訳でもない。たまには親の影響か、かなり中国語が喋れる人もいるけど、漢字になるとさらに素人。そんな中に、漢字は完璧だけど、中国語は素人という「外国人」(私のことね)が居ると、視点が違って結構面白いのです。

中国語の文字
 大学で第二外国語を選択する際に、「漢字が同じだから簡単だろうと思って中国語にした!」という話を耳にすることがありますよね。これは、間違ってはいません。漢字を共有している日本人にとって、中国語を勉強することは、特に漢字を知らない欧米人と比較して、圧倒的に有利です。だって想像してみて下さい。そもそも26文字で全ての感情表現をする文化の人々にとって、文字を何千何万も覚えなければならないというのは、とんでもない事なのです。我々日本人も小学校の時に頑張って漢字を覚えましたが、日常生活で漢字の活字を目にしない人々にとって、これは我々が払った労力の比ではないのです。韓国でも最近漢字を使わないため、若者の漢字離れが進んでいるようで問題になってますね。
 厳密に言うと、日本語の漢字と中国語の漢字は同じではありません。ご存知かと思いますが、現在の中国大陸では「簡体字」が使われてます。これは、共産党政権が成立した後、毛沢東が「大勢の中国人が容易に中国語を使えるように」と考えて、昔ながらの漢字を簡略化したものです。これに対して、昔ながらの漢字を「繁体字」と言います。これは現在でも台湾や香港で使われています。日本語の漢字はこの中間に位置すると言えますが、全て異なるわけでは必ずしもなく、3つ共同じ文字の場合もあります。例えば、日本語の「学」は、簡体字でも「学」ですが、繁体字では日本人にもお馴染みの「学」の上に「興」のようなのが乗っかった仰々しいやつです。また、日本語の「児」は、繁体字では「兒」となりますが、簡体字では下の部分だけの「ル」みたいな字になってしまいます。「門」は日本語と繁体字は同じですが、簡体字では、日本人もたまにやる上の部分を略したものが正式です。そうそう、「漢字」といいますが、「漢」は簡体字ではさんずい偏に又です。
 「文字が同じなら、同じ意味なのか?」これは、ほぼその通りです。全く同じものとしては、「学校」、「中国」、「新年」、「留学」、「政府」、「生活」、「雨」、「雪」・・・その他山ほどあります。やや漢字が違うけれど納得なのが、「昨日=昨天」、「今日=今天」、「明日=明天」、「思う=想」、「中国語=漢語または中文」、「週末=周末」、「飛行機=飛机」、「都市=城市」、「私=我」、「自転車=自行車」などなど。それから、「頑張れ!=加油!」って面白いでしょ?「長假」って私の大好きなTVドラマなんですけど、解ります?
 勿論、日本語とは全然違う漢字が使われているケースもあります。例えば、「米国=美国」。日本語ではアメリカの音から「米」をあてましたが、中国語では「美=Mei」と発音するので、なるほどですよね。勘違いし易いのが、「自動車=汽車」、「バス=公共汽車」、「汽車=火車」、「色=顔色」、「ホテル=大酒店」、「先生=老師」、「〜さん=先生」。あと、「紹介」が「介紹」だったりもします。それから、「月曜日=星期一」、「火曜日=星期二」・・・「土曜日=星期六」、「日曜日=星期天」です。レストランでは、「豚肉=猪肉」、「卵=蛋」ですので、間違えないように。とまあ、漢字の意味が違うものも多いので、注意が必要です。

中国語の発音
 このように、文字がほぼ共通で意味も似ているならば相当有利なわけで、中国の新聞を見せられても日本人はそれなりに理解できるのです。しかし、「漢字が同じだとしても、発音が違うだろう。どうして会話ができるんだ!」これは鋭い指摘です。そもそも日本には「大和言葉」があり、中国文化の強い影響下で漢字を使って日本語を表記することを覚え、さらに漢字の語彙を日本語にも加えていきました。だから、多くの漢字には音読みと訓読みがありますよね。訓読みとは昔ながらの大和言葉としての発音であり、音読みとはその言葉と同じ意味の中国語での発音ということになります。それが、長い歴史の中で日本流に解釈されたので、現在の漢字の音読みと中国の漢字の発音は異なりますが、そもそも同じ言葉であったのですから、発音は近いのです。Radioとラジオが当たらずとも遠からじであるように。
 例えば、「中国:ちゅうごく」は「Zhong Guo:チョングオ」、「新聞:しんぶん」は「Xin Wen:シンウェン」、「海外:かいがい」は「Hai Wai:ハイワイ」とまあ、近い漢字は多いんです。さらに、日本語同士で似た発音は、当然ながら、中国語に直しても発音が似ている場合が多いことになります。例えば、「信:しん」も「心:しん」も、中国語では「Xin:シン」です。一方で、「深:しん」や「神:しん」は、残念ながら「Shen:シェン」ですが。
 中国語を多少なりとも勉強してくると、読み方が解らない単語(漢字)でも、日本語の音読みから判断して、中国語はこうじゃないかな、という類推がある程度可能になってきます。その領域に達すると、「我 学習 国際政治 和 国際経済法」などという、中国語のレベルが私と同程度のアメリカ人ではできないような、高度な語彙の利用が可能になるのです。タフツ大学での中国語のフリートークの時間に、中国人の先生と私ともう一人のアジア系の生徒で話をしていたのですが、フリートークなので自分で話題を考えて展開しなければなりません。もう一人の生徒は中国語のレベルは私と同程度ですが、語彙が限られているので、すぐに話につまってしまいます。しかし私は、中国の歴史の話、政治の話、経済の話とどんどん展開できるのです。まだ教科書では習ってない単語でも、漢字が解るが故に、語彙が普通の中国人と同じぐらいあると言えるのです。その生徒は、「どうしてHiroshiはそんなに語彙が多いんだ?」ってびっくらこいてました。漢字を共有しているということは、「漢字を覚えなくていい」から楽、「漢字の意味を理解できる」から読解が楽である他に、「語彙が広がり易い」ということも大きいのです。
 さて、とは言え、中国語の最大の壁は、やはり発音にあると思います。中国語の発音は日本人にとってかなり難しいのです。まず、悪名高い「四声」があります。四声とは、@高いまま、A上がる、B下がって上がる、C下がる、の4通りのイントネーションのことです。同じ併音(ピンイン:上記の中国語のアルファベット表記)でも、四声が異なると違う漢字になり、従って意味が異なります。日本語で「橋」と「端」と「箸」のイントネーションが異なるようなものですね。例えば、「請問:QingWen」(WenがC下がる)とは、“May I ask a question?”という意味ですが、同じ併音で四声が異なる「請吻:QingWen」(WenがB下がって上がる)では、“Kiss me, please!”という意味になるのです。これを中国で現地のご婦人に言ってなぐられたというアメリカ人の友達がいました。
 さらに発音が難しい理由として、日本語には無い発音がたくさんあります。chやzhなど、英語にも無い、舌を思いっきりそらした発音もあるし、uの発音は思いっきり舌をすぼめて前に突き出す必要があります。fは英語と同じで上の歯を下唇に付ける必要があり、hはハ行の発音に近いものの喉の奥から音を出す必要があります。これらの発音は大変難しく、私もなかなか中国語が聞き取れるようにはなりません。

中国語の文法
 じゃあ、文法はどうなのか?台湾人に言わせると、「中国語なんて、文法が無いようなものだから簡単でしょ?」とのことです。確かに、時制とか語順とか結構いい加減なのは事実です。未来形の概念が薄いし、語順は英語と同じで主語の次ぎは動詞ですが、一先ず単語を並べれば何とかなります。いくつかの基本となる構文を覚えれば、余り恐れるに足りないかもしれません。「我是日本人=I am Japanese.」、「我説英文=I speak English.」、「我給他写信了=I wrote a letter to him.」、「昨天上午下雨了=It rained yesterday morning.」などなど、解りますか?
 一番楽だなあと思うのは、語尾変化がないことです。フランス語とかの話を聞いていると、4通りの語尾変化があったり、男性名詞と女性名詞と中性名詞があったりして、使い分けが大変で気が狂いそうになりますが、中国語は語尾変化がないんです。これも漢字のお陰です。だって、時制によって漢字の画数が増えたりしたら大変ですよね。
 あと、「的:de」を多用することも中国語の特徴ではないでしょうか。これは日本語の所有格「の」に当たり、例えば「我的朋友:my friend」などのように使われます。さらに、「〜である」という意味もあり、「偉大的毛沢東」など、一先ずこれで繋げばいいやという感じで、大変重宝する言葉です。「介紹中国外交問題的加拿大新聞」(加拿大=Canada)なんて長い名詞句もありです。Yahoo!Taiwanを見ていると、「金城武和中山美穗主演的日劇」というのもありました。
 そうそう、日本語にも外来語がありますよね。日本語では外来語はカタカナで音声表記しますが、中国語ではどうするのでしょうか?そもそも中国語に存在しなかった言葉ですから、@直接音訳する、または、A意味を考えて造語する、のいずれかになります。@の例としては、「クローン=克隆:KeLong」、Aの例としては、「パソコン=電脳:DianNao」でしょうか。両方を上手く満たした、有名な「コカコーラ=可口可楽:KeKouKeLe」というのもありますが、なかなかこうは上手く行きません。タクシーは、意味を考えた「出租車:ChuZuChe」が正式ですが、一般には音訳の「的士:DeShi」の方がよく使われているようです。人名は当然音訳の当て字で、例えば「クリントン=克林頓:KeLinDun」です。台湾人に聞いたのですが、海外の著名人が新しく出てきた場合には、各新聞誌などがそれぞれ勝手に当て字をするので、自然に統一されるまでには複数の漢字名称が並存するとのことです!確かに日本語でも、「ベトナム」と「ヴェトナム」があったりしますが。

中国語の方言
 よく、北京語と広東語は、英語とフランス語ぐらい違う!と聞きます。私はフランス語を勉強したことはありませんし、広東語も殆ど知りませんが、多分その通りなんだと思います。北京語と他の方言では基本的な文法・文構造は同じですが、単語の読み方が全く異なります。例えば、「進ぬ電波少年」でお馴染みの「パンヤオ」は「朋友」の広東語読みですが、北京語では「PengYou:ポンヨウ」です。よく「飲茶:ヤムチャ」と言いますが、これは広東語で、北京語では「YinCha:インチャ」です。また、香港に九龍という地区がありますが、広東語で「GauLun:ガウルン」と読み、英語表記はKowloonなんです。でも、北京語では「JiuLong:ジウロン」と、かなり違います。全てこんな調子ですから、私が広東語の会話を聞いていても、全く聞き取れません。薩摩のおじいさんが津軽のおばあさんと会話をするより厳しいんじゃないでしょうか。
 こんなに違う言葉ですが、驚くべきは、文字が統一されているということです。それは、英語と仏語でアルファベットが同じ(似ている)ということではなく、漢字で表記する限りでは(ほぼ)同じ文章になるということです。即ち、北京で撮影されたTV番組が香港で放映されていても、漢字の字幕さえあれば、全く問題ないということになります。シンガポール人はいろんな中国語方言を操りますが、シンガポールでも北京のあるいは香港の映像が字幕付きで放映されていました。日本でもニュース番組などで方言に字幕が付くことがありますが、あれが当たり前に行われているということです。面白いですよね。
 中国語の方言には、広東語の他に、上海語、福建語などいろいろな言葉があるみたいですが、これらの中で北京にて話されている言葉が、「普通話」即ち標準語とされており、中国中の学校で教えられています。少数民族の自治区でもこれは同じですから、一応中国人なら最低限の北京語は話せることになっています。麗江の納西族や大理の白族も、明らかに発音は「訛って」ましたが、私レベルの北京語は問題なく通じました。これは、多民族国家であり、かつ漢民族の中でも多様性の強い中国にとっての国家統合の大きな要素を担っているのではないでしょうか。

中国語を学ぶことの面白さ
 中国語に限ったことではありませんが、外国語を学んでいて楽しいのは、単にその言葉が話せるようになるだけではなく、言葉を通してその国や民族の文化性が垣間見られるということです。これまでにも触れてきたように、言葉は異なるのに文字と文法はほぼ統一されている中国国内、言葉も文法も異なるのに文字は共有されている中国と日本。これらは東アジア地域の大きな特徴と言えるのではないでしょうか?日本人は必ず第一外国語として英語を勉強しますが、英語についてはそもそも歴史的に日本語と接触がなかった言葉だから、外来語を除けば、中国語と日本語に見られるような発音の類似点とか、文字を共有している点とか、このような言語そのものが持つ歴史や特徴をこれまで考えたことは全く無かったのです。あるいは、第三の言葉を学ぶことにより、多面的な比較が可能になったこともあるでしょう。
 例えば、タフツ大学での中国語コースでこんなことがありました。Dictationの試験での話ですが、中国人の先生が中国語で話す内容を、全文中国語(漢字)で書き取らなければなりません。私はじっと耳を澄まして、先生の話している文意を考えて漢字で書き取ります。勿論、所々聞き取れない所があり、そこは空欄になってしまいます。ところが、他の生徒のやり方は違うのです。彼らは先生の話を「音」として聞き取り、まず併音のアルファベットで全て書き取ります。そしてその後、頭を悩ませてその併音を漢字に直すのです!!!従って、音は似ていても意味が全然異なる漢字を当てはめたりすることもあるのです。この発想の違い!漢字が解るというのは日本人に圧倒的に有利ですが、聞き取り能力を向上させると言う意味では、マイナスになってるんじゃないでしょうか?確かに、タフツ大学での中国語クラスの仲間の発音は、今の日本での中国語クラスの仲間の発音より良かったと思います。日本人はどうしても、意味が解る漢字に頼り、かつ日本の漢字の発音に引き摺られてしまうんです。
 また、香港人や台湾人と英語で喋っていて面白いのは、彼らがHeとSheをやたらよく間違えること。これに思い当たった人もいるかと思いますが、どうしてだか解りますか?中国語では、「He=他」、「She=女偏に也」なのですが、共に発音は「Ta;ター」なのです。だから、彼らは会話において性別の区別の意識が薄く、それが英語を喋る時の誤りにつながるのです。香港人の友達がこの間違いをした時に、私の持論を打ち明けてみると、彼女は「その通りだ」と笑ってました。
 「えっ、本当?」と、相手の言ったことにびっくりして確認する時、あなたは英語で何と言いますか?“Really?”じゃないですか?これはまさに日本語の直訳の、日本人的発想に合う使い易い言葉です。勿論間違いではないけど、アメリカ人は“Are you sure?”ともよく言います。若干日本人とは発想の違いが見られますよね。ところが、シンガポール人は、このような場合必ず”Is it?”と訊きます。私もシンガポール人と付き合い始めた頃には、余りに頻繁に使うのでやや戸惑ったのですが、まさに、「それってほんと?」という響きなのです。どうしてこの表現を頻繁に使うか解ります?中国語でこのような場合、「Shi Ma:シーマ?」と言うのです。Shi(是)は英語のBE動詞に当たり、Ma(口偏に馬)は単純な疑問詞で「〜ですか?」と言う意味になります。まさにIs it?と同じじゃありませんか!

 あなたは何か外国語を勉強してますか?面白いエピソードなどあったら、是非教えて下さい。

Back to 投稿-index
Copyright (c)2001 K.Horiuchi-H.Takahashi Allright reserved