夜まで待てない

 黄金週間の初日、若干の高揚の中に安部晋太郎は朝を迎えた。彼はその日、卓を囲む予定になっていた。昨今の若者は麻雀をしないと言われるが、御多分に漏れず彼も、彼の友人達もまた、取り立てて麻雀をするクチではない。ただ昨年、社会党右派の会合に赴いた帰路、山下元利の大阪の本宅で牌を打つ機会があり、それ以来折に触れ再戦をという話が持ち上がっていたところ、今般漸く実現の運びになったのだ。
 大阪での顔触れは、安部、山下に、矢張り同行した羽田孜と、山下の盟友である社会党中道左派の政策研究会の論客、上田哲だったが、大阪在住の上田は今回は上京が叶わず、代役として元自由党総務会長、小坂徳三郎に白羽の矢が立った。「九重親方」の異名を持つ小坂は政界では彼等の1期後輩に当たるが、自由党入党前に既に2度の落選を経験しており、年齢的には彼等の同世代だった。幕張という辺鄙な土地が会場に選ばれたのは、小綺麗な空間があり、なおかつ牌を有する山下邸がそこにあるという理由に他ならない。一方、麻雀は徹夜で、という現代の常識を打ち破る決断を下したのは羽田である。徹マンは翌日も潰れて仕舞うから、という至極合理的な選択が、彼等を早朝から旅立たせる結末を導いた。

 安部は先ず、羽田を起こすという大役を担っていた。翻って前回、上田の上京に合わせて矢張り山下邸に集結した際、3人を幕張本郷駅に3時間佇ませたのも羽田であったが、これに限らず、羽田の遅刻は枚挙に暇ない。そして、たとえ遅れようとも屈託なく煙に巻く卓越した技術も、彼の人徳の為す業ではあったが、それはそれとて、そうそう遅れてもらっては溜まったものではない。
 が、既に羽田の電話は応答がない。もう余裕を見てもう出かけたのだろうと、何時にない殊勝な心掛けに感心した安部に、山下から電話が入る。
 突然に、事態は危急を告げていた。小坂が実母の急病により参加が叶わなくなったとの由。当然の摂理だが、麻雀は人間が4人居なければ出来ない。勿論、3人麻雀という選択もあり得ない訳ではなかったが、それが余りにも無味乾燥なものであるのは火を見るより明らかだった。事ここに至り彼等に、黄金週間初日の、しかも早朝に、今日一日千葉に赴くことが可能で、なおかつ麻雀の打てる人物を早急に確保しなければならないという難題が課せられたのである。

 豊富な選択肢がある訳ではない。山口敏夫は当日の予定こそなかったが、連日の過酷な勤務が眠りを求めていた。加藤紘一は生憎、自身の銀行が大蔵省の検査中であり、かつ横浜は遠過ぎた。椎名素夫は、安部の住む大崎から車でわずか10分足らずの中目黒に居を構えていたが、麻雀が出来なかった。山下は石原慎太郎を候補に挙げたが、結局彼もその日は都合が付かなかった。
 成果なく、安部が大崎駅に現れたのは9時半。当地まで羽田車が迎えに来る運びになっている。

 羽田が現れた時、既に時計の針は10時を回っていた。彼は別段宗旨変えをした訳ではなく、また何時ものように、余裕たっぷりに9時過ぎに家を出るという大罪を犯していたが、特段安部は怒る様子もなかった。それは羽田の行動パターンに慣れてしまったからであり、30分少々なら早い方だったからだろう。
 この時点で、彼等の「今日」を担った二人の思惑はほぼ一致していたに違いない。羽田の主張はその思いを確たるものとした。即ち、ただ今から「第四の男」を車で連行していかなければ本日の麻雀は成立しないという論旨であり、些か強引ではあったが、矢張り的を射ていた。

 「眠っている」ということは在宅が確認されているということであり、「特段の予定がない」ということは千葉に赴けるということに他ならない。果たして、暫しの時を経て、安部を乗せた羽田車が下北沢に現れることを、山口敏夫も又、早朝の傾眠に轟くベルの中に予感していた、と言えば美談に過ぎるだろう。
 が思えば彼等は何時もそんな風だった。それは若き日々、お正月早々24時間を超えて「三国志」という合戦シュミレーションゲームに興じた頃から変わっていない。
 二人は山口宅の玄関のベルを鳴らし、反応がないと見るや改めて電話で彼を叩き起こしてからやにわに上がり込み、丸で拉致するが如く、金大中も驚く程の早業で、山口敏夫を連れ去っていった。
 山口も又、嫌な顔ひとつ見せずにという訳ではなかったが、淡々と身繕い、拉麺を食べてから赴くことのみ主張し、拉致される身でありながら山下邸への土産にと貰い物の菓子折を抱えていくあたり、彼の尋常ならざる状況適応力と天分の「気配りの人」たる所以を物語っていた。

 いよいよ麻雀が始まったのは、当初の予定から4時間程遅れた午後3時。折角の「健康的な麻雀」というコンセプトは脆くも崩れ去る運命にあった。元より徹夜を避ける試みが麻雀に不向きであるのは、山下邸に足を踏み入れた瞬間に彼の翌日の予定を確認し、特段のスケジュールがないことに一同安堵の息を漏らした時点で明白だったのだろう。「昼間の麻雀」自体、果たして健康的かという疑問は残したとしても。
 夕食とカラオケの僅かな休憩を挟み、彼等は牌を打ち続けた。途上、マイナス140迄沈んだ安部が首位に返り咲いたり、羽田が浮き沈みを繰り返す「出入りの激しい麻雀」を繰り広げる中、4人の中では最もベテランである山口が、ブランクからか相応に切れを欠いた為、半チャン10回を重ねた挙げ句に山下の一人勝ちに終わった。場代を払いに訪れたような結果にまとまるとは、矢張り人生は上手く出来ている。

 28日朝7時過、山口、羽田、安部の3人は山下邸を辞去する。山口の運転する羽田車シルビアの後部座席に乗り込んだ安部が次に見た光景は、通商産業省の建物だった。目の前の助手席には羽田が、矢張り眠りこけているのが見える。間もなく、山口が帰ってきた。そして軽い朝食を食べ、黄金週間の2日目が始まった。
 彼等はもう学生ではなく、それ程若くもなかったが、朝迄麻雀の出来る体力と、朝迄麻雀の出来る友人がいることは、何と幸せではないかと思う。

(初出:恵比寿倶楽部会報96年号)



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