親孝行と情報開示
高橋 洋 1998年9月1日
 8月21日から30日まで、丁度十日間に渡って行われた米国東海岸旅行は、私にとって生まれて初めての親孝行だった。両親に叔父叔母まで引き連れて、ボストンからナイアガラ、ニューヨークと、ツアーコンダクターとして観光の日程を無事に終えたが、海外旅行が殆ど初めてで、英語もろくに出来ない両親にとってはあらゆる物が目新しく、多いに楽しんでくれたようである。旅行の全てを企画・準備し、事前に、あるいはその場その場で切符を手配したり地下鉄に乗ったりと、私の活躍に両親は心から満足してくれたようで、私としても本当に嬉しかった。そしてこの「親孝行」が、他ならぬ、自分についての両親への情報開示であることに気がついたのである。

  親不孝
 これまで私は、ある意味で自分勝手な人生を歩んできた。18才まで親元で真面目な優等生をしていたものの、その後東京の大学に入学し、大学時代はアイセックに没頭した。家にも普通の時間に帰ってこず、毎月の電話代ばかり目が飛び出るほど高く、企業研修だ国際セミナーだと普通の学生らしからぬことばかり口走り、毎年のようにどこか海外へ出かけていく。私自身は自らの活動に誇りを持って楽しみ、いろいろなものを学んでいたものの、遠い関西からお金だけを送り続けている両親にとっては、自分の子供がまともなことをしているのか、間違った道に進んでいないか、心の中では心配していたに違いない。大学時代には1年間休学をして海外の企業で働くなどと言う、親の世代から考えると信じられない「逸脱した」行動もした。それでも無事に戻ってきて、やっとこさ一流企業に就職したかと思ったら、4年少々で今後は休職して、企業派遣ではなく私費で海外留学をするなどと言い出した。
 よくもまあ、我ながら、こんな数々の我が侭を親が許したものだと思う。どうしても若い内は、自分の事しか視野に入らないものであり、人間勝手に大きくなったものだと思いがちである。自分が正しいと信じる道を歩んでいる限り、親がそれに反対する権利など無く、応援してくれて当然のことと思い込んでいる節があった。しかし、自分を親の立場に置いてみれば、心配で心配でしょうがなかったことだろうと思う。今から振り返ると、そのような自己中心的な自分が恥ずかしくてしょうがない。
 それが、やはり私も歳を取ったのか、社会人になった頃から、親のことを少しづつ考えるようになってきた。祖母の病気が悪化し、母がその看病に専念するため長い間続けてきた教師の職をやめた。阪神大震災もあった。東京にいる私から見て、親のために何かしてあげたいと、生まれて初めて思うようになってきたのである。しかし、それでも当時は実際には何もできなかった。せいぜい頻繁に実家へ帰り、顔を見せて特に母親を喜ばせるぐらいしかできなかった。それが、今回の留学以降、質的に変化してきたような気がする。

  心からの親孝行
 こちらで面白い体験をし、珍しいことに出会い、美しい景色を見つける度に、両親にも体験させたいと思うようになった。何故かそういう場面で親の顔が思い浮かぶことが多くなってきた。そんなことはこれまで一度も無かったのにである。しかもそれは、親孝行をしなければならないという義務的な響きは全くなく、心からの欲求であった。素直に親孝行をしたいと思えるようになってきたのである。
 それに電子メールという近代兵器が強力な味方となってくれた。出国する時に、強引に実家のゲーム以外には使われていなかったパソコンをインターネットに接続してきたのだが、それが奏功した。当初は、機械音痴の母親は電子メールを使うことを嫌がっていたが、諦めずにこちらからメールを送り続ける内に、慣れてきたのか毎週のように何かしら母親と近況の交換をすることが出来るようになった。この夏の帰国時に、宝塚の叔父叔母や義理の姉に対して、電子メールが使えることをさかんに自慢していたのが印象的であった。これまで私が東京に居た時は、こちらから向こうへ連絡することはまずなく、月に1回くらい母親から電話をかけてくることしかなかった。それもこちらは、邪魔臭そうにあしらっていたのを覚えている。今から思うと、母親はどんな気持ちだったであろうかと、心が痛む。
 いずれにしろ、そのメールによる頻繁な近況のやり取りの結晶が、今回の米国東海岸旅行であった。とにかく今の自分に出来ることはこれしかない。また、社会人に戻ればいつ一緒に海外旅行ができるとも解らない。そしてどうしても、今自分が住み、生活している、大好きなボストンを見に来て欲しかった。自分がこんなに素晴らしい環境で、伸び伸びと勉強していることを。両親ともに、初めは実現するとは思っていなかった様であるが、もともと好奇心が強い母親を通じて頑張って説得した。その後は、航空券の予約に行程の企画、レンタカーの手配にミュージカルのチケットの購入と、着着と準備を進めた。その結果、今回の旅行は、盛りだくさんの、かつパック旅行では決して味わえない、大変面白いものになったと自負している。

  ボストン訪問
 今回両親は、大自然のナイアガラが一番印象的だったと口を揃えていったが、私の生活を垣間見られたことこそが一番嬉しかったのではないかと、密かに思っている。ボストンという美しく趣のある街を訪れ、フレッチャーという恵まれた環境の中で、私が心から楽しんで勉強をしていることが十分に解ったに違いない。実際母親は、「こんな素晴らしい環境で勉強できるなんて、あなたは本当に恵まれているのよ」と言っていた。これまでの私なら、「そんなの自分の実力の御蔭だよ」と皮肉の一つでも言っていたであろうが、今回はさすがに素直に同感できた。
 親不孝続きの私の人生の中でも、最も親元から離れた場所に来た時に、親が私のことを最も近くに感じられたというのは、全く皮肉な話である。しかし、電子メールによる頻繁かつ素直な意思疎通と、私の協力を得て実際にボストンを訪問してみることによって、それは初めて実現し得たのである。特に現代においては、物理的な距離は殆ど問題になら無い。要はその意志があるかどうかである。自分から他人に対して情報を発信しようかという意志が。

  情報開示
 それは投資家に対する情報開示に他ならない。カナダからアメリカへの再入国の際に入国審査官が、私がアメリカへの留学生であることを行った時に、 "Your mom is checking her investment, hah?"と冗談を言ったが、まさにその通りである。実際にリターンを期待しているかどうかは別として、母親は子供のことを心配している。生き生きと充実した生活をしているか、人様に迷惑を掛けていないか、そして体を壊していないかどうか。どんなに子供思いで自由放任の親であったとしても、子供が何をしているか解らない、と言うことほど心配なことはないであろう。そうである。そこには十分な説明責任があるはずなのである。これこそが、今ちまたで騒がれているいる「情報開示」に他ならない。
 これまでの日本企業の多くは、とにかく悪い情報はひた隠しにし、表面的に体裁を整えて、良い情報しか流さなかった。自分を少しでも良く見せたいと言うのは、誰にも否定できない人情であろう。しかしそのために総会屋と癒着し、粉飾決済をしたりと、歴代これらの「違法行為」が当然の常識として処理されてきたのである。しかし、大競争時代の市場はそれを許さなくなってきた。悪い情報を正確に流す企業以上に、情報を正確に流さない企業の株が、経済合理性に素直に基づいた海外投資家によって売り浴びされるようになった。投資家に対して嘘をつく企業は、投資家から相手にされないようになった。何をやっているかさっぱり解らない、というのが一番厄介で信用できないのである。

 私の両親に対する関係は、依然大幅な赤字である。私の現在の収入はゼロであるし、特別なリターンはしたくても全くしようがない。いや、今後一生かかっても、どんな大金持になっても、この債務を返済しきれないのは間違い無い。しかし最低限、説明責任(アカウンタビリティー)に基づいて、両親に対する情報開示(ディスクロージャー)だけは行っていきたい。人には虚栄心があるものだし、嘘も方便とも言うが、自分を信頼してくれ居ている人に対する情報開示は、投資家に対するリターン以前の最低限の責務であろう。幸い電子メールによる通信は固定費を除けばただである。勉強の合間に多少の息抜きの時間を使って、今後も頻繁にメールの発信を続けようと思う。

 以 上。

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