恋はあせらず 〜モヤイ像と印度人〜
 既婚者の増えない点に定評のあった旧河本世代も、やうやく昨年秋の田川夫妻、山中夫妻を皮切りに御成婚ラッシュが訪れている。ところが自由党は遙か93年の中山正輝以来、とんとご無沙汰で、昨年末には橋本竜太郎、本年4月に楢崎弥之助と続きはしたが、党役員クラスの所謂自由党「保守本流」から華燭の典の声を聞くには、もう少し時間がかかるというのが専らの評判だった。
 そこに訪れた今回の朗報である。

 昨年末、恒例の年末〜年始旅行に、山口、扇、椎名の3名は伊豆へと向かった。椎名は自身認める通りこの種の歴史的場面に遭遇するケースが多く、嘗て石井−佐藤のキューピット役を務めたこともあるのだが、この時もまさに前々日の29日に両者が交際を始めていたことを帰京直後に打ち明けられる。
 更にその約2ヶ月後、夫婦淵(めおとぶち)温泉行で6月御成婚が発表された。後から見れば温泉の名前からして何やら暗示的ではあるが、交際からプロポーズまでは、正味1ヶ月だった。

 正式発表を直に受ける「歴史の証人」の栄誉に浴したのは椎名、石井、安部の3者だが、この時彼等の脳裏に去来したのは、勿論第一に甚大な驚きであるのは言う迄もないが、同時に湧き起こってきたのは、大いなる安堵感ではなかったか。

 自由党の年中行事である各地への旅行に、福島敦子の渡香以来、女性参加者が扇以外絶えて久しく、扇が山口夫人と相成ることによって未来永劫「男ばかり」の危機は回避されるという実利的な面からではあるまい。
 山口、扇は自由党研修局の同僚時代以来、極めて仲の良い間柄であったのは間違いない。故に後年に至っても二人の結び付きを伺う向きが無い訳ではなかったが、何れも憶測報道の域を出なかったのは、寧ろ余りにも親密であったが為とも言えなくない。

 その二人が政界引退後5年、実に知り合ってから9年を経てウェディング・マーチを奏でるとはドラマ仕立てというか、寧ろドラマだとしたら余りにも陳腐な、出来過ぎた物語であるようなエピソードが現実に眼前に繰り広げられていることに感動を禁じ得ないと同時に、果たしてこれこそが端から必然的なドラマのエンディングではなかったかという思いが、丸で水戸光圀の印籠が渥美格之進の懐から徐に現れる瞬間のように、彼等に安堵感を抱かせたのだ。

 それから3ヶ月を経て二人の成婚を祝うべく行われた「お面舞踏会」は、河本世代の祝宴としては文字通りひとつのピークを示すものになった。現在のスタイルの、扮装と黒塗りによる踊りの短所となった金丸信夫妻から数えて8回目の出演となる「舞踏隊」にとっても椎名や石井、河本、羽田ら本隊に加え、森口夫妻、金丸妹が艶めかしく舞うと、田川はモヤイ面の張りぼてを2つも拵え久々にアドルフ・パワーを発揮。山下、矢野らが脇を締め、最後は「September」の再演と、従来の集大成ともいうべき趣で、言わば金丸の会の格調と田川の会の熱気を混ぜ合わせて、猥雑さと狂気を足した様な、河本や椎名の様な一部の踊りのプロは別として、誰しもがもう当分踊りは食傷気味と思うほど、濃密な一夜だった。

 或いはそれは、まず舞踏を披露した演者、彼等自身の楽しみであったかも知れない。勿論、政界引退後、それぞれ官界、経済界に身を投じた山口夫妻の知己は多く、従って「お面舞踏会」の参加者に占める旧政界関係者の割合も4割程度に過ぎなかった。それ故ある種独特の風土が、一部一般参列者に違和感を感じさせたのは否めない事実だろう。
 が独断を省みず述べるならば、たとえそれでも二人は許容してくれるだろうし、彼等踊り狂う人々の喜びこそが二人の喜びであり、更に言えば二人の結び付きを、表情の硬いお面顔の集団こそが、真に我がことのように喜びに感じているという強い自負があったのではないか。

 若き日の友と時を経て再び巡り会い、結ばれる。誰もが描く、ひとつの、夢の姿を実現した山口敏夫と扇千景に、我々は改めて乾杯しよう。
 素晴らしい家庭を築かれることを心から祈りたい。             1997.6.20

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