メコン川に沈む夕日を眺めながら考えたこと:豊かな国ラオス
高橋 洋 2001年1月15日
 私がこれまで訪れた国々の中で、最も貧しいが、最も心が豊かな国。これがインドシナ半島の小国ラオスへの私の印象である。元々私は豊かさや貧しさについて考えるような崇高な精神を持っていない。しかしながら、このひたすら平和でのどかな国ラオスを世紀末の12月に1週間旅行し、メコン川に沈む夕日を見ながら考えたことは、豊かさとは何かということであった。

天使の都バンコク
 12月16日夜。私は久しぶりにバンコク国際空港に降り立った。街の喧騒と活気は相変わらずであったが、天使の都は明らかに近代的になっていた。高層ビルが立ち並び、しゃれたショッピングモールが至る所にあり、観光客というより現地人の客で大変賑わっていた。通りからは簡易タクシーのトゥクトゥクは姿を消し、タクシーの他新しげな車で一杯であり、歩く人々も随分垢抜けたように感じた。その一方で、物売り、客引きは相変わらずしつこく、路上に乞食をたくさん見かけた。この国が観光立国であることは10年前と変わっておらず、観光客向けのレストランや超高級ホテルも数え切れないほどあった。
 その夜、私はバンコク在住の松原夫妻の豪邸に厄介になった。彼らとは夫妻揃っての語り仲間であり、3人は再会早々極自然に語りに入り、夜遅くまで様々な話をした。彼らはバンコクに住むこと既に3年以上であり、タイでの生活を満喫するのは勿論、東南アジアの様々な国にも訪れたらしい。直美夫人に至っては、タイ語を完璧にマスターし、現在タイの小学校で日本語教師もしているという、商社夫人らしからぬ現地への溶け込みようである。夫妻からはいろんな意見を聞いたが、「ラオスはお勧め」というのが、今回急遽ラオスに行くことに決めた、最大の理由である。
 12月に入って突然9日間の休みが舞い込んできた私がまず思いついたのは、カンボジア・アンコールワットであった。カンボジアの復興と共に最近脚光を浴びつつあり、実際に訪れた人に聞いても皆が良かったと言う。バンコクからも入り易く、殆どその気になっていた。しかし直美夫人によれば、「余りいいイメージを持ってない」という。カンボジアは被援助大国で、カンボジア人には純粋な意味での活気が無く、かつ急激な観光化ですれているという。地雷除去のために世界中からNPOが集まって頑張っている一方で、カンボジア政府は人民が自国から逃亡しないように、改めて国境周辺に地雷を埋め直しているという話は衝撃的であった。その点ラオスは、最近まで共産主義であった律儀な国であり、観光化も進んでいないため人々がすれておらず、皆親切で、本当にのんびりできる、お勧めの国らしい。今回は久しぶりの一人旅であり、ゆっくりのんびりいろんな事を考えたいという目的があったため、自分の気持ちはぐぐっとラオスに傾いた。

静かな都ビエンチャン
 翌日17日の夜、バンコクのホアランポーン駅から寝台特急で北東へ向かった。タイでも貧しい地域に当たる東北部のイサーン地方に向けて、列車はのんびりと走る。翌朝8時半にメコン川沿いの街、ノーンカイに到着した。ここは、メコン川に架かる橋を渡ってラオスに入国するポイントになっており、同じ目的の欧州人旅行者と一緒に国境でビザを取得し、メコン川を越えた。簡単にラオスに入国し、さらにトゥクトゥクに乗る事30分程度でラオスの首都ビエンチャンに着いた。そこは、首都と呼ぶには余りに何も無い、静かでのどかな田舎町であった。
 とにかく、高層建築物が全く無い。緑溢れる町には建物が余裕を持って並んでおり、恐らく最も高層の建物であろう、周りにそぐわない高級ホテルですら10階建て程度であった。仏教国であるため寺院が点在しており、街を歩いていても圧迫感が無い。通りには車は少なく、オートバイや自転車が多い。ラオス唯一の「デパート」も僅か2階建てで、内部も雑然としておりアメヤ横丁という感じである。ともあれ、まずは一泊2000円のエアコン・冷蔵庫・TV付きの中級ホテルにチェックインし、いよいよ街に繰り出した。

ラオス旅行完全指南
 私は、ラオ語はおろか、タイ語も全く話せない。ラオ語はタイ語に近いらしく、特にタイ東北部のイサーン地方の人々は、ラオ人と母国語で会話が通じるらしい。(余談だが、松原直美ちゃんがラオスを旅行した時に、ラオ人から「あなたのタイ語は非常に美しい。私もあなたのようなタイ語を喋りたい」と言われたとのことである)しかしながら、治安が良く、要するに脅されたり騙されたりする恐れが無い国では、言葉が通じなくても旅行ぐらい何とかなるものである。私も、「サバイディー:こんにちは」、「コー(プ)チャイ:ありがとう」の二言を駆使し、市場で可愛い娘を見つける度にナンパを始めた。エジプトでもそうだったが、ここでもデジカメが大活躍した。デジカメで写真を撮り、液晶画面に映っている姿を見せるとみんな驚いて大喜びするのだ。(左写真:市場でお姉ちゃんと)
 市場で店を開いている人々は、決して向こうからしつこく物を売りつけてきたりはしないが、こちらが喋りかけると相手をしてくれる。さらに、一部の観光客専用商品を除けば、価格をふっかけられることもない。「タオダイ:いくら?」と聞くと、「パン・キップ」などと答えてくれる。ラオスの通貨は「キップ」で、1000キップ=14円である。ラオ語で数字を覚えるのは大変かと思うかもしれないが、商品経済が未発達のラオスでは、価格設定が非常に単純である。市場で売られている一般の物は、大体1000、2000、3000、4000、5000キップのいずれかの価格になっている。従って、「パン・キップ」と言えば1000キップであり、「スィーパン・キップ」と言えば4000キップになる。とまあそんな感じで、私の果てし無くゼロに近い語学力でも、店のお姉ちゃん達を冷やかすことは十分に出来るのだ。
 物価は極端に安い。ラーメン1杯が14円から、水1リットルも14円、バスに1時間乗っても14円。一方、トゥクトゥクは外国人が利用することが多いためか、5kmぐらいの距離で1台70円と高いが、お寺の拝観料は28円、エアコンの無い清潔なゲストハウスは1泊420円という具合だろうか。キップは近年インフレが激しいらしいが、最高額紙幣が5000キップ=70円のため、人々はポケット一杯に札束を抱えている。2000円程度をキップに換えただけで、私の財布は札束で溢れてしまった。さらにラオスでは、USドル、タイバーツでも、殆どの場所でそのまま通用する。ラオスは国民の80%が農民で、未だに自給自足を原則とした経済であるため、日用品や電化製品は全てタイなどから輸入しなければならず、従って外貨の力が強い。
 市場には多様な食べ物が山と積まれている。国民こぞって農業をやっているため、食うには困らないようだ。ラオスの主食はタイ同様米であるが、もち米が主流である。もち米を炊いたものが、竹で編んだ容器に入っており、ここから右手で一握り掴み、これを軽くこねて食べる。これが所謂白い「ご飯」であり、従ってこれとは別におかずが並ぶことになる。味としては、タイ料理を辛くないようにしたイメージか。肉の炒め物、パパイヤのサラダなど、タイ料理ほどではないが、多種多様である。さらに、麺類が豊富である。基本はフーという米から作ったうどんのような麺なのだが、スープがいろいろあり、あっさり塩味、だしを取ったこってり味、さらには味噌味まである。その他、ようかん、バナナ味のちまきのようなお菓子、杏仁豆腐を柔らかくしたゼリーのようなものまで、デザートも豊富である。それから、BeerLaoを忘れてはならない。ラオスのビールである。どの街でもレストランの店先にはビアラオのマークが張られていた。日本人好みの味わい深いビールで、店で飲んでも一缶56円。毎日飲んでいた。

ラオスの貧しさ
 ラオスは貧しい国である。上の通り、食べ物は一先ず豊富なようだが、それ以外の商品は殆ど自国で生産しておらず、従って高級品になる。ビエンチャンの「高級デパート」以外では、テレビや洗濯機などの電化製品を売っている所を余り見かけなかった。デジカメはおろか、そもそもカメラを撮るという習慣もなく、カメラを撮ってくれと頼んで断られたり、前後反対に構えられたこともあった。それから、レストランや食堂が少ない。バンコクでは至る所で屋台や食堂があった。高級レストランを除けば、これらを数多くの現地人が利用している。しかし経済が発達していないこの国では、そもそも「外食」が贅沢なようである。そのためもあり、ビエンチャンのような(大)都市でも夜は真っ暗になる。灯りがないのだ。外国人観光客が集まる一部エリアを除き、夜は出歩かない方がいい。治安が悪いからではない。足元にでこぼこが多く、歩くのに危ないのだ!さらに、公共交通機関というものが整備されていない。タクシーが殆ど無く、街中では外国人用にトゥクトゥクが多いのだが、バスが一部長距離を除いて余り走ってない。自給自足経済であるために、そもそも国民の移動の量が少ないのであろう。
 私はビエンチャンから国道13号線をバスで北部の古都ルアンパバーンまで行ったが、これは10時間がかりの面白い旅であった。この国道13号線は、ラオスを縦断する主要幹線なのだが、まず道が整備されていない。インドシナの山岳地帯を縫って走るのだが、片側は今にも崖崩れを起こしそうな場所もあった。舗装されていないために、バスが通った後は凄まじい砂煙が立つ。さらに、これだけ上ったり下ったりするのに、トンネルが一つも無かったことも驚きであった。その国道沿いには、山に張り付くように集落が点在していたが、どの家も竹で作ったような質素なもので、着ているものも大変粗末で、子供たちも裸足だった。途中トイレ休憩が1回あった。何も無い山中の道路であったが、停まるや否や、乗客が道端の草むらに散って行った。私も参加した。

ラオスの豊かさ
 ラオスは豊かな国である。自然も美しいし、街も緑が多く美しい。ルアンパバーンなど、世界で初めて街ごと世界遺産に指定された。メコン川に沈んでいく夕日を眺めながらビアラオを飲んでいる時など、至福の一時である。(左写真:メコンの夕日)食べ物は豊富にあり、確かに貧しいものの、乞食もいなければ、飢えている人も見かけなかった。バンコクには乞食がたくさんいたが、そもそもあれば、乞食という商売が成り立つぐらい豊かだから乞食がいるのであろう。
 ラオスで一番豊かなのは、ラオ人の心であると思う。彼らは誇り高き民族であり、物質的には貧しいながらもそれぞれの人々が一所懸命生きている。市場を歩いていても、押し売りは少なく、値段をふっかけられることもまずない。市場で私がおちょくったラオ人も、ちょっとシャイだけど、明るくて、親切で、みんな好い人ばかりであった。デジカメの写真を見せると、私のも撮ってくれとお願いする隣のお店のお姉さん。私が地球の歩き方を読んでいると、それをふんだくって大騒ぎしながら読みふけっているおばちゃん2人組み。(下写真:地球の歩き方を読むラオ人)私がラオ語を喋れないのを知りながら、一所懸命話しかけるおばちゃんもいた。もくもくとフランスパン・サンドイッチを作ってくれたおじさんもいた。
 ラオスの子供達の目は好奇心で一杯だった。国道13号線の山岳地帯のとある村で昼食休憩をした時、子供たち10人ぐらいが観光客の方に寄ってきた。しかし彼らは、5mぐらい手前で固まってこちらを遠巻きにするだけだった。物乞いをするわけでもなく、押し売りをするわけでもない。好奇心からこちらを恥ずかしげに見ていた。中には、赤ん坊を背負った4歳ぐらいの女の子もいた。元気に遊んでいる子供たちも見かけた。みんな殆ど裸だけど、目が生き生きと輝いていた。川に飛び込んできゃっきゃきゃっきゃ声を上げている子供たちもいた。どれもこれも、今の日本ではお目にかかれない情景では無かろうか。
 ラオスの山岳地帯に住む人々の生活など、誠に失礼ながら、アフリカのサバンナに生きる野生動物の一生と変わらない。そこで生まれ、自然の中で大きくなり、毎日食べ物を追い続け、特別な娯楽など殆どなく、やがてそこで死んでいく。難しい学問の世界や最先端のテクノロジーの世界とは無縁のままで。バスの中で彼らを見ながらそういうことを考えていた。では、日本人として生まれ、高度な教養とやらを身につけ、海外で仕事をし、別の大陸へ旅行に行って珍しいものを食べ・・・そのような生活は何かしら特別に価値があるものなのだろうか?自分の考えがそこまで及んだ時、思わず苦笑してしまった。一生懸命ひたむきに生きているラオ人より自分が本質的に勝っているとは、どうしても思えなかった。こんな幸福論は、昔から言い古されていることかもしれないが、今回ラオスを旅行したことにより、改めて、というより久しぶりに考えてしまった。柄にも無く。逆に、自分も彼らに負けないよう頑張らねばと心から感じた。

ラオスの今後
 ラオスにも観光化・商業化の波は押し寄せている。まだ日本人は少ないものの、欧州人バッグパッカーがあまた旅行しており、そのためゲストハウスの建設ラッシュのようである。観光地ではイタリア料理店が散見され、インターネットカフェも欧州人で賑わっていた。そうそう、ビエンチャンでは一部の若い女の娘が厚底ブーツを履いていたのには驚愕した。カンボジアは援助漬けで感覚が麻痺しているようだが、ラオスでも日本のODAによるバスが何台も走っており、ビエンチャン国際空港は、この国に全く似合わない壮麗な建物であった。円借款60億円の賜物だが、1日3便しか飛行機は飛ばず、私が待っている間なぞ、旅行客よりも清掃員の数の方が多かった。
 ラオスの人々は当然のことながら、もっともっと物質的に豊かになりたいと思っている。これは絶対に否定できない感情だ。10年ほど前のアイセックの開発問題についてのセミナーにおいて、タイ人のパネリストが、「タイは今後も経済成長を続けるが、日本のようにはならない」と連呼していたことが、強く心に残っている。果たしてタイは日本のように成りつつ無いのか?それはよく解らないが、ラオスでは何とかこの心の豊かさを維持することはできないのだろうか?そして、今の日本において、既に物質的に豊かになってしまった我々はどうしたらいいのか?私も含めて日本人は、今こそみんなで真剣に考えなければならないだろう。
 旅行中に仲良くなり語り合ったスリランカ人の僧侶アヌンルダ氏が言っていた。(上写真:スリランカ僧アヌンルダ氏)「ラオスはヨーロッパ人で一杯だ。ヨーロッパはよくない。アジアはいい。我々はアジア人だ。」ラオスが物質的にも豊になった時、「日本はよくない」と言われないようにしたいものである。

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