ぺリゴールを行く
高崎裕

Perigueux
St-Front教会が目立つ。豊かなのはフォアグラの
お陰か、町はきれいだった(本文参照)。
 Perigord(ぺリゴール)地方ときいて、それがフランスの何処にあるか、更にフランスにあることも分からない人は多いことだろう。
 ここに行ってみたくなった。目的は、1番はLascaux洞窟。2番は名産フォワグラを食べながら、土地の酒を飲むこと。Lascauxと書いてもぴんと来ない人のためにカタカナで書く。「ラスコー」。ここで教科書で習った記憶が甦る人が多いだろうが、洞窟壁画のあるところだ。
 コートダジュールでもなく、プロバンスでもなく、一見こんな地味なところに一緒に行って見たいという人物がいた。スイスに住む長與(KO89)だ。時々パリに出没するらしい彼女に、前回の来巴の際、この話をしたら「興味ある」という。此方は「本当か」と思わず尋ねなおしたが、やはり本当らしい。そこで、本当に誘ってみた。結果、チューリッヒから金曜夕方5時にパリに飛んできて、月曜朝7時の飛行機で戻り、9時過ぎに会社に出社する、という強行軍スケジュールが決定した。

7月16日(金)
 午後5時30分。妻・佳子とシャルル・ドゴール空港で待つ。予定では5時20分の到着予定だというので、Cafeでゆっくりしていたら、携帯電話が鳴り、もう出口に出たという。(パリの空港では、到着時間は通常着陸の時間、到着ロビーに出られるまで普通は30分はかかるものだ。)
 手荷物ひとつでチェックインした鞄がなかったこともあったが、お客がとても少なく空いていたようだ。早速、予め宿には0時頃つくことを電話し、拙宅愛車Avensisで出発する。目指すは、Limoges(リモージュ)。この晩はここに逗留する予定で、とにかく0時には着きたい、と考えていた。シャルル・ドゴール〜リモージュは、600km近くはある道のり。これを休憩も入れて6時間で着く計算。通常なら使う、空港を出てパリ市内へ向かうA3号線は頭になく、A104号線でパリ首都圏の外環をえぐるルートを当初から考えていた。これが奏功し、渋滞には夕方6時という時間帯にかかわらず、殆ど遭わなかった。既にバカンス時期が始まっていたので、車は少なくなってきてはいたが、まだこの週末もバカンスに出る人が多くいたはずで、渋滞を覚悟していた小生は、本当にほっとした。
 ボルドーへつながる南行きA10号線に乗る頃には、140km以上で疾走していた。(最近はフランスのスピード違反はかなり厳しく、160kmを超えて疾走する奴はめっきり減ったもんだ。)どんどん南下していく。
 この間、小生は昼間の仕事疲れが残っていて、無言が続いたが、長與と佳子は、ずっと話しっ放し。楽しそうだったが、黙々と運転していた。

 19時を回り、お腹も空いてきたので、途中のサービスエリアで休憩。ステーキを食う。フランスの高速のサービスエリアのレストランチェーンというと、ステーキを食うのが一番無難なのだ。最初、食べきれるかと思っていた1枚は皆軽く食べ、矢張り「別腹」も。渋滞に遭わなかったお陰で、ゆっくり休むことが出来た。
 21時頃出発。途中雨が降ったと思うと、美しい夕日が出たり、変わりやすい天気だったが、途中の大雨で、窓やヘッドライトに向かって自殺する多くの虫達が流され、愛車はきれいになった。22時を過ぎると段々暗くなる。とっぷり日も暮れて、23時を回った頃ホテル到着。
 高速下りて、すぐ脇のIbis(イビス)にしていたので迷わず0時を過ぎないうちにチェックイン。途中の休憩の長かった割に予定通りつくことが出来たので、今となっては小生は驚いている。何の変哲もないホテルなのに、ホテルの前は車がぎっしり。多分満室に近かったのだろう。オランダやイギリスの車も多くいた。EU全体が夏休みになっているのだ。

7月17日(土)

洞窟地図/洞窟標識 本当にこのあたりの洞窟の多さは凄い。
フランス語でGrotte(複数はGrottes)の表記が沢山ある。地図の写真に
ある名所の印の殆どが洞窟だ。
 雨がちながら、そんなに天気は悪くない。朝8時30分。朝食を摂る。目指すはラスコー洞窟だ。リモージュは焼き物で有名だが、そっちは脇目もふらずにラスコーを目指す。ここからは近いとはいえまだ200kmある。9時30分出発。
 因みにラスコー洞窟の発見は、1940年9月。近くのMontignac(モンティニャック)という小さい村の少年の犬がたまたま洞窟に落ちて見つけたものだという。
 とにかくこの村を目指す。この村で切符を買わないといけないからだ。
 もう少し続けて、このラスコー洞窟のことを書いてみよう。発見された後、暫くして一躍有名となったこの洞窟を訪れた人は世界中から数多く(数字を忘れてしまったがすごい数だった)その後1963年に閉鎖されてしまった。
 理由は、「緑の病」。閉鎖後も「白い病」も併せ、2つの「病」が今も洞窟をおかしているという。「緑」は藻、苔で、「白」はカルシウムの結晶らしい。長らく閉じていた洞窟に踏み入れた多くの足により洞窟内の環境が変わったからだ。前者は、絵がかびてくる様な現象、後者は絵に幕が張り、白くなって消えて現象といえる。
 現在は洞窟内に空調を備え、人工的に進行を抑える努力が続けられているらしい。閉鎖して随分経った後、1983年レプリカが作られた。その名も「Lascaux II」。ここは洞窟を模して作ったもので、現在はこれが一般に公開されている。レプリカといえども、顔料を使った絵は推察された当時の描き方を忠実に再現して描かれ、大きさ、洞窟の形なども含めて、本物に限りなく近いという。パリに住む数人から、一見の価値はある、と以前から聞いていた。本物からそれほど離れていないので、その場の空気、岩の様子などもよく似ている筈だ。見学はガイドツアー(40分)のみ、上述のMontignacのInformationで申し込む。ツアーは英語もある。ただし、村で切符を買っても、洞窟までは、歩くとゆうに30分以上はかかる道のりでしかもダラダラ続く上り坂。車でなければアクセスし難い。

 さて、途中の渋滞でモンティニャックの村に着いたのはもう11時を回っていた。随分かかってしまった。更に予想外の混雑で駐車場探しに手間取ったが、どうにか小生が回っている最中に女性2名が、素早く場所を確保、携帯電話で連絡を受け駆けつけ、案外早く駐車できた。女性軍はこの間に切符も購入してくれて、感謝、感謝。小生は悠々と駐車だけして、昼飯に向かうだけで良かったのだ。改めて、有り難や、有り難や。

いずれフォアグラになる「製造工場」
の鳥達。嗚呼。(合掌)
 フランスでは11時30分はまだ昼飯には「とても」早い。そこで付近の店を物色する。長與は、フォアグラ缶を購入、家はソーセージ(といっても固いヤツ)を買う。フォワグラは食べるに限る、「製作工場」は見たくない、の意見が一致して何よりだった。以前テレビで見たが、鳥の嘴に管を突っ込んで餌を流し込む様子は、気分の良いものではない。実際の現場を見たいと言われたらどうしよう、と小生は思っていた。(この地域にはこれを見られるところが点在しているので、興味のある人はどうぞ。)
 余談だが、「製作工場」は我々の行くレストランもそうなのかもしれない。が、それを考えると食欲が落ちるとも限らないので、考えない、考えない。これぞフランス、C'est la France。

 モンティニャックの村は、ラスコーに経済の全てを頼っていると見られるところではあったが、レストランは多くあり食事に困ることはない。何でも好いというなら、フランスなのでまずいものに当たることはない(筈)。こじんまりとしてきれいな村だ。
 ここは夜に備えて、「あっさりクレープ」なる作戦に出た。しかし、酒の好きな我々一行は、Cidre en Pression(シードルが瓶ではなくタップになっている)の看板を見て、当然注文。食事がどうだったか、写真を見てくれればよく分かることだろう。(最後には手酌で呑む長與の満面の笑みは最高の写真だと自負している。)クレープはまあまあだったが、シードルはリンゴの香りが良く、本当に美味しかった。
 その後また店を物色するも、カフェでコーヒーを飲み、(コーヒーの値段はいつもパリと比べて地方は安く、驚く)ミシュラン、ゴーミヨ、日本のガイドをテーブルに積み上げて勉強する。結果、ミシュランにも出ていて、今晩の夕食は長與持参の日本のガイドにも出ている「Le 8」に決定。早速その場で予約する。

 15時を回り村を出発。女性軍は英語ツアーを予約してくれていた。長與が助かるだけでなく、小生も助かる。車で5分も行くと、洞窟。大変な数の車だったが、時間指定の切符を持った人ばかりなので、今度は駐車に困る程ではなかった。日本人らしき人は1カップルだけ見た。村では他にも見かけたが、矢張り少ない。しかしフランス人ではない、色んな欧米人がいて、観光地だと思った。
 時間が少しあるので、記念撮影(左写真)。その後洞窟へ入る。(生憎、洞窟内は一切撮影が禁止されていて洞窟内の写真はない。ご勘弁を。)外気温は25度以上あるのに、洞窟内は13度。湿度も高かった。これだと「緑の病」があってもおかしくない。実物の写真は撮れなかったので他の書き物で見てもらえればと思うが、素晴らしいものだった。一見落書きなのだが、「騙し絵」のように動物が隠れていたり、洞窟の地形を利用して足に見立て、そこに牛や馬を描いたりする。パリから700km超、本当に来た甲斐があった。
 この洞窟が他と違うのは、炭を使わず、顔料だけで描かれていることらしい。絵の素晴らしさの要因のひとつなのかもしれない。後で分かったが、フランスは「洞窟国家」、特にこの地域には密集している。おまけに描いた人のサインと推定される部分もあって、楽しいところだった。ガイドのお姉さんも、「何の動物が見える?」とリードするのでツアーに居た子供たちもこれなら楽しかっただろう。

 この後、今晩宿泊するPerigueux(ペリグー)へ。18時頃着く。拙宅の愛車はGPSナビシステムを搭載しているので、ホテルへは殆ど迷わず到着できた。ここもIbisにしていた。一泊50ユーロ程度で、しかも車が停められるところを探す条件だからこうなる。しかし今度は市の中心部だ。
 ホテルの裏には、一応世界遺産のサン・フロン大聖堂(Cathedrale St-Front,右写真)が有り、部屋からも見ることが出来た。早速その大聖堂に行ってみたが、内部は案外地味、外からの眺めが一番と一致した。ヨーロッパは、19時を過ぎても夏は明るいので、散歩を続ける。なかなか味の有る街だ。写真を取り捲ったが、長與の撮った写真の数には遠く及ばない。
 途中、Laguiole(ライヨール)のナイフ(ステーキ用6本セット,左写真)を買った。ライヨールはこの地域の町の名で、ここの特産が刃物。パリの知人が、買うならパリでなくこの地方で買った方が安くて良いものが手に入るということを教えてくれていた。これも目的のひとつと数えておくのが良かったかもしれない。拙宅しては高い買物だったが満足。
 その後もブラブラしているともう20時。レストラン「Le 8(Huit)」へ向かう。その名も8番地にあるからのようだが、モダンな店。天気が不順だからという理由で、テラスの予約は取っていなかったという。なので、予約無しの人間が来ても片っ端から断っている。案内されたのが、所謂最も末席だったので、もしかすると我々は最後の方の予約のお客だったのかも知れなかった。良かった良かった。
 胡桃のワインがアペリティフ(食前酒)で、なかなか美味。付け出しのリエットもなかなかいける。その後フォアグラあり、鴨のコンフィあり、書けばきりがない。ワインはベルジュラックのものを頼んだが、お勧めに従ったのにこれは正直なところ普通。それでも此方の普通だから、満足に違いなかった。料理の量はそれほど多くなく今風の拙宅好み。コース全て3人とも完食。折角だからとディジェスティフ(食後酒)で締めくくった。長與の飲んでいたGets(ジェッツ)は、小生初めて見たが、ミント味。で、またまた地方の食事の安さを勘定を見て驚く。そして写真撮影。
 小生、一日遊んで、楽しい酒。壊れそうな感じだったようで、余り話の内容を覚えていない(ゴメンナサイ)。食事の後も、街の夜景を楽しんだ。大聖堂のライトアップが美しかったことを思い出す。昨年行ったカルカッソンヌもライトアップきれいだったなあ、、、この頃になると壊れ度が落ち着いて記憶を取り戻す。

7月18日(日)
 朝は曇り。夜に雨が降ったらしい。ここ最近は天気がコロコロ変わる。朝8時に朝食、9時頃出発。最大の目的、ラスコーを果たしたので、今日はどこに行くかと朝食会議。
 結局、洞窟キャップブラン(Cap Blanc)をもうひとつ行って、時間があればもう一箇所、ロックサンクリストフ(La Roque St-Christophe)に行こうと決定。
 10時頃キャップブラン着(写真)。この洞窟は、馬の絵でなく、レリーフというか岩壁の上に作られた彫刻がある。小さいが実物の洞窟を見られるというので、行ってみることにした。
 ガイドブックでは長さ13mでそれしかないのに、一丁前にガイド形式をとっている。フランス語しかないが、それ以外に英語やドイツ語の案内のカードをくれる。洞窟の中で使用するので、字が蛍光色になっていて暗いところで光る。ポイント毎に番号があり、ガイドが話している間、その番号のところを読めばいいことになっているが、ガイドのフランス語を聞いていると、全然違うことを言っていたりした。時には、小生の持つカードを見て、それには出てない、と言う始末。フランス人め。
 地味だけど、本物を見られるのはよかったし、彫刻としては興味深かった。それでもどうして絵でなく彫刻なのに、ここも写真撮影が出来ないのだろう。不思議。

 その後、ロックサンクリストフへ移動。少し小腹が空いていたが、頑張って見学。ここは5万5千年前から岩の切れ目に人が住み始め、1000年前には町が形成されていたというところ。手元の日本のガイドには出ていないようだが、ユネスコ世界遺産に登録されているらしい。地下に潜ってばかりだから、地上もたまには、という長與の意見は正しかった。見晴らしもよく、楽しく散歩した。街とされたところは本当に広く、直線で歩いても3、4分はかかると思われた(左写真)。
 終わったらもう14時。サンドイッチを買って、帰途に着いた。途中大雨に降られるも、帰りも長い渋滞も余りなく、約700kmを途中2回休憩で、20時台にパリ着。拙宅でなく、日本食の恋しい3人はパリ市内の讃岐うどん店「國虎屋」へ直行。國虎うどんを3人で啜った。約一名、日曜でも日本食の選択があるパリを羨ましがっていた。
 拙宅に着いたのは22時を過ぎていたが、家にあるレモンチェラ(イタリアの食後酒)をまだ呑みながら、話しているともう0時近く。長與は、翌朝5時起きもどうにかできた様で、小生起きたときはもう姿はなかった。まだ居たら、空港に送っていたことになっていたのだが、頑張って起きて行ったらしい。拙宅から徒歩1分にタクシー乗り場があるので、空港へは早朝なら30分強で行った筈だ。

 (それにしても話した次回予定、本当にまた一緒に行くのかなあ。此方は喜んでいるけどね。)  今回は1500km以上を走ったが、楽しかった。
 次回予定は、Pond du Gard(ポンデュガール)、Nimes(ニーム)あたりのプロバンスを考えている。
 (また行こうね。長與さん、呼び捨てでご免ね)

(付解説写真は、長與恭仁子氏KO89撮影、高崎氏解説)
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