平成9年 年頭所感


    覇者は再び来たらず                                   戸川五三六
  12月22日、旧自由党河本世代恒例の「忘年懇談会」が行われた。
  政界引退からはや五年を経ようとしながら、未だに適時の会合を欠かさない彼等河本世代においても、ある年は京王プラザ・ホテルのスウィート・ルーム、またある年は旧山村新治郎邸と繰り広げられた「忘年懇談会」は、関係者が一堂に会する最大級の催しである。中でも昨年は、河本元総理をはじめ総勢15名が新築なった安部晋太郎邸に集結。既に成婚し、かつまた出産の儀に浴した元女性党員ら懐かしい顔触れも参画し旧交を温めるなど、例年を超える盛況振りを見せた。
  ただ、かくの如き盛大な「忘年懇談会」は昨年が最後になるのやも知れない。丁度その一週間前に華燭の典を挙げた橋本元環境庁長官でようやく二人目という男性陣の晩婚振りが彼等の結束を維持する一因ではあったが、一方で変革の兆しは随所に現れていた。かような意味において彼等の平成8年は、或いはエポックメイキングな、少なくともその端緒となる年ではあった筈だ。

  第一に物理的な問題として、本年6月からの山下元利、加藤紘一、羽田孜の渡米がある。羽田こそ1年だが山下は2年、加藤に至っては或いは今生の別れに、というのは大仰に過ぎるとしても相当の長期滞在は疑いない。勿論、官界や金融界に身を投じた面々も世界各所へと旅立つ可能性は否定できないだろう。元来、3月に鹿児島地裁に転じた山村を除く殆どのメムバーが首都圏に集結している現状こそがある種異常ではあるのだが、それもあと半年の命という訳だ。 勿論それだけで、3人の渡米が決まったという事実のみを以てして、変革の端緒と位置付けるのでは早計極まりない。 何よりも彼等の琴線に触れたのは、独り者集団の自由党を置き去り、続々と成立した他党同世代の御成婚ラッシュ、それも政界内結婚が相次いだことだろう。言う迄もなくそれは喜ばしい限りであり、9月に挙行された田川誠一−山東昭子の御成婚二次会は、両者の広範な知名度も相まって、金丸世代の、首領であるい金丸の、同じく元代議士同士の御成婚にも勝るとも劣らない熱烈歓迎を喚んだ。が更に桜内義雄、山中貞則と続くに至り様々な感慨が生じたに違いない。
  嘗て現役政界人たる日々、彼等は幾つもの愛憎劇を繰り広げた。何れかは和解し、或いは暗黙の反目を維持し、また一切の接触を断ったケースもあろう。その中で、風化しゆく彼等の「政界」のひとつの、極めて美しい形での結節点、過去の終末を迎えたのが「結婚」というハッピーエンド得た何人かの物語だったのだ。

  そして彼等は、同時にその結節点には「破局」も存在することを知った。果たして安易な結び付け、三文ドラマに毒されたという謗りを恐れずに敢えて述べるならば、彼等の下世代の、岩崎世代の中心人物である小坂徳三郎の御成婚が時代の流れの速さを感じさせるものであったならば、その前日にもたらされた大鷹の死という事実は、時代の流れが止まる時があることを示していた。 大鷹の葬儀へと歩を向けた人々は、それが例え彼女への供養になるのだとしても、所詮は生き残った自分自身への慰めとなる通過儀礼にしかなり得ないことを自覚していた。そして死という厳然たる事実も、彼等の「政界」同様に風化し、過去の一景と同化し、想い出の領域に押し込められるであろうことをはっきりと感じていた。つまり本当は、時代は止まることはなく、止まったと錯覚した次の瞬間に極当たり前の日常生活に再び生きている己を見て、 見事な迄に社会に「適合」した自らを再認識したのだ。

  しかしそれ故に、だからこそ自ずから方向は定まってくる。恐らく必要以上に深刻に思考するのも、彼等の悪癖なのだ。 例えば会合の数が減ろうとも、彼等の「自由党」がもう大きな変革を遂げることはないだろう。それは一面、嘗ては生活の基盤であった自由党が彼等個々人にとってのひとつの小世界と化したが故に安定を迎えたということであったとしても、 小さな変容を重ねていく自由党の行く末を互いに楽しんで関わりあっていくことが、彼等のとり得る最良の選択ではないだろうか。
  政界引退から5年が過ぎようとしている。覇道は過去のものとなり、覇者の栄誉が再び訪れることはないが、 今年平成9年が彼等に何を与えるのか、もっと肩の力を抜いて楽しみに待ち受けたい。

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