補:陸上自衛隊富士学校体験入隊記

(本稿の最後にビデオ映像がございますので奮ってご覧下さい)
 去る平成14年10月29日より31日の都合3日間、マネジメント研究会Dチーム、桜井茂正(副委員長)、 粥川善洋(委員)の両名は、陸上自衛隊富士学校に体験入隊を行った。
 本体験入隊は、陸上自衛隊の組織研究を行うに当たり、まず陸上自衛隊の実態を少しでも肌で感じることが 出来ればとの趣旨の下に実行したものである。

  @初 日
 静岡県は駿東郡小山町に広がる富士学校。ここは陸上自衛隊内の教育機関として、多くの幹部自衛官も一度は 足を踏み入れる場だ。自衛隊各駐屯地では企業研修、また自衛隊に対する国民の理解を深めるための 広報活動の一貫として、春期を中心に広く体験入隊の受入れを実施しているが、 ここ富士学校は元来が教育機関であるがために、通年に亘って多くの研修が実施されている。
 10月29日9時半、我々2名は富士学校正門に降り立った。許可なくして構内には入れないため、 しばし待機の間に概観の撮影をとビデオを構えると、早速歩哨の隊員が厳しい口調で歩んで来る。 「どの様なご用件ですか」。30代半ばと不惑を 迎えた二人の青年は、諜報活動に現れた新左翼の活動家かも知れないのだ。 重い思いをして持参したデジタルビデオカメラも、あはれここまでの命か、 まだ入隊すらしてないのに、、、と思いきや助け舟が現れる。わざわざ正門までお迎え戴いた 広報担当の方々にお取り成し戴き、差し支えなく入門と相成った。 ここは国家最大の機密、自衛隊駐屯地である。思わぬハプニングは我々の表情を引き締めるにしくはなかった。

 まずは本館に案内され、今回の体験入隊を取り計らい戴いた広報班・中江二佐に御挨拶後、 お茶を頂戴ししばし歓談する。おずおずと「撮影はよろしいでしょうか」と切り出すと、 笑顔で「もちろん構いませんよ」と快諾戴く。何たる好待遇!。さすがわが国コネクション社会、 中佐殿に話を通しておいて良かった!。
 勢い勇んで辞去するとここからは受入れ実施の特科教導隊の管轄に入る。 自衛隊は戦後の創立の経緯から旧軍を連想させる一般的な軍事用語を出来る限り排除したため、 通常の語感とは乖離した名称がしばしば見られる。階級は言うに及ばず、他にも対空攻撃機は「戦闘機」(fighter)だが、 対海(艦)攻撃機は諸外国の「爆撃機」(bomber)ではなく「支援戦闘機」(support fighter)、 駆逐艦ではなく「護衛艦」。同様に陸上自衛隊においても、歩兵は普通科、騎兵は機甲科、 工兵は施設科、然して砲兵は特科となる。即ち「特科教導隊」とは砲兵の教育部隊であり、 教育を旨とする富士学校には常に陸上自衛隊の最新兵器が最も早く供給される特典があるとのことだ。
 続いては宿泊棟に移動。早速装束一式を渡されお着替えの時間となる。ところが ここでも特科教導隊内の広報担当・浜本一曹から「靴は痛いので履かない方がいいと思いますよ」と 有り難いお言葉が。聞けばこの強固な革靴は隊員の方々も靴の形が足に合うまで1月以上はかかるという。 更に「写真を撮る必要があれば適宜判断して抜けて下さい」。何と優しい方々なのか。 想えば昨今こそ正常化されつつあるとはいえ、自衛隊を取り巻くわが国の環境は決して暖かな眼差しばかりでは なかった。その中で広報を務めるというのは、想像を絶する苦難の日々であろう。 早々に身支度し、隊員服、帽子に身を包まれながら、お達しに深謝して足だけは運動靴という若干まぬけな出で立ちで、 我々は体験入隊の第一歩を踏み出したのである。

 テニスコートに赴くと、既に入隊式が始まっている。 富士学校では通年で体験入隊の受入を行っているとはいえ、あまり煩雑に実施する訳にもいかない。 ただでさえ一般人の研修に多数隊員の労力を割かざるを得ない上に、飲食、貸与品の洗濯実費のみ3日間5000円では 明らかに持ち出しである。そのため少人数での依頼があった場合は、 既に決定しているものの中から内容、スケジュールに合った研修に合流させる形で、可能な限り 依頼に応じるよう務めている。そこで我々の体験入隊は東京電力の社員研修にお邪魔させて戴く形となった。 東京電力では既に20年来、各営業所における管理職前研修(主に40代)として富士学校体験入隊を活用しており、 ここ数年は新入社員の秋季研修にもこれを転用している。我々は20代前半の若者集団の、ちょっとトウの立った 闖入者と相成ったのだ。入隊式は東京電力の研修管轄部署の代表者を長とする東京電力行事との位置付けのため、 遅れて参加した我々は脇からそれを見物し、写真撮影に勤しむ。
 果たしてこれで良いのだろうか。余りにもお客さん扱い過ぎないだろうか。 短いながらも自衛隊の一員として隊員の実情を体感することを目的としていたのではなかったか。 それには安楽過ぎる。しかし見物してるだけなのもそれはそれで楽でいいではないか。 悪魔の囁き、人間は弱いものである。

不動の姿勢・休め  複雑な思いが交錯する中、一段落して停止間動作の訓練が始めると愈々我々も一員として参入することとなった。 我々3班の指揮を取るは自衛隊歴8年の高橋三曹、颯爽とした26歳の青年である。 「停止間動作」とは「回れ右」「右向け右」「気を付け」「敬礼」等、文字通り、 静止状態での動作を意味する。 如何なる号令にも直ちに応じられるよう身構えた「不動の姿勢」(気を付けの姿勢)に始まり、 腕を伸ばし、背筋を張り、総員が号令に従って機敏に動く 停止間動作が凡ゆる動作の基本となる。あたかもマスゲームの様に、足を高く上げ渾身の力を込めて、 大音を鳴らし大地を踏み締めるのかと思いきや、「自衛隊は諸外国の軍隊の様にはやりません」。 様式美よりも本来の目的である統制、規律を以て足の向きを移動させる実用性を重視するのがわが国の 伝統である。
 と、ふと高橋班長より声がかかった。「出来れば支給の靴を履いて戴きたいのですが」。 その口調は丁重だが「上官」の発する言語には威圧感を覚えざるを得ない。 無論、浜本三曹より足を傷めるので奨められなかったと応ずるも、周囲を見渡す限り全員が履いているので 分が悪い。何より運動靴では肝心の停止間動作がさまにならないのは火を見るより明らかだった。 快く了解し昼食後は革靴に交換したが、この靴には最後まで悩まされ続けることになる。
 訓練を重ねるに連れ、初対面の自衛官と民間人のぎこちない間柄も徐々にスムーズになってくると、 これを見計らった様に高橋班長が述べる。「自衛隊では全て命令口調で行っています。そこでこれからは 全て号令は命令口調で行います」。ここからモードが変わり、接遇係とお客さんだったグループは、 司令官と隊員10名の「体験入隊第3班」に変貌した。漸く隊の一員になれたかという安堵感と 体力への不安、同時に自らの意志に拘わらず号令に動作を強制される規律の世界へのささやかな反感、 再び複雑な思いが交錯する中、停止間動作の訓練は続いた。

 昼食が終わると火砲、戦車の見学。又もや緩やかな時の訪れだが平穏は長くは続かない。 14時、遂にグラウンドに移動。先刻学んだ停止間動作に「行進間動作」が 加わる。「前へ進め」「分隊止まれ」「前へならえ」と単純なものはすぐに体が反応するが、 「縦隊半ば右へ進め」「右向け止まれ」と号令の数が増えてくると混乱が始まる。 とくに「回れ、進め」は回れ右ののち直ちに、逆方向に更新するもので足のタイミングが難しい。
 例えば、総員が横一列に並んでいるとする。この状態から縦列で左方向に進ませるためには 「左向け左」で左を向かせた上で「前へ進め」となるが、「左向け前へ進め」のみでも可能だ。 或いは前方の障害物があれば「足踏み、進め」で足踏みをさせて障害物が移動するのを待つか、 「縦隊半ば右(左)へ進め」で右(左)前方に進ませ、障害物の右(左)方を越えたところで 「縦隊半ば左(右)へ進め」で進行方向を戻す。これら号令の組み合わせで行進を 形作っていくのだ。

 この整列、敬礼に始まり停止間・行進間動作によって行進を行う一連の流れを 「基本教練」と呼ぶ。基本教練は、軽快な動作、厳正な態度の習熟を通じて個人の規律、部隊の 団結、士気向上を図るものであり、この基本教練を身に付けることが本体験入隊の 最大のテーマとなっている。行進の演練の間には発声練習、隊員1名が分隊と離れて対峙し 「縦隊集まれ」「右向け止まれ」等、任意の号令を掛け合う。弁論部とカラオケで鍛えた 私の喉も徐々に傷みを帯び声が掠れていく。
 この演練が3時間続き疲労も蓄積されたところで17時を前に整列。高らかなラッパの音に続き 君が代の流れるなか厳粛に行われる国旗降下は、最も「軍事組織」をイメージさせる光景だろう。 朝8時の国旗掲揚とともにこの時間帯のみは全ての自衛隊員が活動を止め、国旗に敬礼する 静寂の時が訪れる。

 さて漸く1日目が終わり風呂にでも浸って一杯、といきたいところだが そうは問屋が卸さない。既に初歩の行進を体得した我々訓練生は、すべからく構内は 分隊単位の縦列行進にて移動しなかればならないのだ。 ただでさえ時間が押し、夕食・風呂・お買い物で1時間半しかないところに、 整列してグラウンドとは正反対の位置にある食堂まで行進では時間が掛かって仕方ない。 しかも自衛隊の原則は「5分前集合」なので、風呂に辿り着いた頃には実質残り15分程度と 異様に忙しい。
 余談だが食堂は准・曹、士クラス用が2つで、お目にかかれなかったが幹部用は別途ある模様。 企業の大食堂と印象は変わらないが一食一メニュー、 独身・若年の隊員は原則構内の寮にて暮らしているので、この食堂を利用することになる。 栄養管理は行き届いているが何とも味気ないのも事実だろう。 また風呂は短時間で済ませるために全員立って湯に浸かる(!)という噂があったが、 これは事実では無かった。

 夜を迎えても集団生活は終わらない。先ずは自衛隊名物・ベッドメイクの講習。 マットを5枚の毛布で交互に包み、更に2枚のシーツで仕上げる。 圧巻は全て折り目正しく凛と張り、その張力は落とした硬貨を跳ね上げるまででなければならないと言う。 勿論、素人の一夜芸では無理だが、自衛隊員は明日からでもホテルマンになれると 言われる所以である。
 若干の懇談を挟み、続いては真黒の中、隊舎を後に靴磨きに勤しむ。 この際判明したのが、東京電力諸兄の靴は入社研修時に現場作業用として与えられた 絶縁仕様の革靴であり自衛隊貸与のモノとは似て非なる一品であったということ。 マイシューズで挑む若者達と既に革が擦れて足首を損傷し始めている青年では分が悪いのも当然だが、 文句を言う暇もなく寒風吹き荒ぶ中、靴墨を塗る男達。取って返して掃除を済ませると 既に消燈まで残り10分ではないか。
 自衛隊はいつ何時の非常時に備え、睡眠は取れる時に確実に稼いでおかなければならない。 尾篭な話だが用便の時間すらロクにない、と訴えると「自衛隊は糞も早いんですよ」と 笑顔でいなされて仕舞った。やむなく5分で翌朝の用意を終え、自らあつらえたベッドに入る。 と慌しい一日を振り返る間もなく、安らかな眠りの世界に落ちていった。

  A中 日
 6時、高らかな起床ラッパとともに瞬時に起き上がる。朝は夜の比ではなく多忙極まりない。 何しろ15分までに上半身裸身を曝け出し、上着とシャツを抱えてグラウンドに整列 しなければならない。しかも「5分前原則」に鑑みれば、10分しかないということだ。 急ぎ飛び出し、全員が揃った班から乾布摩擦を開始、全4班が勢揃いした段階で日朝点呼となる。
 標高850メートル、富士の裾野の朝は寒い。言うまでもなく6時10分に総員がタオル片手に 号令の発声練習を行いながら体を擦っていられるほど、機敏な研修生達ではない。 従って、体操を終えると必然的に連帯責任、罰則の腕立て伏せとなる。 時間に遅れれば腕立て伏せ、整列が乱れれば腕立て伏せ、懲罰と体力増強の一石二鳥が 自衛隊の伝統である。

 衣服を整えた後、再び行進で朝食、行進で隊舎に戻るとあら不思議、屋根もあるこの部屋の中に 台風が!。ベッド構成物の畳み方が悪いため全て投げ飛ばされている厳しい現実に直面する。 実際、10分で毛布・シーツ計7枚を畳んでグラウンドまで駆け付けろというのは難癖としか思えなかったが、 回を重ねれば確かに素早くなり、これが規律が身に付くということかと驚愕することになるのは 更に翌日の朝を迎えてからのことになる。
 この日は再度毛布を折り目正しく畳み終え、改めてグラウンドに到来し国旗掲揚を迎えた。 8時の掲揚から17時半の降下まで国旗が旗めいている間が自衛隊の服務時間だが、 考えてみれば22時の消燈後見回り、翌日の準備・打ち合わせ、更に6時点呼前に 集合している本物の自衛官の方々は何時寝てるのか、頭が下がる。
 以下午前中は基本教練の反復演習約2時間に続いて暫し休憩、ではなく防衛講話、 「自衛隊とは何か」の類のいわゆる座学である。中途からビデオになったかと思うと あっという間に終わって仕舞ったが、電気が点くとあにはからんや首を傾げている御仁がちらほら。 ビデオが異様に短い訳ではなかったのだ。そりゃ寝るわな。

 さて昼食を終えると午後はいよいよ今回のメインエベントとも言える行軍がやって来た。 広大な富士演習所をひたすら歩く。所々に戦車が鎮座ましましていたり、 「この先入るべからず」の英語表示があったりと、ああ私は今自衛隊に居るのだなとの実感が こみ上げてくる。一人前にドーランを塗り込んだ我々研修隊は、某国特殊部隊が進入し送電線を破壊したとの情報に基づき、 残置するやもしれぬ敵の偵察を行うという「状況」(Situation)が与えられ、 行軍中はそれぞれ、前方、右方、上方などに分かれ異常の有無を隊長に報告しなければならない。 「隊長、怪しいヘリコプターの音がします」と幾分童心に帰っている感もあり。 男の子は皆兵士なのだ。
 総歩行距離は8kmだが距離よりも革靴が痛いのが辛い。浜本三曹のご指摘通り、 靴は一朝一夕では足には合わず、桜井研修生は腿に張りを訴え、粥川研修生も足取り重く なっていく。が一方で規律100%の行進に比べ、 遠くに富士を眺めながらの行軍=徒歩行進は楽しい側面も少なくない。 交替で発声主となり全員がそれに従うと言葉で述べるのは難しいが、要は山男が登山する絵図を 浮かべて戴ければ分かり易かろう。「娘さん(娘さん)よく来たな〜(よく来たな〜)」のノリだ。
 歩きながら隊長の指示で全員が脇道に身を隠したり、「総員異常なし」と勢いよく報告したりと、 適度な演出色を醸し出しつつ、部隊は少々傾斜の付いた空き地に到着する。

 本体験実習について規律、団体行動を学ぶものであって軍事教練ではないので 基本的にメニューは終始行進とは聞いていたが、事前の提出用紙に「希望」の欄があったので 出来れば「匍匐前進」を体験したい旨記入しておいた。私の要望が通ったのかどうかは 分からないが、実に眼前には腹ばいになる我々を待ち受けるかの如く、 広大な砂地が横たわっていた。
 匍匐前進とは敵の銃撃をかわすために、身を著しく低位にする前進体形であり、 身の屈め方により第一から第四匍匐に分かれる。単純に言えば、半身の構えで立てた左手を 梃子にして動く第一から、両肘を地に付け甲が的とならぬよう足を横に倒すので 足首も使えず、肘と膝だけで動く第四まで、状況の危険度が増し、体が地面に近付くに連れ体力消費も 増加していく仕組みだ。何れにしろ、常に右手が空いているのは、実際には銃を所持していなければ ならないからである。
 行軍は体力の許容範囲ではあったが、流石に4種類の匍匐前進による坂の往復は効果覿面で、 足はガタガタ。とくに桜井研修生は足痛から運動靴に復帰していたため 蹴りが弱く仲々ゴールに到達出来ず、思わぬところで革靴の効用を再確認する羽目になった。 各班単位で匍匐を実施するため先にゴールした面々が、息も絶え絶えに登り続ける私に 声を掛け続けてくれるのが一層情けない。 「ソンナコトイッテモムリナンダ!」と叫びこそしなかったが、足の痛みも激しくなる自らにでは なく、声援する彼等に怒りを覚えるとは人間とは感情の生き物である。 ホウホウの体でへたり込んでいると、若者達は銃に見立てたススキを掲げ、プロの班長と 第四匍匐で競い合っている。彼我の差こそ小さくないが、その体力を見るに もう若くはないのかとしみじみ感じ入る、と言いたいところだが頭真っ白で感嘆する余裕も無かった。

 事後、再び歩く。と俄かに時ならぬ銃声が。種を明かすまでもなく爆竹なのだが左右に分散待避し、 行軍気運も高まったところで、 銃声(爆竹)により特殊部隊の潜伏が明らかになったためこれ以上の偵察は危険と判断、 トラックに分乗し富士学校に帰還するという状況説明がなされ、行軍は終了となった。 東京電力の管理職研修の際は丸一日を費やし昼も携帯食で野営、総距離16kmは丁度倍となる。 今回は新入社員研修なので総じて体力的な賦課を下げてありますとの解説に、 国策会社の真髄を見たというのは大袈裟だが。

 流石に二日目ともなると慣れ、昨日よりは風呂もお買い物も 余裕が出てくる。よく周りを見渡してみれば、確かに重装備に身を包み号令とともに 行進する自衛官の方々もいるが、大半は普通に歩いているではないか。 ただ恐らく、自衛隊に入隊してまず叩き込まれるのが我々もまた演練している基本教練 であり、時を同じくしてプロである彼等には銃の取扱いが加わるが、我々のこの著しく拘束された 生活こそ、初年兵の入隊後の数ヶ月を模したものであり、「規律」を学ぶための 極限までの団体行動なのだろう。
 ベッド設営も短時間でこなせるようになると、昨夜は話題に窮した班長との懇談も滑らかになってくる。 話は夕食後に鑑賞したレンジャー訓練に及んだ。夜にビデオとなれば当然瞼が下がってくると 思いきや数ヶ月に及ぶ不眠不休の日々に死者さえも出たと聞くレンジャー訓練の映像には、 つい先ほどまで我々が足を踏み入れていた富士演習場が舞台のひとつとして登場していたこともあり、 また極限状況の訓練とその深刻度合いに余りに不釣り合いな、問い掛けに常に「レンジャー」と 咆哮する幾分コミカルな描写と相まって、寝息を立てる者は少なかった様だ。
 レンジャーそのものは普通科中心なので特科の高橋三曹は未体験だが、催涙ガスなど苦しい訓練余話 には枚挙に暇ない。 「滅多に出来ない経験ですよ」「確かに。ロシアでもないと出来ないですよね」  と私。「あれ[注:02年10月、ロシアにてチェチェン武装勢力が劇場を占拠。当局は特殊ガスにより 武力開放を図り人質百人以上が死亡]、非道いですよね(笑)」(高橋三曹)と話も弾んだが、 話がPKOに及んだ際に三曹が「毎年、PKO派遣参加を希望しますかというアンケートがあります」 と述べた時には、冷戦の崩壊に伴い、専守防衛一筋から徐々にその態様を変えつつある 自衛隊の変化に最も影響を被るのは当に彼等下士官クラスなのだという事実に改めて、 慄然とせざるを得なかった。

 掃除をし、靴を磨いて、もう寝なければならない。 これ程忙しい日々だと思わなかったと言えば嘘になるが、 まさかプロ野球日本シリーズが全く見れず、かつ帰るまでに終わって仕舞うとは予想だにせず。 よく体が壊れなかったものだという感慨とあと一日乗り切ろうという決意を新たにする暇もなく、 本日も安らかな眠りに落ちていった。

  B千秋楽
 人は智恵を持つ生き物である。回数を重ねれば当然、それに応じた生活の智恵が生まれてくる。 最終日の朝、桜井・粥川両研修生は音もなく5時50分に目覚めた。 本日は6時10分、即ち5分までに整列しなければならないので、起床ラッパで起こされていては 当然間に合わない。小気味よく階段を駆け下りていく少々腹の出た二人の男。 結果として40人の連帯責任の帰結として腕立て伏せに陥るのは読めていたが。

 午前中はいよいよ教練の仕上げとなる。基本教練の目的は個人・団体の規律だけではない。 同時に「指揮官の指揮能力の向上」をその目途としている。従って、十名の班員が交代で 分隊の指揮を取る。自らの号令で9名の班員が動く姿は仲々に壮観と言いたいところだが、 実際には次にどちらに動かせば綺麗に元の隊列に戻せるのか、その為の掛け声は何だったかと 思惑に忙しく、焦ると「右へ回れ」などとありもしない号令を喚きそうになったり、 まごついている内にとんでもなく遠方に部隊を追いやってしまったりと 感慨に浸っている余裕などみじんもない。
 休憩に入ると、本物の自衛隊員の方々が演練を行っている姿が目に入る。 彼等は四隅に立てたポールの中を銃を担いで行進していた。 今体験入隊全体の現場指揮官である篠田二尉の解説によれば、 あのポールは突端を示し、ポールの先は崖であるとの想定だという。 隊員は指揮官の指示に忠実に従わなければならない。詰まり、指揮を誤り隊員がポールを跨いで 仕舞ったら、それは彼等を崖に落とし部下を死に至らしめたという解釈なのだ。
 篠田二尉の解説は常に的確にして要を得ているが、同時に指揮を取る際の実に威厳を持った 号令、動作と、「休め」を経て素に戻った際の爽やか青年振りの落差が面白い。 勿論、その落差を巧みに操ることが出来なければ、年長の部下を多数抱えた自衛隊幹部は 勤まらないだろう。
基本教練要綱
▽「第三班集まれ!」
  → 班員は指揮官に向かいあい横体に整列。
    指揮官は班の中央に位置(三角形の頂点)。
▽「気を付け!」
▽「これより、当分隊の指揮を粥川研修生が執る」
 「番号、始め」
  → 班員は1より順に番号を発声。
▽「唯今の番号が各人の固有番号である。
  以後の矯正は番号を持って示す」
▽「○○研修生基準、右へならえ!」
  → 班員は最右に位置する班員を基準に体形を整える。
    指揮官は移動し、前後左右の列の乱れを調整指導。
    この際、停止間・行進間動作に留意。
    矯正後、指揮官、定位置に戻る。
▽「これより停止間及び行進間の動作を行う」
  → 指揮官はこれに続き演練の留意点を述べる。
 ex「脇を締め、腕を伸ばして行進すること」
▽「右向け右」(以下、停止間動作)

▽「右向け右」「前へ進め」(以下、行進間動作)
  → 指揮官は「1、2」等号令をかけ、分隊を指揮。
    留意点(「○番、腕の振りが小さい」等)を指示。
  → 最後は発進時の隊形に止め、上記同様に再度整頓。

  → 指揮官は演練を講評。
 ex「○番、腕の振りが小さかったが、指摘後良くなった」
▽「気を付け!」
▽「これを以て、当分隊の指揮を解く」
▽「休め」

  → 指揮官は隊長の前に進み、敬礼後
▽「粥川研修生、終了します」
  → 指揮官交替


 ひと亘り交替で指揮を取った後は、本番用に各班1名の指揮官、更に 全体行進を司どる旗手を選出し、実際に午後の最終展示の形式での練習が始まった。 この時点で足の崩壊著しい桜井・粥川両研修生は、最終展示が冒頭の式典にも登場した 東京電力研修管轄部署の代表者に、東電研修生が3日間の成果を示すとの趣旨であることも 勘案し、部隊から外れ一介の見学者に戻ることとなった。改めて傍観者となると、 驚くべきことに体が号令に自然に反応するようになっていることに気付く。 そして素人がたどたどしく手足を動かしていた僅か2日前に比べ、 格段に規律を帯びた行進に邪念なく勤しむ部隊が目の前に居る。

 午後になった。軽やかなマーチがグラウンドに轟くと、旗手を筆頭に総員がグラウンドを一周し、続いて 各班毎に基本教練を展示する。号令を間違える者は既にいない。 第三班がベストではないか、というのは或いは贔屓目かもしれないが、実に見事な出来映えだった。 荘厳な舞台が幕を閉じると東京電力代表者の講評が辺りに響く。 「大変素晴らしい成果を見せて戴きました。皆さんはこれから職場に帰る訳ですが、 自衛隊で学んだ規律、集団生活は仕事においても必ずや活かせるものと、、、」。
 この3日間、彼等は何を学んだのだろう。嘗てエコノミック・アニマルと呼ばれた 日本企業もその根本原理を確実に変えつつある。組織から「個」の重視、 必要以上の平等よりも格差の是認、金太郎飴でなく新しい発想、創造性。 その方向性は間違ってはいないのだろうが、 人間としての最低限の規律、礼節を体得した上での自由、柔軟であるという認識を ともすれば失いつつあるのではないかと思われるわが国において、 自衛隊の如き組織の意義は再評価の必要性があると主張するのは逆コースと指弾されるであろうか。
 勿論、安易に軍事組織に教育機能を求めるのは、本来の教育機関である初等教育の任務の 放棄に過ぎない。しかしながら規律、連帯といった自衛隊の伝統とは、 かつてわが国の小中学校において、何処においても散見された光景ではなかったか。
 眼前に繰り広げられる光景には記憶がある。嘗て運動会の練習、取り分け行進の練習ほど 馬鹿らしいと超然としていた人間が、今行進の効用を声高に掲げる。それは わが国があたかも崩れ落ちんとするが如く映ることへの焦りなのだろうか。 或いは単に年を取ったがための過去への憧憬に過ぎないのだろうか。

 かく思いながらグラウンドを後にし、隊舎の清掃を終え、東電部隊を見送った後、 30日16時、我々は富士学校を後にした。

●以下の映像は、体験入隊の場面場面において撮影した内容を、約2分に編集したものです。 タイトル