当世芸能論1〜リーダーのいないグループ
芸能評論家こたこた 1998年2月22日

 当世流行のグループ。SPEED、モーニング娘。、MAX、SMAP。

 特徴的なのは「リーダー=主役・サブ=脇役がいない」
 スポットライトを浴びるのはリーダーだけ、という訳ではなくて、 それぞれ役割はあるけど、別に卑屈になる訳でもなく、存在が霞む訳でもなく、個人が個人として「立って」、ファンとつながっている

 ある意味では「圧倒的存在感のある主役がいない」とも言える訳だが。

とすると"SuperMonkeys"(後期は安室奈美恵withSuperMonkeys)の失敗は、「アムロを立たせてしまった(が立ってしまった)」=「SuperMonkeys(MAXの前身)を単なるバックダンサー扱いにして沈ませてしまった」からか…。

 もうひとつ、グループとしての価値は勿論のことながら、バラ売り(=解散)前提でなく、メンバー個人個人にそれぞれ活躍する場をもたせ、相乗効果?で、グループ活動を活性化させている、ってポイントもあげてみよう。

 例えば、SMAPはその代表であり、LUNA SEAもPENICILLINもグループ活動を1年間休止して、ソロ活動していた。
 モ娘も、事実上フロントメンバーは安倍なつみと福田明日香に固定されつつあるが、
(福田脱退決定後のNewSingle"Memory〜青春の光"はジャケット写真から、なっち(安倍なつみ)withモ娘。になっている。)
 producerつんくは賢明にも、埋もれつつあった飯田圭織と石黒彩をタンポポで別ユニット化させ、(SuperTensionsと同じ方法論)
トウのたっている中澤裕子を演歌歌手としてソロ立ちさせ、
 (ただし彼女はこぶしがまわらないので、演歌ボーカル適正は疑問。)
全員が輝ける場をつくりだしている。しかもちゃんと商業的にも成功させている。(ここがポイント)
 (次の彼の課題は、増員組の市井沙耶香と保田圭の処遇か!?(苦笑))

 ただし、このグループ外活動はすべてがすべて(商業的に)成功しているわけではない。
(成功→SMAP・モ娘。・河村隆一、失敗→河村以外のLUNA SEA・PENICILLIN・ジュディマリ・カールスモーキー石井以外の米米クラブ)

 成功する前提は、「グループメンバーがキャラとして立っている=ごった煮であること」とにらむ。
メンバーが比較的均一なMAX、MISSION、Visual系は、やはりグループで活躍する(輝く)しかないのでは?
とすると、SPEEDは微妙なところか…。
そういえばおにゃん子クラブは…。(-_-;)

 「個人が組織に埋没せず、外部とつながりをもち、それを組織がたたくではなく、むしろ積極的に応援し、 結果として組織に相乗効果・ポジティブフィードバックが働く。
かといって"輝いた"個人も、 組織のよさなり組織あっての自分を認め、そこではその役割を果たす。つかずはなれず。」
「バラバラのようで、調和がとれている(とれる)」

 これは理想的集団の一タイプといえるのではないだろうか。

 ここで、この集団を構成するその個人とは、 「自立したオトナ」or 「プロデューサーにディレクションされる素直でしなやかな個人」 を想定している。

 前者の例がSMAPであり、後者の例がモ娘。、と。

 SMAPのリーダー中居君は「求心力・調整役・グループのスポークスマン」 以上の何者でもなく、彼がメンバーの方向性、はてまたはグループの方向性を定めている訳ではない。個人活動についてはメンバーひとりひとりがセルフ プロデュースし、グループ活動もメンバーそれぞれが尊重・参加・プロデュース。
 モ娘。のリーダー中澤裕子はグループの単なるお姉さん役以上の役割はなく、 プロデューサーたるつんくが、グループの・メンバーの方向性をディレクションし、それをメンバーそれぞれが素直に消化し、パフォーマンスする。 別に自分がないと言うわけではなくて、自分のポジションをよくわきまえていて、 その中で最大限の自分をアピールしていく。卑屈・意固地にならず、しなやかに。

 以上のようにとらえる。

 つまりは、これからの時代、個人として輝くのは、 「セルフプロデュースできる自立・自律したオトナ」か、 「プロデューサーのバックアップある、素直でしなやかなナチュラルなお人」 と考える次第だ。

 次回は「スターへの道〜モ娘。と平家みちよの陽と陰」(仮題)です。

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