台湾人:その現在と未来
高橋 洋 1998年12月14日
 台湾人。アイセックに入り、まず最初に触れ合う外国人が台湾人であった人は多いのではないだろうか。いや、触れ合っただけなら研修生の可能性が高いので、欧米人の方が多いかもしれない。最初に仲良くなった海外アイセッカーと言われれば、台湾人の可能性が俄然高くなるはずであろう。何故か?台湾人はスタディーツアーなどで数多くかつ頻繁に日本に来るという物理的な理由以外に、なによりも日本人との相性がいいからである。日本人として、台湾人と触れ合っていると本当に自然で楽しいことが多く、すぐに数多くの友達ができてしまう。日本人アイセッカーに台湾人びいきが多いのは、このような理由によるのだろう。

台湾と日本の友好関係
 まず文化的に様々な面を共有している。古くは漢字という文明を共有しており、英語の出来ないアイセック1年生でも筆談という強い味方が存在する。そして、日本の漫画、ドラマ、歌など現代文明もその多くを共有している。筆談で日本の俳優や歌手の名前をお互いに書き合い感動したことを、まるで昨日のように記憶している。意思疎通の手段を共有し、かつ意思疎通の内容が重なっていれば、これで話が弾まないはずがない。日本人のアイセッカーとしても、ただ日本と違う対象としての海外でなく、始めて経験する海外の中での日本なのである。
 それだけであれば、香港やシンガポールでも同様のことが言える。これらの地域でも、漢字が基本的に通用し、かつ日本の世俗文化も十分に普及している。しかし、台湾にはそれ以上のものがあるのではなかろうか。友情関係を深く長いものにしてくれる何かが。それは、台湾人の日本人に対する特別な友好意識ではないかと、私はずっと前から考えていた。特に同じく日本の植民地支配を受けた韓国人の日本へ対する視線と比較すると、その特徴は際立っている。何故台湾人はこんなにも日本人に対して友好的なのか?私はずっと疑問に思っていた。
 大学時代に、思い切って台湾人のアイセッカーに聞いたことがある。その結論は以下のようなものであった。韓国と台湾では、戦後の歴史が余りにも異なった。韓国はアメリカの傘の中に入り、日本との関係勧善を積極的に進める必要がなかった。言うまでもなく、日本も同様な理由で隣国である韓国に対して関係改善を積極的に進めなかったから、韓国にとって日本とは、戦後一貫して、祖国を植民地化し南北分断の原因を作った憎い「敵」であり、この両国関係は非常にこじれたものとなってしまった。
 一方台湾にとっては、一にも二にも、「敵」は大陸の共産主義中国であった。特に1972年のニクソンの訪中以降は、台湾は国際的に孤立する道を歩み始める。李登輝総統が盛んに言っているように、この「国」にとっての最大の外交方針は善隣外交であり、民間中心に経済的結びつきを各国と保つために涙ぐましい努力を繰り広げている。日本は経済的に重要な協力関係にあったこともあり、より大きくかつ緊迫した大陸の問題に注力するために、過去の問題を蒸し返さずに、友好関係を保とうとして来たのである。ここからは実際に見た訳ではないので推測に過ぎないが、歴史教育などでも、共産主義の脅威を強調することに主眼が置かれており、国際的孤立を少しでも回避するために日本に対する過剰な反応を抑えようという配慮が働いているのかもしれない。一方中国でも韓国でも、歴史教科書の3分の1が近代の帝国主義日本への抵抗に費やされているという。韓国にとって、反共も勿論重要であったが、戦後の国家の一大方針が、踏みにじられた民族の尊厳の回復であったのに対して、台湾にとっては大陸の回復だったのである。そこでは日本は、少なくとも主要な「敵」ではなかった。

本省人と外省人
 上のような理解である程度納得していた積もりになっていたが、事はもっともっと複雑であった。ここフレッチャー大学院に来て以来、寮の隣り部屋の二人組みが台湾人であり、彼らといろいろな話をしている内に、本省人と外省人の対立という、台湾内部の問題の深刻さを知るに至った。この「台湾現地人」と、大陸から逃げてきた「国民党中国人」との間に対立があることは知っていたが、この問題がここまで深刻で、かつ対日観へも大きな影響を与えているとまでは理解していなかった。
 台湾は、大雑把に言って3種類の民族から成るといえる。まずは大昔紀元前後(?)から住んで居る、本当の意味での原住民族である高砂人である。彼らは現在全人口の3%を占めるに過ぎず、主に台湾山脈に住んで居るため山岳民族とも呼ばれている。中国系台湾人への同化が進んでいるらしく、政治的影響力も殆ど無い。次は本省人である。彼らは台湾の現地人と理解されているが、実は15世紀前後以降大陸の福建省周辺から台湾島へ渡ってきた中国人の末裔である。かれらは北京語に対して福建語に近い「台湾語」を話し、自らを台湾の現地民族と位置づける。人口の8割を占める。最後は外省人である。彼らは戦後の国共内戦の結果、1949年に共産主義中華人民共和国が大陸で建設されるに至り、蒋介石の国民党と共に台湾に逃げてきた中国人である。人口の2割弱を占めるに過ぎないが、国民党の中枢として政治的権力を握る。出身地は上海など多様であるが、国民党が中国の正統政府を名乗ることもあり基本的に北京語を話し、よって台湾の共通語も北京語となった。
 台湾は日清戦争の結果、1895年の下関条約以降日本の植民地となったが、さらに日本撤退後は1949年に大陸からの国民党によって新たな支配を受けるに至り、複雑な対立を内包するに至る。これが本省人と外省人の対立であり、現在の台湾の大きな政治問題となっている。

中国では無い台湾
 何が対立なのか。単純に言って、本省人にとって、突然大陸から降って涌いた国民党関係者に、台湾島全域を支配され、共産党との複雑な闘争に巻き込まれて、こんな迷惑な話はないであろう。国民党及び蒋介石は、大陸から強力な軍隊を持ち込み、1949年以降も米国より広範な軍事的・経済的援助を受けてきたため、その支配領域に比して強大な火器を保有している。そのため国民の大半を占める本省人は、外省人に従わざるを得なかった。
 1976年に蒋介石が死去し、息子の蒋経国が後を継いでからは、国際環境の変化に伴って本省人への抑圧政策も緩和されてきたが、1988年以降、本省人である李登輝が総統を担当するに至り、その傾向が強まっている。それは、そもそも台湾の主役(厳密には高砂人を除いて、ではあるが)であるはずの本省人の復権である。彼らは共産党でも国民党でもない、要するに如何なる「中国」とも一線を画した、「台湾」という実体への回帰を目指している。自らの国名を中華民国:Republic of Chinaと呼ばずに台湾:Taiwanと呼び、自らをTaiwaneseと呼ぶ。言葉でも、標準語である北京語ではなく、台湾語を使う。そしてその政治運動の急先鋒は、台湾独立を叫んでいるのである。
 その根深さは日本人の想像を絶する。隣り部屋の台湾人2人は、実は本省人と外省人である。彼らの話を聞いていると面白いほど主張が異なる。外省人の李氏の方は、「国民党第一」であり、従って共産党をとにかく憎んでいる。国民党を支持し続け、1979年の断交以降も軍事的援助を続ける米国を大切な同盟国と考えている。さすがに今更国民党による中国大陸統一は夢見ていないが、近い親戚が居る大陸への思い入れは非常に強い。あくまで台湾そのものでなく、大陸を含めた中国のことを考えている。
 一方本省人の陳氏の方は、「台湾第一」である。大陸への思い入れは薄く、台湾の言葉、文化を強調したがる。自らをChineseとは呼ばない、というよりChineseという言葉を使うと嫌がる。必ず、"I am not a Chinese, but a Taiwanese."と、穏やかに言い直される。自らをChinaとは異なるTaiwanで自己確認しているのである。逆に、その台湾の独自性を妨げた国民党を嫌っている。「蒋介石は台湾の為に何もしてくれなかった。」「蒋介石は大陸に戻ることしか考えていなかった」などと、蒋介石及び国民党政権に痛烈な批判を浴びせている。国民党の議員秘書をしていたという李大中は、その度にしかめっ面をして聞いている。

台湾の対日観
 この対立は、対日観にも複雑に影を落とさざるを得ない。李氏にとって日本とは、そもそも国民党が大陸で共産党に負けるに至った主要な要因の一つである。彼がいみじくも言ったが、「日本の中国大陸侵略がなかったら、国民党は難なく中国国内問題を収拾し、従って、共産党に破れるということもなかったであろう」という解釈に成る。確かに1930年代の共産党の勢力を見れば、その解釈は肯ける。その彼にとっては、日本は表面的には友好関係を強く保ちたい、信頼できる隣国の一つであるが、心の中ではやはり複雑な割り切れなさを持っている。
 一方陳氏にとって日本とは、国民党と比べて大きな「敵」ではない。「日本は真剣に植民地経営を推し進めたが、蒋介石はすぐにでも大陸を取り返せると思っていたから、仮の宿である台湾に何も残してくれなかった」とまで彼は言った。身近な敵意の対象である国民党がいるために、やや遠い「敵」であった日本への嫌悪感が薄れ、相対的に親近感さえ涌いているようである。現に彼の祖母は日本語が上手に話せるらしく、日本語の名前も持っていた。それを恨みを込めてではなく、楽しそうに話してくれる。「祖母は富士山を見たがっていた。」、「天皇の写真を毎日拝んでいた。」とのことである。その意味では、日本の植民地経営は、随分と「成功」していたのかもしれない。この傾向は、日本の大衆文化の影響を好意的に受けている、若者層であればあるほど強い。
 勿論現実的にはそんなに甘い話ばかりではないであろう。日本軍が台湾で日本文化への同化を進めたのは紛れも無い事実であるし、戦時中の日本軍が発行した軍票が戦後補償されずに紙屑同然となり、現在でも問題に成っているという話を聞いたこともある。上のような一部の話で、日本の植民地化政策そのものを美化しようとか言う動きが、とんでもない思い上がりであるのは言うまでもない。しかし、その一方で、台湾内部において、外省人及び国民党に対する対立感情の中で、対日観が特異な扱いを受けているのは紛れも無い事実であろう。

台湾の将来
 今後台湾はどこへ向かうのか。この問題は現在の国際安全保障において、五本の指に入る主要なテーマであり、特にアジアの安全保障を語る際には、朝鮮問題と並んで外せない問題である。中国にとって、米国のアジア政策にとって、鍵となっている項目である。単純に分類すれば、@中華人民共和国としての統一、A台湾としての独立、B現状維持の3通りが考えうるだろう。
  @中華人民共和国としての統一
 香港が1997年7月に中国に返還されたように、台湾も中国と平和的な統一を遂げる。両国はそもそも一国であったのであり、人種系統的にも文化的にも、大きな中国での違いは小さくないとは言えど、やはり統一されるのが相応しい。確かにまだ現時点では経済的格差が大きいものの、香港が当面一国二制度で広範な自治を保障されているように、台湾も徐々に中国の一部として統合されていけば良い。以上が中華人民共和国の首脳部、そして恐らく民間人の多数が考えていることではないだろうか。勿論その方法論になれば、すぐにでも軍事力で統一してしまえという強硬派もいれば、もう少し両国の格差が無くなり、機が熟すのを待ってから、という柔軟派まで様々だろうが。
 強硬派の主張の源は、そもそも台湾は中国の領土の一部であり、従って台湾問題は中国の内政問題である、という認識に発する。台湾が中国の一部であるという考えは、1978年の日中平和友好条約でも確認されており、1979年の米中間の共同コミュニケでも原則的に合意されている。数ヶ月前にクリントン大統領が訪中した時にも、中国政府の再三の要請により、明確に確立されている。台湾と外交関係を結ぶ国家が最早20カ国少々しかない現在においては、世界的な了解事項と言えるだろう。その一方で、その「台湾問題」を軍事的な手段で解決することを支持している国家はまず無い。特に米国はコミュニケの中で何度も「平和的手段による解決」を注文しており、それが為されるまでは、台湾への武器供与及び米国の軍事的関与を続けることを銘記している。その対立が表面化したのが1996年の台湾海峡危機であった。台湾での総統選挙で独立派への圧力をかけるために、中国が台湾海峡で示威的に軍事訓練を行ったあれである。米国は、中国の「軍事演習」という建前を尊重しつつも、太平洋艦隊の一部を派遣してその動きを牽制した。
 台湾の人民の一部、特に外省人が支持するのが、上の柔軟派の主張である。経済的な対外関係だけは何とか保っているものの、政治的・外交的に見ると台湾は完全に国際社会から隔離されつつある。今後も中国からの圧力はさらに強くなり、いくら台湾がお金を持っているからとは言え、外交関係を持つ国の数はさらに減っていくだろう。昨年南アフリカ共和国から断交されたことにより、「主要国」との外交関係は全て無くなったとも言われている。このまま孤立の道を深めるよりは、実を取って中国との再統一を図った方が良いのではないか。実際中国の経済的飛躍は目覚しいものがあり、少しずつではあるが、民主化も進んでいる。このまま世界の荒波の中で、どこへ流されるかも解らない小船に乗り続けるよりも、親戚なども乗っている大きな船に乗り換えた方が安心と思うのは自然な感情であろう。
  A台湾としての独立
 その一方で、同じ閉塞状態を打開するのならば、台湾としての独自性を保持する、即ち台湾としての独立を果たしたい、というのがこの主張である。台湾本省人の過激派の主張であり、かつ心情的には多くの台湾人が望んでいるであろう。台湾は歴史的に見ても、大陸とは離れた独自の道を歩んできた。実質的に台湾が中国本土の支配下に入ったのは、1683年に清王朝の康熙帝が、鄭成功の台湾を征服してからである。しかしその後も中国本土は台湾を重要視せず、その証拠に1895年に日本に割譲したわけである。その後台湾は50年間に渡る日本による支配を受け、さらに国共内戦以降は50年間の独自の道を歩んできた。近年では経済的にもコンピューター産業を中核にして影響力を持っており、あの小さな島で外貨準備額は世界の5本の指に入る。文化的にも大陸とは多いに異なり、政治的自由も大陸よりはずっと保証されている。以上が彼らの主張である。台湾は、歴史的、文化的、経済的にも、中国の一部ではないのである。今更中国に組み入れられ、経済的・政治的に不利な扱いを受けるよりは、自らの言葉や文化を維持したまま、シンガポールのように華人の国として独立した方が良い。
 この主張は心情的にはもっともであり、これまで一方的に断交をしてきた負い目のある日本や米国としても、もし実現するなら諸手を挙げて歓迎するであろう。しかし、当面実現するとは思われない。中国がそれを許さないであろう。国共内戦の「遣り残し」として、中国共産党にとって台湾の中国への統一は悲願なのである。この面子を重んじる国としては、国際社会の意向とやら、台湾人民の人権とやらのために、自らの面子を潰されることは許し難い。米国もそれが解っているからこそ、中国への台湾の統一を促進もしなければ、台湾独立を支持したりもしない。
  B現状維持
 ということで、最後に残されたのは現状維持:Status Quoである。当面独立もしなければ、統一もされない。確かに政治的・外交的自由度はジリ貧であるが、経済と民間での繋がりを頼りにして、国際社会の中で生き延びる。これが過半数の台湾人民が現時点で、ある意味で仕方なく支持している方針であろう。かつこれが現在の国民党の党是であり、1996年の総統選挙でこの方針を掲げる李登輝が圧勝し再選を果たしたのは、その現われと見て良い。今回の総選挙で、国民党は当初劣勢といわれながら結果的に過半数を占め、さらに台湾市長の座まで射止めた。結果的に独立急進派のみならず、独立容認の穏健派まで議席を減らしたことは、台湾人民がより保守化し、当面現状維持を望んでいることを表していると解釈できる。
 実際冷戦後の国際社会の主要議題は、軍事問題ではなく経済問題である。経済的価値基準で国益が議論される世の中に成ってきた。確かに外交関係が無いというのはいろいろと不便もあるのだが、海外渡航・海外とのビジネスが全面的に出来ない訳ではない。実際台湾経済は世界経済に深く組み込まれており、米国のCompaqも日本のNECも、台湾が無ければコンピューターが作れないというのは有名な話である。経済中心に世界各国との関係を維持し、独自性を保ち続けることは、確かに落とし所であるだろう。李登輝が数年来繰り広げている "Vacation Diplomacy"は、その具現化された形である。外交関係が無いために、あくまで私人としてアメリカのビザを貰い、休暇を取って母校であるCornell Universityの卒業式で講演し、Washington D.C.にも寄らず、国家元首にも会わずに帰って来る、というあれである。
 しかし、このようなやり方はどこまで続くのだろうか?いかに経済が世界化しているとは言えど、国民国家システムが10年や20年でなくなるとは思われない。中国は現時点では、米国や国際世論への配慮もあり、台湾による民間交流までは規制していないが、上記のCornell Universityの一件のような「主権侵害」が続けば、いつまで中国がこの現状を放置しておくかは全く解らない。実際この件の際にも、中国は米国に対して猛烈に抗議をした。
 やはり長期的に見れば、台湾は中国に統一されるのではないか、と思わざるを得ない。台湾もその辺をわきまえているからこそ、海峡交流協会を通しての両岸の交渉ルートを閉ざしたりはしない。実際に香港の返還はその試金石となっており、だからこそ中国共産党政府も、この台湾と世界が見守る試金石を寛容かつ慎重に扱おうとしている。その一方で、台湾は植民地という形で非合理に分離された訳でもなく、かつ人口規模も香港の10倍近くに及ぶ。台湾問題は、出来れば時間をかけて、両国の経済的・感情的格差が無くなり、両人民が望む形で、あくまで平和的に行われるのを願わずにはいられない。日本にとって、中華人民共和国も台湾もかけがえの無い隣人なのであるから。
以上。

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