竹生島
国宝 宝厳寺唐門
竹生島港と下から休憩所・売店、宝厳寺 本坊、月定院、右上に三重塔が見える 国宝 都久夫須麻神社本殿
琵琶湖八景の一つ竹生島
奥琵琶湖にひっそりと浮かぶ竹生島、そこは古くからの伝説とロマンに満ち溢れており、天女と龍神が登場する、謡曲「竹生島」でも良く知られている。
島の周囲2km、海抜197.6m、山全体が花崗岩で、島全体が亜熱帯性の闊葉樹で覆われている。
弁才天が祀られた「宝厳寺」や平安時代の延喜式に載る古社「都久夫須麻神社」など見どころがいっぱい。
国宝 「宝厳寺 唐門」  国宝 「都久夫須麻神社 本殿」 国宝 「都久夫須麻神社 桟唐戸」 重要文化財 「宝厳寺 船廊下」 重要文化財 「宝厳寺 五重石塔」
                                                                                             竹生島案内図
竹生島と平家物語
新・平家物語の中で竹生島は、何回か描かれている。
大将軍小松維盛ひきいる平家の大軍が木曽義仲追討のため北陸に向かって行く途中平経正が竹生島に立ち寄り、丁度行き会った阿部麻鳥に清盛臨終の際に診てもらった礼に仙童の琵琶を弾いて聞かせている。
また、源義経が頼朝に追われ奥州へ落ち延びて行く際にも、堅田の湖族の支援でここ竹生島にかくまわれていたこともある。⇒
平家物語(源平)ゆかりの地を歩く旅へ
重要文化財 宝厳寺船廊下 宝厳寺本堂 宝厳寺 三重塔
竹生島
西国三十三ヶ所札所めぐり第三十三番札所宝厳寺の島として厚い信仰を集めてきた。琵琶湖の奥、長浜港と今津港の中間に浮かぶ周囲2kmの小島。
今回は、長浜港から高速の遊覧船で、片道約30分の船旅を楽しんだ。
国宝 宝厳寺唐門
豊臣秀頼が京都 東山の豊国廟から移築。唐破風は桃山時代を象徴する造り。背後には観音堂が続けて建てられている。
宝厳寺船廊下
宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿を結んでいる。豊臣秀吉の御座舟「日本丸」の船櫓を利用して建てたと伝えられている
国宝 都久夫須麻神社本殿
この社殿は、明治初期の神仏分離令で、神社に明け渡すまでは宝厳寺の本堂であった建物で、伏見城内の「日暮御殿」を移築したもの。桃山文化の代表的な建築物。

国宝 都久夫須麻神社本殿の説明
(現地案内板)
本殿は、桁行五間梁間四間の入母屋造の桧皮葺、前後に軒唐破風をつけ、周囲に庇をめぐらした建築物です。
慶長7年(1602)の豊臣秀頼よる復興の際に、元の本殿の外廻りに京都から移した建物を入れ込んだ特殊な構造です。
両開き桟唐戸、壁、内法長押(なげし)上には、菊や牡丹等の極彩色の彫刻が施されています。内部の柱・長押等は梨子地で蒔絵が施されています。
折上格天井は、菊・松・梅・桜・楓等の金地著色画で、襖の草花図とともに桃山時代後期の日本画壇の中心であった狩野光信の筆と伝えられている。

宝厳寺本堂(弁才天堂)
宝厳寺は聖武天皇の勅願により、724年に行基が開いた寺で、1300年近い歴史がある。豊臣秀吉との繋がりも強い。
明治の「神仏分離令」が出されたときに、県より宝厳寺を廃寺として神社に改めよとの命令が下った。しかし、信者の強い要望によって本堂を神社に明け渡すことで廃寺は免れることが出来た。
本堂を明け渡したために本尊である大弁財天は昭和17年に現在の本堂が完成するまでの約70年間、仮安置の状態が続いた。完成した本堂は、平安時代後期様式の総檜皮葺きとなっている。
また、本尊の弁財天は江ノ島、宮島と並んで日本三弁財天に数えられる。

宝厳寺三重塔
本堂正面の石段を登ったところに三重塔と宝物殿がある。三重塔は、1484年に建立され、江戸時代初頭に落雷で焼失。約350年間にわたって不在であったが平成12年(2000年)に再建された
宝厳寺 モチの木 宝物殿 天狗堂
モチの木 (樹齢約400年)
片桐且元が国宝観音堂の普請奉行として来島の時に手植した記念樹。三重塔の前にある。
(現地案内板より)
宝物殿
「法華経序品(竹生島経)」 国宝、「不動明王」 滋賀県指定重要文化財、 弘法大師直筆「新請来目録」国指定重要文化財などの寺宝を展示。
     
奉安殿 鳥居 八大龍王拝所
この鳥居へ向かってかわらけを投げる。
弘法大師庵跡 船廊下の木組み 黒龍堂
弘法大師庵跡
宝亀5年讃岐の国に生をお受けになった弘法大師は延暦23年唐に渡られ帰国後大同2年仲春に竹生島神社に参拝され此の所に庵を建て修行されました。
此の庵を明星跡として聖地としております。                     宮司
(現地案内板より)

船廊下の下の木組みはまるで清水の舞台のそれを思わせる。

黒龍堂
黒龍は、八大龍王の一尊。龍王は大海に住み雨を降らす神である。また、釈尊の誕生時には歓喜の清浄水(清めの雨)を降らせたと伝えられ、修行者の修道無難、道念増進の守護神でもある。
隣に立つ大木は、黒龍が、湖より昇って来ると伝えられる神木である。黒龍堂は、昭和45年大阪、岡橋氏により建立された。
近年、堂の傷みが進んでいたが、平成7年解脱会有志の方々により修繕、合わせて鳥居が再建された。
             平成7年3月吉日 竹生島宝厳寺
(現地案内板より)
本坊 竹生島港 唐門と宝物殿
「琵琶湖周航の歌」碑 都久夫須麻神社遠景 竹生島
建碑の由来
琵琶湖周航は、第3高等学校に伝わる漕艇の行事であるが、明治26年4月、新艇三隻に分乗して初めて周航を行って以来、年と共に盛んになり、ボートの選手のみでなく、他の運動部の
者も、広く一般の学生も、誰もがクルーを作って湖上に漕ぎ出すようになったものである。
或時は力漕に力漕を重ね、練習第一の遠漕に汗を流し、或時は湖上の風物に詩情を養い、史跡名勝を訪ね、人情を探り漕友互いに苦楽を共にして数日の周航に多感の青春を謳歌した。
偶々大正7年、三高グループの整調小口太郎等が作詞したこの歌は、こうした周航のムードがそのまま歌となったもので吉田千秋作曲のメロディの美しさと相俟って、学生から広く全国民
の愛唱する処となり、若者の歌、琵琶湖の賛歌として、永く歌い継がれて来た。
茲に、琵琶湖の歴史を思い周航歌の一節を碑に刻んで、ゆかりの聖地竹生島に建て、以って湖国の恵みを偲ぶよすがとする次第である。
                昭和62年5月  びわ町  寄贈 琵琶湖汽船株式会社 百周年記念事業事務局
湖上から見た都久夫須麻神社
かわらけを投げる鳥居・拝所が正面に見える。左の屋根は宝厳寺 観音堂。右は常行殿。
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