特集 山口雄二氏御成婚

[解説 東京発2日=山口氏に関係の深いS]
 山口氏の御結婚内定の情報は、内外に大きな混乱をもたらすと思われたが、結果的には混乱は
それほど拡大を見せることなく収拾されようとしている。今回の事態は、日米の多く関連機関に
とって寝耳に水であり、情報公開時点で十分な根回しがあったとは言えない状態であった。特に
非公式の内定懇談の時点では、ワシントンをはじめとする米国の山口氏に関係の深い機関には全
く連絡のない状態であり、この調整不足は山口氏にとって致命傷となってもおかしくなかった。
ところが、これがうまく外堀を埋めることになり、関連機関はいわば肩透かしを食らった格好と
なる。この結果「山口に女を作る会」(会長:足立正道氏)は解散に追い込まれる模様であり、8年
前、極秘プロジェクトを成功させた現ワシントン=デービス・ラインも今回は空回りするだけに
終わってしまったのである。
 歴戦の有志達が何故こうもあっさり完封されてしまったのだろうか。
 この一連の動きにおいて目立ったのは、一
見失敗したかようにみせかけて、関連機関の
行動をうまく封じた山口氏の経験に裏打ちさ
れたしたたかさである。まず足立会長を押え
同時に不特定多数に情報を公開するという手
順は、以前会長に連絡のないまま、公開
記者会見に踏み切ったという失敗の反省
をふまえたものだった。足立会長は側近
に「今回はだまされずにまっ先に報告を
受けました。ちょっとびっくりでしたが
おめでたいことなので、私は静観しておきま
す。」ともらしたと伝えられており、今回は
うまく会長を味方につけることができたこと
は間違いのないところだ。
一方、アメリカには日本での非公式懇談の
第一報が届いた頃を見計らって絶妙のタイミ
ングをもって「ご説明」を開始した。米系各
機関は先週の月曜日になってから、慌てて行
動を開始したものの、本頁上の「三行広告」の
効果も、かえって大衆の疑心暗鬼を助長する
だけとなり、結局山口氏の確実な対処によっ
て、打つ手をなくしていったと推測される。
このあたり、ワシントンからは「何も企画で
きぬままに、御成婚歓迎ムードが広まってし
まった」と山口氏側の作戦勝ちを示唆する声
が伝わってきている。
 また、山口氏が懇談に彼女を連れて現れた
ことが、歓迎ムードに拍車をかけたといえな
くもない。御成婚の相手が実際に登場したこ
とで、暴言は封じられ、暖かい雰囲気になっ
たことは否定できないだろう。外堀を埋める
ための布石として十二分の効果をもったので
ある。
コラム ==街行く人が山口にであったら==
 とある結婚披露宴(太郎ときゃじ)の2次会でのこと、
披露宴と2次会の間が3時間ほどあったこともあって、
披露宴では一度トリップしていた山口もほとんど素面に
戻っていた。礼儀正しい青年山口は、それほど面識のな
かったある女性(彩子のこと)に対して当初はかしこまっ
たややシャイに挨拶を交わした。後の取材から、この挨
拶はなかなか好感度が高かった事が分かっている。

 ところが2次会も半ば過ぎとなった頃、2度目の挨拶
は「なぁ〜にたべてんのぉ〜〜」であった。その豹変ぶ
りに、山口の生態に関する情報を断片的にしか知らなか
った彼女はかなり驚いたそうである。だが、山口は更に
追い討ちをかけうように「ユー・ライク・トマァ〜トォ
」と、英語で彼女の食の嗜好について解説を始め、あま
りに唐突な攻撃にひるんだ彼女に、最後は野球のフォー
クボールの手の形で目潰し攻撃まで仕掛けてきたという
のである。

 後日、「噂には聞いていたが、これほどまでの豹変ぶ
りとは。目が別人になっていた」と彼女は語っている。
しかしながら、彼女は同時に「なかなか楽しめました」
と肯定的な感想をもらしており、ここまでしたにもかか
わらず、山口は悪い印象を与えなかったようである。
 山口が愛されるアイドルたるゆえんである。(S・Y)
 この一連の混乱収束までの過程に関しては、現在米メリーランド大の沖村研究員によって、事
実関係の整理が進められており、近々その研究成果が発表されることになっている。今回の事態
の評価はこの研究成果を待たねばならないが、従来のような大混乱がなかったという事実だけを
とってみても、山口氏の成功を認めざるを得ないだろう。

 このように、今回の事態をうまく乗り切った山口氏ではあるが、今後、経済的には景気後退の
可能性があり、正しい対処が必要となろう。景気後退の具体的要因としては、合コンの減少によ
り外食産業の売上減が見込まれる他、秋田伸吾氏(WA87)らのチャリティー・コンサートが開催不
能となることによるエンターテイメント産業の衰退は確実視されている。ワシントンからは「仕
事が手につかない」といった声も聞こえてきており、青山のメーカーなどの活力を奪うという目
に見えない効果もあると予想される。これらを、御成婚関連セレモニーによる景気浮揚効果でど
こまで補うことができるのかは以前として不透明である。
 経済的に逆風が吹くなかで、最近各方面から期待を集めているのが、インターネットによる出
版事業である。未公開の情報を含むこれまでの山口氏の軌跡に関する研究の出版予定が伝えられ
ており、これが実現すると、大きな景気浮揚効果が期待される。また、この出版は米国からの再
介入の機会ともなることから、今後の山口氏の動向が注目されている。



山口雄二関連語録 (米国発2日=山口氏と関係の深いK/H、敬称略)

「ケツ拭くってさ」(足立正道、桐本居候の大向宅にて。88/10)
 当時、桐本が居候していた大向宅で起きたKOLC史上最悪の惨劇「ゲーリーゲロ事
件」での足立発言。山口が酔っ払って嘔吐し、何故か用を足し、最後に思いっ切り
ふんぞり返り「ケェーツ拭くかぁ〜!」と宣言した後、それを目の当たりにしていた
足立が角度的に見えていなかった桐本に対し解説したもの。
 それにしても、足立、よくあれだけ長いこと、山口のナニを見ていられたな。

「...(チッチッチッ)ノー!ザッツ・ゲンニ(原U)」
  (山口、油木清明氏に講釈、渋谷「王将(?)」にて。89/3)
 この頃には既に山口を飲ませると楽しい、というのは広く一般に知れ渡っており
最早飲み会では欠かせない存在となっていた。この発言は油木氏(KO85,元NCP、以下
あぶちゃん)など当時の4年生送別会にてのもの。酔うと英語を話す癖が出始めた山
口は、あぶちゃんと英語風にマクロ経済学「経済原論T(原T=ゲンイチ)」の議論を
始めた(といっても知ってる用語の羅列。しかもあくまでも日本語を英語「風」に)。
 あぶちゃんが思わずミクロ経済学「経済原論U(原U=ゲンニ)」の用語を口走って
しまったところを山口は容赦無く攻撃、ツッ込んだ。その後、怒り狂ったあぶちゃ
んから(酒の)集中砲火を浴び、あえなく撃沈、吐きに行った居酒屋のトイレで鍵を
かけたまま眠り込んでしまったのは言うまでもない。(注)

 (注:追記)関係者の記憶によると、その後、山口は家まで送られたらしいが、自
分で歩こうともせず、文字通り引きずってもらってたどり着いた。しかも、介抱し
ている武藤が「家の鍵どこよ?」と聞くのに対し、「さ〜て、どこでしょう?」と
アホなことを言って困らせていたと言う。しかし、当人は、いつのときでも翌日は
目が覚めると非常に気持ちがすっきりしており、「あれ、おれってどうしてこんな
所に寝てるんだろう?」と思うそうである。ある意味、大物か?

「アイアムアNo1!Don't laugh!」(89/夏,九州国総打上げ)
 89年夏、アイセック国内総会が博多で開催され、打上げが志賀島の旅館にて壮大
に行われた。暫くすると、何故か山口の前にお酌をしようと待っている女の子の列
が出来た。この第1ステージをなんとかクリアした山口は、今度は某樽商先輩に遭
遇。弱気もたたりウィスキーをストレートで3杯飲んだ。この直後、またも何故か
山口は辻貴文(NA88)を相手に勝負を挑むことになり「宴会場の真ん中を向こうへ行
って帰ってくる間にどれだけ皆を笑わせられるか」で勝負を決めることになった。
 先攻の辻は、シロウトらしく駄洒落とズッコケで笑いをとろうと虚しかった。し
かし、山口は違った。彼が向こうへいく時のネタは覚えていないが、多分つまんな
かったのだろう。しかし、向こう側の壁にタッチして振り返った瞬間、スイッチは
オンになった、もう一人の彼が現れたのだ。
 「アイアムアナンバーワン〜、ドントラーフ〜」
 「アイアムシアリアス〜、アイマムアナンバーワン〜」
(筆者注:I am a No.1. Don't laugh. I am serious. I am a No.1.と推定される
が定かではない。他の主張もあるが、研究者は少ない。)全く山口を知らなかった
人々は目が点になり、少しでも山口を知る人は、この光景を感心して眺め、山口を
よく知る人は狂喜したという。山口の全国デビューはこうして成功裏に終わった。

「恐るべし、山口雄二!」
(中辻幹根(KB87)、惨状を呈す愛車シビックを目の当りに煙草をくゆらせながら)
 後藤  (KG ,元LCP)結婚式2次会のため大阪へ赴いた幸村、山口、桐本らが懇
意にしている中辻幹根の世話になることになった。この5人で飲みに行った際、ま
たしても山口が撃沈、ついに他人のクルマの中で嘔吐する快挙を達成した。惨状を
目の当たりにして、中辻が思わずつぶやいたのが上記の発言。
 中辻シビックは見事廃車、第一弾「ゲーリーゲロ」事件から約3年経ってもなお、
山口が健在であったことをまざまざと見せつけた事件であった。なお大向宅での「
ゲーリーゲロ」事件、渋谷での「ノー!ザッツゲンニ」事件、そしてこの大阪での
「中辻シビック廃車」事件を、KOLC3大ゲロ事件(当時)と言う。

 また事件直前の後藤結婚式2次会でも山口は炸裂、その能力をいかんなく発揮し
たことも付け加えねばならない。ジャージ姿で出席し、冷たい視線を浴びた中辻、
桐本らの攻撃を早々と受けた山口は、新郎・新婦登場時には既にウイスキーをたん
まり飲み、もう「イイカンジ」。それが奏功したか、この日山口は絶好調(無論後
で我々、とりわけ中辻は後悔することになる)、今では幻とされるタイ発祥のパッ
ポンダンスを初披露した。あれほど新郎側と新婦側の反応が異なるパフォーマンス
はもう二度と見られまい。
 なお、泥酔状態でクルマから降ろされるときに頭だけクルマの外に出し、「もう
降りてるよぉ〜!!」と頑なに主張し、なかなかクルマから降りないという行動パ
ターンも、この時に始まったものとみられている。

「しばらくはアイセックの公式行事に顔を出しません。」
  (山口、ついに現場撮影成功となった足立結婚式3次会翌日)
 ついにその姿がカメラに捕らえられた、その歴史的な日の翌日、関係各所に山口
から前日の自らの行動について詫びが入り、今後の決意を表明された。「今日はや
らないぞ」という固い決意があったにもかかわらず脆くも崩れ去り、ついにはビデ
オにまで収められてしまう事態となったことが本人には相当応えたらしい。
 英語での説教節も健在、全く無関係の方々にも英語で説教をたれていた。でも隣
席の赤の他人の住友商事の方には大変可愛がられ、しばらくすると「山口!こっちこ
っち!」などと、さながらホステスのごとく頻繁にお呼びがかかる様になった。山口
の山口たるゆえんである。

愛車シビック:社会人山口のよきパートナー
 入社2年目にして、彼は愛車シビックを手に入れた。もちろん現金一括払いであ
る。借金は性に合わない。しかしここでも人に迷惑をかけ、また楽しませてくれる
やつだった。
 山口は、その車を使って電車を止めた。前の車に続いて線路を渡ろうとしたが、
自分が抜けきる前に遮断機は下りてきてしまった。すぐさま、警報のボタンを押し
たらしい。これを経験したことのある人は少ないだろう。またある日、彼は自分の
車で帰省した。彼の田舎は山梨である。たっぷりと休養を取った後、一路東京へ向
かった。予想通り(しかし彼は予想もしていなかった)、東京方面へは大渋滞が待っ
ていた。ここで、つい最近半クラを覚えた彼は、得意げに半クラを使っていたが、
そのうち無残にも焼き切れてしまった。両方とも納車2ヶ月以内の話である。
 そのシビックは、驚くべきことに今も健在でしかも、まだ彼の足を勤めている。
シビックに心があるならば、何と言うだろう? いや、車もまた山口に惚れ込んで
いるに違いない。とりあえず、彼と行動を共にすると飽きることはない、助手席は
ちとさみしかったが。
 (桐本慶祐、足立正道、林大三、幸村太郎、武藤潤氏は何れもKO87)


桐本慶祐・林大三共著
「ドキュメント ゲー
リーゲロ事件」より


(中略)片付を終了した
足立・桐本は、二階の様
子を見に行く。と階段と
寝室の間に位置するトイ
レで山口が激しく嘔吐。
足立・桐本は、畳に吐か
なくて良かったと安堵し
つつつ、一度現場を離れ
水とサクロンを取りに。
 現場に戻ると、何時の
間にか山口はもはやこち
らに背を向けておらず、
便器に鎮座し用を足して
いる(大)。かつ人格が豹
変、一転威張り散らして
いる。

山 口:「うぃ〜!!」
足・桐:「......」
山 口:「うぇ〜...。
 足立、ゴメン、桐本、
 ゴメン。チキショー!
 チキショー!」
足 立:「大丈夫かよ」
 (その間、桐本一歩下
 がって、トイレの中が
 見えない角度に位置)
桐 本:「取り敢えず水、
 水だよ」(足立がコップ
 を渡すも、ゴクゴク、
 ブバー、ダバダバーと
 こぼす)
足 立:「よし、出られる
 か、山口?」
山 口:「ちょ、ちょっと
 待って、ちょっと待っ
 て!(ブリブリ)」
 「ふー。ん!ぅあ〜ぁ、
 さぁーて、ケェーツ拭
 くかぁー!」
足 立:「......。
 (桐本に向かい)ケツ拭
 くってさ。」
桐 本:「....。」

 翌朝、リビングにて昨
日の出来事を穏やかに話
しているとき、山口は2
階から軽やかな足取りで
降りて来た。
足 立:「おまえ大丈夫か
 ?(この時はまだ誰もが
 本気で心配していた)」
何?って顔をしている山
口に、みなが昨日の出来
事を簡潔に話したが、合
点のいかない彼は、しば
しの沈黙の後....
山 口:「おまえらグルだ
 な、グルだろ?皆で俺
 を騙そうとしているん
 だろ」......
まるで見破ったかのよう
な得意満面の山口に対し
今度はみなが沈黙した。
そして、爆笑の渦が巻き
起こったのは言うまでも
ない。思えば、これが彼
がヒーローへの階段を上
る第1歩だった。
(後略)



プロジェクトY 顛末記 メリーランド発3日O研究員

 一本の何気ない電話から始まった騒動は、S氏の解説にあるように山口氏の勝利に終わった。
その悔しさはK氏の「絶対許さん!怪文章とか流しちゃうよ〜。とはいいつつも、海外にいる俺
はなんも出来ん。Sだってその時分はもうこっちだろ??くっそ、いきなり山口ペースだ。」と
いう焦りに見られる。しかし、関係機関の関係機関足る所以は、「一世一代」の機会を逃さない
という点にあろう。OCPであるH氏の「この機会を絶対に逃してはならん。こんな楽しいこと
もうそうそう無いよな。」というセリフにはその気持ちが端的に表されていた。
 かくして、米国東部時間4月25日 21:00に始まったプロジェクトYは、確認されただけでも電
子メールが60通、国際・国内電話が20通以上やり取りされた結果、本HPとなって結実した。顛
末記とありながら、あえて本プロジェクトのキーワードを出すとすれば、国境を越えるサイバー
スペースの可能性、関係各位の変わらない遊び心、そして山口氏の愛すべきキャラクター、とな
るのではないか。最後に、御成婚を間近に控え、大変忙しいなか、本記事を完成させた粥川氏の
努力に感謝したい。
 [本誌主幹注:栄誉ある本プロジェクトの一端を担うことの出来たのは、私にとっても望外の
 の喜悦であり、関係各位、並びに山口雄二氏に深く謝意を表することを付記しておきたい。]
 最後とはなったが、本プロジェクトのOCPであるH氏の暖かい談話を最後に本項を締めくく
りたい。「山口、俺は本当に祝福してるから。ちょっと楽しませてもらったけど、ご容赦。」
                            平成十年五月三日
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