世紀末の日本の革命:竜馬がゆく
高橋 洋 1999年8月27日
 20世紀末の日本が直面している状況は、明治維新及び第二次世界大戦直後に匹敵する歴史的な危機である。国際環境の中で、日本という社会システムの根本が問われ、日本人が大きくその価値観を変えることを要求されている。現在の危機を分析すればする程、その状況が明治維新直前の状況と酷似し、一方でそれを変革すべき主役が見当たらないことに気付く。その際に必ず思い出されるのは、故司馬遼太郎氏が描いた坂本竜馬である。21世紀を迎えるに当たり、我々日本人には、既存の価値観に捕われない自由な発想と、現実を客観的に見極める世界観、そして自らの力で事を成し遂げる独立心が求められている。竜馬を見習い、個人個人が「組織からの独立」という革命を起こすことが今必要なのではないか。

@現代の危機:旧体制の腐蝕
 現代の危機を一言で言えば、旧体制の腐蝕ということである。長らく延命を保ってきた権力組織によって、現実に即していない組織原理の元に運営されている体制とは、柔軟性に欠け、自浄能力を失い、外部環境の変容に伴って崩壊の危機に直面することになる。明治維新の直前、徳川時代末期の状態がまさにそうであった。
 徳川幕府は300年近くの間、士農工商の身分制度の下に、武士が、中でも徳川家と譜代大名が権力を牛耳り、絶対的な武力を背景に諸大名を従えるという原理に基づき、国内の秩序を維持してきた。その組織を支える人材達は、下剋上と言われた戦国時代から遠ざかるにつれて、次第に実力によらず世襲の門閥によって固められるようになり、外部環境が変化しても新たな世界観を持つことなく既存の組織防衛に腐心し、現状維持を図るために出来る限り責任を回避しようとした。そのような既得権を保有する階級は、腐蝕した体制が生まれ変わるのを妨げる。
 この状況は、現在の日本の政治体制と酷似している。戦後日本は、官僚の指導による中央集権的な政治を推し進めた。欧米先進国の例にならい重点産業を官僚が決定し、官僚の裁量による指導の下に経済活動を推し進めてきた。その結果、急速な戦後復興、そして経済成長を成し遂げ、世界でも希に見る平等社会を実現した。率直に言って、これ自体は評価してもし過ぎる事はないだろう。しかし身分制は無いものの、東大法学部を卒業したペーパーテストができる者のみがこの官僚組織に入り、入省時点の席次が一生付いて回る。政治家の世界はさらに偏っている。大半は世襲又は官僚出身であり、国民の為に働くべきサービス業であることを忘れている。彼らは自らの所属官庁や選挙区という世界を抜け出せず、事勿れ主義で既存の壁を打ち破る行動は期待すべくもない。
 幕末の危機の際には、黒船が来襲し開港を迫られ、日本経済が貿易を通して世界経済と繋がれるという、外部環境の大転換があった。火縄銃がライフル銃に進歩を遂げ、飛脚や籠が蒸気船に取って代わられた。これら新しい物を積極的に活用するのは、いつの世でも新興勢力である。彼らは既存の秩序に既得権益が少ないため、新しい物に抵抗が無く貪欲に取り込もうとする。薩摩藩は、軍隊を洋式化し蒸気船を最大限活用して、討幕を推し進めた。坂本竜馬は土佐藩内の身分階級という壁をもろともせず、日本国総体のために、経済的実利を通して雄藩を同盟させるという斬新な発想を持って、日本を駆け巡った。これら反体制派による、時代の変化に乗じた既存体制への反乱が、明治維新の本質である。
 20世紀末の世界でも、世界レベルで様々な構造変革が起きている。40年以上続いた冷戦が終焉を迎え、数多くの国家が崩壊し、また誕生した。一方、サイバー革命と共に経済・金融は国境を越えてシームレスに繋がりつつあり、企業活動もその舞台を超国家的に広げている。国際政治の世界でも、それを追認する形で地域的な経済・政治の枠組みが多数形成され、欧州では通貨統合の最終段階である。冷戦時代の軍事力での国家間競争は鳴りを潜め、如何に自由で規律のある市場を企業に提供できるかという観点で、国家の競争力が論じられる時代になってきている。しかし日本はこれら環境の変化に果たして適応しているのか?

A社会システムの革命:明治維新
 明治維新は、外部環境の激変に応じて身分制に基づく閉鎖的な幕藩体制を廃棄し、国民統合を推進して経済活動領域の拡大を図った。農業依存型経済を商工中心の経済へ劇的に改造し、海外との通商を振興しようと試みた。それは、これまで外界と隔離され、藩を国と呼んでいた士農工商に縛られた世界観からすると、想像も付かないコペルニクス的発想の転換だったに違いない。下級武士でも実力次第で政治に参画できるようになり、農民は大名行列に膝ま付く必要もなくなった。商人は思う存分異国と商売ができるようになった。
 同様に、今現代の明治維新を行う必要があると思う。21世紀の日本社会は、明治維新以上に個人の価値観や意思、実力が尊重され、道理が通る世の中にしなければならない。政治家が自らの当選やカネの為ではなく国民の為に立法を、官僚が所属官庁の為ではなく国民の為に行政を、企業が業界慣習に捕われずに合法的な市場競争を行い、一個人が自らの価値観に基づいて自由で充実した生活を送ることのできる世の中にしたい。新たな環境の中で、社会システムの革命が必要なのである。
 この未曾有の危機の中で、誰にその革命を任せればよいか?明治維新を振り返るに、現秩序に莫大な既得権益を持つ幕府高級官僚、有名無実の各藩の上士階級が、新たな社会秩序を担えるはずがない。明治維新は、関ヶ原の戦いで負けた外様の薩摩・長州藩の下級武士、さらに土佐藩でも人間以下に扱われていた旧長曾我部家の郷士が主体になった。彼らは徳川幕府という体制の下で雌伏の時期を過ごしていたが、外部環境が多いに変化した19世紀に入り、自由で発想力に富んだエネルギーを爆発させた。鎖国体制の中でも諸外国との繋がりもあり、既存の硬直した人事ルールで選ばれた人材でなかった為、変革の最中で新たな時代を認識し、卓抜した行動力で革命を率先した。既得権益に縛られていなかったが故に、日本という大きな枠組みにとっての最大福利を考えることができたのである。
 現在の日本において、このような革命がなしうるのか?残念ながら、薩長土の下級武士の様な、抑圧されていた新興政治勢力は見当たらない。現在の秩序に既得権益を有しない、外の世界に通じている、自由な発想ができる主体とは何処にいるのか?結局、戦後日本において最も抑圧されてきたのは、「日本人という個人」でなかったか?一億総中流階級と呼ばれる窮屈な平等社会の中で、組織に依存し、組織の命令に従い、組織の為に良かれと教え込まれた事は疑問を持たずに従ってきた一個人。官僚組織、民間企業を問わず、上司の声に脅え、迎合し、家族も社会をも省みなかった個人。出世コースと信じて忠勤に励んできたMOF担が逮捕され、会社の為と信じて総会屋対策を引き受けてきた総務部長が尻尾切りに遭っている姿を見ると、哀れで仕方が無い。これまでの制度、価値観を根底から否定し、全く新たなものを作らねばならないこの時代環境において、個人の素直な感性や自由な発想力を許容しない組織は邪魔物以外の何物でもない。今日本人にとって最も必要とされているのは、個人としての組織からの独立である。

B21世紀の革命:組織からの独立
 組織からの独立とはどういう事か?それは自分自身に責任を持つことである。自分が本当にしたい事は何であるかを真剣に考え、それを実現するための努力をする。アンテナを高く張り、今社会が求めているものを敏感にキャッチする。誰に命令されるでも無く、自分の命令で行動を開始し、失敗すれば責任を取る。そんな簡単な、当たり前と思われる事が、意外とできていない。例え上司の命令であろうと、法律に反する事はすべきではない。個人の価値観から言って、納得行かない事には反対すべきである。個人として自分の行動に責任を持つこと、それが独立の出発点ではないだろうか。世界平和の為に一身を捧げるのもよし、あくまで国家の政治に尽くしてもいい。企業のために働き続けてもいいし、家族を第一に考える人もいるだろう。いずれにしろ、自由意志に基づいた、個人として責任をもった選択が成されていることが重要なのである。人生は誰のためでもない、自分のためにあるのだから。
 現実的には一個人は弱い。「おかしい」と思っても、それに抵抗できるだけの力を持た無い人が大半であろう。妻子を養っていかなければならない中年サラリーマンが、会社に楯突けるはずがない。万が一個人の自由意志を尊重するシステムが整ったとしても、個人が完全に組織から独立できるとは思われない。人間とは多かれ少なかれ様々な組織に属して、自己確認する動物であるとも言える。しかし、仮にそうだとしても、少なくとも現状のままでは日本の革命は起こらないであろう。組織への絶対的服従と盲目的依存という関係を早々に清算し、これまでの窮屈になった秩序から少しでも自己を解き放ち、個人という責任ある立場から社会に対峙する。そうすれば、少しでも新たな世界が目の前に広がってくるのではなかろうか。

 個人の組織からの独立。日本の現代の危機を考える時、私はどうしても此処へ行き着いてしまう。残念ながら、この世紀末の日本に竜馬は見当たらない。既存の組織に頼らず、我が道を独力で切り開き、世界的視野を持ち、理屈よりも行動で証明するような政治的リーダーが。しかし、少しでも竜馬の生き方に共感するならば、竜馬の出現を待つのではなく、まず一個人が自らの手作りの人生を模索する所から始めざるを得ない。当たり前の様で難しいこの点にこそ、複雑かつ単純な解が隠されているように思われる。それには政治家の既存の政治システムからの独立、官僚の既存の官僚システムからの独立、民間企業の所属産業界からの独立、そして個人の組織からの独立が必要なのである。
 世の中は確実に動いている。現に政治以外の世界では、既にこのような既存の組織からの独立の動きが多々現れている。エリートサラリーマンを辞めてネットビジネスを立ち上げるアントレプレナー、東証を通り越してNASDAQで上場するベンチャー企業、国外で活躍するスポーツマンもその一つだろう。国際機関で活躍する日本人も確実に増えている。脱サラをして、有機農業に人生を賭けてもいい。これら多くの人が、何らかのリスクを抱えながらも自らの夢を信じて輝いている。末期の徳川幕府がそうであったように、もはや既存の価値観で優位にある組織の中に安穏としていることが、何も保証してくれない時代なのである。同じリスクを取るならば、より自分自身が信じる道を歩んでみたらどうであろうか。明確な打倒すべき「敵」が存在しない革命、個々人の精神と価値観に委ねられた革命、これが21世紀を迎える日本人の革命なのである。

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