十年祭ポスト企画A 東京散策ツアー (幹事:高橋/花岡)

 [高橋洋幹事筆]午前9時半、まだ眠気と酔いが充満している中、ポスト企画II「東京散策ツアー」は始まった。友と夜通し語り合ったふたき旅館を後にしたメンバーは、北海道から中西・小笠原、青森から高山、名古屋から花岡チャック、京都から平野・和田、さらには東京の島田・辻、そしてチャックに捕まったツアコン高橋洋であった。山本晃司、白井、朝雲も当初一緒であったが、彼らがそれぞれ家路へ着く中、総勢9名は10時半に浜松町の日の出桟橋に到着した。お台場を散策して飲茶を食べようというのが、今回の散策ツアーの内容である。
10時55分にお台場行きの水上バスが出発した。全員で2階のオープンデッキに陣取り、秋の潮風を浴びる。雲ひとつ無い最高の快晴の下、各自静かに体内の酒を消化するが、1人の酔っ払いがポップコーンを空にほおり投げ、カモメの餌付けを始めた(冒頭写真)。何十羽ものカモメが集まり、空中で巧みにポップコーンを捕らえる様に、他の乗客からも歓声が上がった。中には、餌を取るのに夢中で甲板にぶつかるカモメもいた。餌付け人島田は一頻り餌付けを続けていたが、カモメがすぐ頭上を飛んで危ないのと、投げたポップコーンが当たることから、他の乗客の目が厳しくなってきたと感じたツアコンは、島田に餌付けを制止した。島田がそれに素直に従ったところ、別の酔っ払い乗客が待ってましたと餌付けを始めてしまった。
そんな平和的な船路も11時20分頃に終わりを告げた。お台場である。ひと先ず浜辺を散策するが、すぐに和田が「雑貨を見たい」と我侭を言い始め、店舗が軒を連ねるアクア・シティーの方へ戻る。12時に平野が別れて家路へと向かい、残る8名はランチの会場である、小香港の広東料理屋「鴻星海鮮酒家」に向かった。小香港とは、お台場のデックスにある香港を模したミニテーマパークである。普通のデパートである5階からエスカレーターに乗って6階へ上がると、そこは薄暗い中にネオンサインが光るまさに香港で、中国語の看板からきな臭い独特の臭いまで、なかなかの雰囲気が演出されていた。鴻星海鮮酒家の席に着いたところで、合田隆太郎とスターライト兄弟が合流した。
飲茶ランチが始まったのだが、さて大変なのは合田お父さんである。3歳の隆星はとにかく元気かつやんちゃで大騒ぎをする。周りのことはお構い無しに、大声で騒ぎ、吠え、唄う。どこから見ても母親の血であろう。彼は自分に当てがわれた子供用椅子に座らず、何処へ行くのかと思ったら、独身男辻に飛びつき、膝に座ってご飯を食べ出した。人が良い辻は、「めがねめがね・・・」とおちょくられながらも微笑み、隆星の相手をしている。
(写真:選ばれし男
 一方で1歳の光紀は、寡黙でしかめっ面をして座っている。はじめは見知らぬ顔を相手に警戒心を露わにし、テーブルクロスに隠れるようにしていたが、父親がスペシャルドリンクを飲ませると落ち着いてきた。しかし、たまに父親がやんちゃな隆星を連れて個室の外に出て行くと、さあ大変。独身男高橋が必死にあやすも次第に顔が険しくなり、胸のマークが赤信号に変わったところで父親が帰ってきた。やはり父親は偉大である。それでも炒飯を食べ、豆団子を食べ、杏仁豆腐もたいらげた。
隆星は頻繁に奇声を上げ、「けーたろ、けーたろ」と連呼している。何を言っているのか?と思っていたが、よおく聞いてみると、小笠原の方を向いて「Q太郎」と喧嘩を売っていることが解った。不条理なものに闘いを挑む、これもゴーダイズムであろうか。たまに「ママはどこ〜?」と吠えるが、その度に疲れ果てた合田はこもった声で「ゴルフ」と答えていた。そんなにママが恋しいのかと思うが、三人座っている女性陣の方には決して近寄ろうとしない。やはり子供は正直なだけに、母性を感じられないことがよく解るのであろうという話になった。
(写真:スターライト兄弟/母性の無い女たち
 それでも1時半にはランチを終え、合田父は披露困憊しつつ息子二人を連れて家路に向かった。ランチで抜けた島田を除き、残った我々7名の内独身は6名であったが、結婚について改めて考えさせられたことは言うまでも無い。それでも小香港から台場一丁目商店街を通り抜け、途中ベンチでの仮眠を挟みつつ、我々もそろそろ本土へ戻り始める。ゆりかもめに乗ってレインボーブリッジを渡り、新橋駅に着いたのは3時前であった。ここで筧真知子が合流するも、予定通り解散となる。それぞれ飛行機で、新幹線で、家路に向かった。
一件落着のはずであったが、ここでポストツアーにさらにオプショナルツアーが付加された。花岡チャックと筧真知子がツアコン高橋に詰めより、今話題の旧正田英三郎氏邸に連れて行くように強硬に要求したのである。正田邸は皇后陛下の生まれ育った家であるが、この取り壊しに反対して保存しようという運動が起き、連日マスコミで報道されている。昨晩国粋主義者粥川にそそのかされたチャックが、筧真知子を道連れに、何処にあるかも知らない高橋に対して連れて行けと駄々をこね出した。
 ひと先ず五反田の近くにあるということで、山手線で五反田駅へ向かった。駅前の交番で聞いたところ、「向こうに見えるUFJの横の道を入り、石畳の坂を登って突き当たりを左に入り、すぐに右に曲がり、さらに左・・・」などということだったが、「住所は解りますか?」と聞いたところ、即座に「西五反田5の19」と答えてくれた。余程頻繁に聞かれるのであろう。その通り歩き始めると、石畳の坂に入った時点で既に歩く人の群れができていた。それに付いて歩いていくと、次第に警官が多くなり、さらに通行人も増えていった。歩くこと10分弱で、旧正田邸に到着した。テレビで見た通りの瀟洒な洋館に野次馬がたかっており、完全に観光地状態であった。その内「正田丼」の屋台でも出店されるのではないだろうか。「署名お願いしま〜す」と、保存運動をしている人もいた。「ああ恥かしい」と思いつつ、連れてきた二人を家の前に立たせて写真を取った。

(左写真:正田邸の前に立つ親子/右:竣工当時の室内)
 ということで、目的を果たしてオプショナルツアーも無事終わり、三人は五反田駅から東京へ戻った。筧ママは娘の待つ松戸へ向かい、チャックは新幹線に乗って名古屋へ帰り、東京散策ツアーは完全に幕を閉じた。十年祭の2日目ということで、あくび満載であったが、快晴の中のんびりできた、和やかな会であったと思う。

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