広兼邸
     
   広兼邸   広兼邸 広兼邸 庭園  
  広兼邸
大野呂の庄屋をつとめていた広兼邸は、享和文化の頃(1801年〜1817年)2代目元治が小泉銅山を経営し、合わせて弁柄の製造により産をなして、今みられるお城のような邸宅を建てました。
この武者返しのような石垣は、現在約半分が土に覆われていますが、石積の見事さは他に類を見ないほどです。
また、向いの山には花木を植え込んだ衆楽園と称する大きな庭園があり、当時の豪奢な生活をしのばせています。
           環境庁・岡山県
 
 
     
   現地案内板   
        
       
  広兼邸 水琴屈 広兼邸 不寝番部屋