国宝 彦根城 GoogleMap



彦根城
この彦根城は、慶長5年(1600年)井伊直政が、関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功をたて、この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601年)
上野の国高崎城から佐和山城に移ってきた。
その後直政は城を彦根山に移そうと考えたが実現せず病死し、慶長8年(1603年)その子直継が父直政の遺志をうけて彦根城の築城に着手した。時の将軍家康は特に奉行を差し向け
7ヶ国12大名にも応援させ、元和8年(1622年)現在の彦根城が完成、築城をはじめてから実に20年の年月を要したもので、城地面積約0.25ku(75,800余坪)周囲約4km(1里)、高さ約
50メートルの彦根山に築城した平山城である。
昭和26年(1951年)に彦根天守閣をはじめ天秤櫓・太鼓門櫓・三重櫓・佐和口多聞櫓を重要文化財に指定され、さらに同27年(1952年)には天守閣を国宝に、同31年(1956年)には彦根
城一帯を特別史跡に、同38年(1963年)に馬屋を重要文化財にそれぞれ指定されている。また、新日本観光地百選の一つとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」として知られている。
                                                                                                                                             現地案内板より



 

表門橋 二の丸佐和口多聞櫓 馬屋(うまや)
馬屋
馬屋(うまや)は、二の丸佐和口多聞櫓(にのまるさわぐちたもんやぐら)のすぐ北側に位置するL字形をした建物で、北側に潜戸(くぐりど)をつけた門があり、内部には、21もの馬立場(うまたてば)・
馬繋場(うまつなぎば)が設けられ、東端には馬を管理する小部屋が付けられています。
屋根は、?葺(こけらぶき)で、壁は、上を大壁とし下を簓子下見板張(ささらこしたみいたばり)となっています。
この馬屋には、常時藩主の馬十数頭がつながれていました。
建立年代は明らかではありませんが、元禄年代(1688〜1703)頃と考えられています。この馬屋は、全国の近世城郭内に残る大規模なものとして、他に例がなく昭和38年7月1日に重要文化財に
指定されています。
(現地案内板より)
二の丸佐和口多聞櫓と馬屋 彦根城博物館 彦根城表御殿
時報鐘及び聴鐘庵 太鼓門櫓(重要文化財) 本丸跡と天守閣(詳細説明有)
西の丸・琵琶湖方面(着見台より) 長浜方面(着見台より) 伊吹山方面(着見台より)
着見台(つきみだい)(着見櫓跡)
眺望の良い当地には、かって9.8メートル(5間)に10.6メートル(6間)の二階櫓があり着見台と称していました。眼下の城門佐和口及び京橋口の看視に当たるとともに、遠く中山道から分岐して佐和山
を越え、城下に入る切通道(彦根道)を望みました。明治初年に櫓は取り壊され、今日では展望台として多くの人々の目を楽しませています。
(現地案内板より)
彦根駅方面(着見台より) 佐和山城跡(着見台より)
西の丸 西の丸三重櫓 天守閣石垣
天守閣石垣 黒門からの登城道 黒門側内堀
槻御殿(けやきごてん) 槻御殿(けやきごてん) 八景亭
玄宮園入口 玄宮園(詳細説明有) 花の生涯記念碑
花の生涯記念碑
世情騒然たる幕末に、開国の英断を下した大老井伊直弼の波乱に富んだ一生を画いた小説「花の生涯」(作者 舟橋聖一)が発表され、人々に深い感銘を与え、映画・演劇として、また、特にNHK
テレビドラマを通じて世の絶賛を博し、「花の生涯」ブームをもたらした、このことを記念して昭和39年10月25日に建立されたものである。
中央の四角い石を大老井伊直弼にみなし、左右の低い石を長野主膳と村山たか女とし、キラキラと輝く砂は雪をあらわし、波乱にみちた「花の生涯」を物語っている。
(現地案内板より)
二季咲桜
昭和47年4月に水戸市(友好都市)より寄贈されたもので冬(11月から1月)と春(4月から5月)の年2回開花します。
(現地案内板より)
二季咲桜 内堀(表門橋より) 旧西郷屋敷長屋門
旧西郷屋敷長屋門 附袖塀 堀及び高麗門 彦根市指定文化財 昭和48年4月28日指定
内濠と中濠とに囲まれたこの付近一帯は、上級武士の屋敷があったところで、この位置は、江戸時代後期の天保7年(1836)に作成された彦根御城下惣絵図によれば、西郷伊豫(3,500石老中)屋敷
にあたります。
この長屋門は老朽化に伴い平成4年度から平成7年度にかけて大阪高等裁判所によって解体修理が実施されました。
修理中に発見された墨書により、この長屋門は寛保2年(1742)に西隣の庵原家で建てられたものを、明治16年(1883)に裁判所が整備されることに伴い、現在の場所である旧西郷屋敷地内に移築
されたものであろうと考えられます。
これだけ大きな長屋門はほかに例が少なく、城と濠と長屋門、それに続く土塀から昔のおもかげを今も伝えています。
この長屋門の構造・形式
桁行43.9メートル 梁間5.0メートル 一重 入母屋造 背面庇附き 桟瓦葺
彦根市教育委員会
(現地案内板より)
夢京橋キャッスルロード からくり時計 彦根縁起
彦根縁起(神代〜現代)
「古事記」の冒頭には、太陽を神とする天照大御神(伊勢神宮)が、国生みの神である伊邪那岐の命・伊邪那美の命(多賀大社)の御子として生まれたと記されており、また天照大御神の御子である
天津日子根(アマツヒコネ)の命と活津日子根(イクツヒコネ)の命の兄弟神が、悠久の昔にこの彦根の地に鎮座して国造りをしたとするのが、この地方に伝承されている神話であります。
奈良時代、日本最古の法典「大宝律令」を完成させた藤原不比等とその子藤原房前が、永年彦根の地を治めたことにより、平城京にも劣らぬ地方都市がこの彦根の地に造営されていたのであります。
平安時代中期、末法思想の広がりと共に、全国各地に観音信仰が生まれ、現在彦根城のある彦根山(彦根寺)には、金の亀に乗った、一寸八分(約・八センチメートル)の観音様がおられたことから
別名を金亀山とも呼び、後に築城された彦根城は、金亀城とも呼ばれております。また、当時、霊験あらたかな観音霊場として、彦根山参詣ブームを巻き起こし、京都方面からの参詣道は、巡礼街
道と呼ばれ、現在も通称として残り往時を偲ばせております。江戸時代、藤原鎌足の子孫である井伊家が彦根に入り(入府)、初代彦根藩主となった井伊直政公(騎乗姿)は、現在の静岡県引佐町
井伊谷にて生を受け、十五歳で徳川家康に見出されて以降、武田勝頼との戦いを初陣に、関ヶ原の戦いなどに数々の大功を立て、慶長六年(1601年)、十八万石を賜わって佐和山城主となりますが、
関ヶ原の戦いで島津軍から受けた鉄砲傷がもとで四十一歳の若さで亡くなりました。彦根城と城下町は、直継公(途中分家)から二代藩主直孝公にかけ、二十年の歳月を経て完成したのであります
が、井伊家中興の祖と言われる直孝公の大坂冬の陣・夏の陣の大功により三十五万石となり、これより以降、近江の国の政治・経済・文化の中心地として栄えることとなったのであります。また、東京
世田谷の豪徳寺が井伊家の菩提寺となったのも直孝公の時からであります。彦根の地は誰れ言うともなく「一に大老・二に佐和山殿」として、井伊直弼公と石田三成公を、彦根が輩出した偉人として
市民の敬慕となり象徴となっているのであります。井伊家が彦根の町を開き、平成十三年(2001年)が、丁度四百年の年となり、「彦根開府四百年記念事業の一つとして、彦根市民有志の手により、本
石碑が建立されたのであります。
(石碑より)
彦根城訪問時丁度NHK木曜時代劇「鞍馬天狗」の撮影をしており野村万斎さんの姿を拝見することが出来た。2008年1月から放映とのこと。