風呂は お熱く

 物語は1990年も押し迫り冬の通常国会も終了した12月暮れに始まる。

 安倍は生後一年程に横浜に移り80年3月を最後に名古屋へ都落ちする迄の約10年間を東京近辺に暮らしたが、88年に政界に足を踏み入れ、再び高円寺に舞い戻るまで遂ぞ東京でのお正月を迎えたことはなかった。父母の実家が共に名古屋であることから常に名古屋で新年だった。そして奇妙な事に逆にここ3年は東京で元旦を過ごしている。思えば一昨年はDisney Land、昨年は正月早々、遊戯「三国志」が始まった。年明けに一人というのも寂しいものではあるが、今年こそ昨年お流れとなった加藤紘一温泉行の宿願を果たさんと、3年連続の帝都残留が決定したのである。
 しかしながら残念な事に、又しても加藤温泉は敢えなく延期となる。とて名古屋へ出向いても余計詰まらぬ正月になるのは眼に見えている。29日、長時間の眠りから覚め当選3・4回生忘年会へ赴いた時にもまだ大晦日の予定は未定のままだった。ただ倫敦行を断念した椎名素夫が同じ境遇で東京に残留せざるを得なくなっていたのは幸いだった。ここに彼等は意気投合し自家拘留を命ぜられた加藤に代わり山口敏夫、羽田孜を交えたお正月プランが進行することと相成ったのである。

  〜明けましておめでとう、閉めましてさようなら
 12月31日、大晦日。この日になっても未だ計画の内容は白紙である。山口、羽田とも自宅に於ける大掃除という難題を抱えている為、夜半にならなければ体が空かない。この為ひとまず椎名が安倍宅に登場、電話により山口、羽田両家との連絡協議となった。新年だけに初日の出を拝むという案は当然あり、事実三保の松原行も勘案されたが雨の予報により断念。22時過ぎに何故か羽田家集合と当面の予定が決まる。安倍のVISTAが走り始めた。
 羽田家到着、22時半に全員集合。見事に破壊されて謎の中国人からの手紙の様になった、ワープロのフロッピーを修復する羽田をよそに、温泉プランが誕生する。それでも一同微動だにせず、羽田家より釜揚げうどんを頂く運びと相成った。紅白を見ながら年越しうどん、そしてみかん、真に日本の大晦日である(付け加えるならば何故かめんこもしていた)。この時点で1991年の冒頭は羽田家で迎える事が決定したのだ。
 23時45分、「ボゥォーン」。矢張り年末の最後を飾るのはNHK版「ゆく年くる年」に他ならない。響き渡る鐘の音、しみじみとした年の瀬が石神井の一角に訪れる。そして「ポ・ポ・ポ・ポーン」。

 「あけましておめでとうございます」「旧年中はお世話になりました」「本年もどうぞ宜しくお願い致します」。一瞬の内に過去と化した閏秒の存在も忘れ、歩み始めた1991年に挨拶を交わす4人。
 ここに至り遂に温泉へと旅立つ。温泉プランは加藤温泉が消滅した時点から一応は候補にあった。が前述の通り正式に採用を見たのは前日大晦日。行く先は伊香保である。とくに伊香保である理由はなく、時間的な制約から比較的近隣に定まったに他ならない。が近過ぎたのか、果た又真夜中に出発すること自体、土台無理があったのか、伊香保までの道のりは余りにもスムーズだった。目白通りから関越道、途中一回のパーキング休憩を挟んでも到着は未明3時を超えることはなかった。

  〜一富士、二神社、三眠り
 午前3時の温泉街は極めて静かである。彼等は当初の予定を若干変更し榛名神社へと向かった。その経路、かの榛名富士を発見、暫し鑑賞に浸る。富士が湖にその姿を映すことで名高いな榛名富士、これが第一のポイントだった。
 続いて山道を上り榛名神社へ、山奥ともいえるこの神社にも流石にお正月だけあって人が群れている。息咳切って階段を登ると閑静な佇まいの榛名神社本殿が現れた。誰もいないのではないかという一抹の不安を余所に、存外名のあるこの神社の境内にはテキ屋までしっかり現れていた。お御籤、賽銭、甘酒と初詣のパターンを網羅し、この間甘酒屋のにいちゃんからジョニー大倉から貰ったという皮ジャンを拝見したりしながらも、彼等は無事お参りを終えた。
 が時間とは不必要な時には厄介なものである。確かに榛名神社は結構な参拝地ではあったが所詮何時間も過ごせる所ではない。徐々に白みゆく1991年最初の空を見上げながら、仕方なく再び榛名富士へ戻る4人。浮かぶ富士の中、初日の出を拝めれば、という意図である。

 が思えば雨で、初日の出が望めないからこそ美保の松原を断念した筈だろう。当然急に晴れ上がる訳もなく呆然と佇む人々の図が現れる。真夜中に開く風呂を求めつつ、缶ジュースを飲む頃には遂に力尽き「睡眠」案が浮上した。寝付きの悪い安倍の反対も空しくVISTAの電気は消えた。睡眠に付いては椎名に関する逸話がある。彼はこの場面の如く幾人かで眠りに入る際、周りがうとうとし出した頃に執拗に話しかけ、お陰で眼を覚ました人々が会話をしようかと思うと当人は眠っているという落語の様な事態が常なのである。
 否定する椎名。が彼等の会話が途切れたと思われた瞬間、既に椎名の方角からはスヤスヤと軽やかな寝息と共に本人に取ってすれば”さわやかな”、況や周囲にすれば”不快”かつ”苦笑を禁じ得ない”鼾が漂い始めていた。

  〜VISTA中破、速度低下、左折に支障アリ
 すっかり日も登った9時過ぎ、冷えきったVISTAの中に彼等は目覚めた。先ずはじめに山を下り街に戻らなくてはならない。兎にも角にもエンジンをかけ一路温泉街へ向かう。安倍は嘗て民間人とこの伊香保に来訪した際、振り積もる雪の中タイヤが空回りしにっちもさっちもいかなくなり、チェーンの威力で危うく脱出した経験があったが、再び雪に、従前と比べものにならぬ程甚大に悩まされる羽目に陥ろうとは、この時まだ予想だにしていない。
 然り山道とは恐いものである。しかも冬、路上が凍っている点を未だ完全に眠りから覚めやらぬ頭が計算し切れていなかったのが悲劇の始まりであった。快調に進む中、「アッ」と思った瞬間は時既に遅し。凍結した道路に足を取られカーブを曲がり切れず、そのまま左前輪が溝に落ちて車体は派手に山道にぶつけられた。嘗ては溝に落ちず田圃に突っ込んで急死に一生を得、今回は溝のお陰で助かるとは、安倍の意外な強運かも知れないが、いずれにしろ哀しき事故2号が誕生したのだ。
 次々と周りの車が止まり事故車を持ち上げる。ショックの割には外傷は少なく左部バンパー下の凹みとホイールが割れた程度ではあったが、痛いのは確かだ。こうなったら何が有ろうとも風呂に入らない訳にはいかない。疲労から風呂への意欲が減退気味だった彼等に再び当初の構想である温泉への欲望がフツフツと甦ってきたのは真にこの直後であった。
 大幅にスピード落とし温泉街への歩みを再開したVISTAは、左折の際にギリギリと不吉な叫びを挙げる。時計の針は既に10時を回っていた。暖かき風呂が事故の衝撃に打ち拉がれた彼等を待っている。正月紀行の真骨頂は眼の前まで迫っていた。

  〜熱湯、熱闘す
 存外に営業している風呂は少ない。幾ら温泉街といえども正月早々風呂だけ入りに来る客が多いとも思えず予想された事態ではあったが、苦難の末遂に彼等は入浴可能な温泉を発見した。その名は「伊香保コミュニティ・センター」。名前の通りどう見ても近所の年寄りが集まりそうな風呂である。この風呂に朝っぱらから代議士4人組がいそいそとつかりに行く図というのも奇妙なものだったろう。
 そして彼等は遂に念願の温泉を眼の前にした。冷えた体の眼前に巨大な風呂が横たわっている喜び。が何という哀しみ、偉大なる皮肉であろうか。彼等は入れなかった。すっ裸になり、かけ湯をした瞬間は「若干熱いな」という程度にしか感じなかった湯の温度は、常人には如何ともし難いまでの高温を誇り真に今風呂に入らんとする彼等を、高らかに嘲笑するかの如くに厳然と横たわっていたのだ。
 およそ風呂というものは若干熱いと感じたとしても、入っている内に徐々に慣れていくものだろう。が全く洒落にならない。とてもではないが体中が痛くて溜まらず、更には風呂を出た直後、足に感ずる激痛は耐え得る限度を遥かに逸脱していた。僅かに一本のホースを用い水を埋めるも大海に注ぐ小河一本、事態は何等改善されない。
 ここで「風呂嫌い」の異名をとる椎名とこれに追随した羽田が、早々に浴室を後にする。残った山口と安倍は温泉親爺に救助を求め最後の策に一縷の望みを託したのである。

 親爺が現れた。六〇はとうに越えており温泉一筋何十年といった風情だ。親爺の魔力で一瞬の内に熱湯の如き釜ゆで風呂が、タオルを頭に鼻歌唄いながら優雅につかる快適な温泉に早変わりするかと思わせるに充分な程の、ベテラン温泉爺の登場だった。
 しかし彼等のささやかな期待はガラガラと音を立てて崩れていく。親父は先ず巨大なかき混ぜ棒を取り出し「水を入れてかき回せば良い」という様な科白を囁きながら巨大棒を操り始め、あろうことかホースの水を体に浴び何とか腰まで入った安倍の側の湯をゆっくりとかき回し始めたのである。
 「ギャー」と叫び出したい所を堪え、安倍は湯から飛び出した。隣で対流を起こされてはただでさえ熱い湯がどうなるかは目に見えている。しかも親爺が何を言っているのか、口が回っておらぬ上に風呂の反響で判別が難しい。ここで親爺は棒作戦を諦めると次に謎の新兵器を取り出した。
 「下の方が熱いから下の湯を抜けば良い」等とささやくと、3mはあろうかという金属の筒で湯を抜き取ったのだ。一体何が始まるのであろうか、呆然とする二人を余所に親爺は筒作戦をたったの一回で放棄すると湯を冷やす為か全ての窓の解放という暴挙に出た。
 「サムイ!」。1月の寒風をまともに受けては凍え死ぬ直前、といって風呂に入れば痛くて溜まらない。事ここに至り山口、安倍はこの不可思議な温泉爺の去りゆく後ろ姿を見送ると、敢然とこの高飛車な風呂への挑戦を敢行したのである。

 先ず湯の出ている部分に最も遠い側に回り、足に最も被害が来ることから足を除いて湯に入る作戦を試みた。幸いこの風呂は通常の温泉同様に、腰掛けられるよう円周の端の部分が若干高くなっておりここに体を横たえることとし、そのままでは首が痛いので風呂桶と椅子を活用し枕代わりとした。一本のホースと今や姿形もない親爺の2作戦も功を奏したか、極々僅かにも温度の低下が感じられ、漸く安心して風呂に入るという念願が困難な体勢の中に達成された。
 勿論、足を入れれば出た後にヒリヒリと痛むのは相変わらずで、土台風呂に入るのに苦労することからして奇妙ではあるのだが、苦難の果ての成功に彼等の感動は大きかった。程なく椎名、羽田も復帰。丸い風呂の端に4人がグルリと雁首並べて横たわるという極めて奇妙な図が完成したのである。

  〜強者どもが風呂の後
 この後、羽田と安倍とが残った頃にはほぼ肩まで入っても耐えられる程度に温度も低下し、苦労の甲斐あって彼等は無事温泉を堪能した。風呂から上がると「コミュニティ・センター」の誰も居ない大広間のカラオケで唄い、茶をすすってから伊香保を後にする。総じて見れば富士で1勝、車を壊して黒星で、神社と風呂は共に分けの計1勝1敗2分けというところだろうか。
 昼食の後、故障癒えぬVISTAを丁重にいたわり、再び羽田家に到着した頃、短き冬の日は既に暮れゆき、暫しの休息を終え彼等はこの大晦日紀行に終わりを告げた。一見軽傷と思われたVISTAのシャーシーに損傷が発見され、存外な重傷であるのが判明。名誉の帰還を遂げたのは既に選挙も終わる3月初頭のことになる。
(初出:Tocafe25-91/3/原文は実名標記)


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