百間川遺跡 GoogleMap
百間川遺跡復元展示場所付近の百間川
中世の橋跡(12世紀末〜16世紀中頃)
この石組みは、ここから百間川を約2km下った地点(現在の米田橋のすぐかみ)で見つかった中世の橋の基礎部分です。石の中に並んでいる丸太は橋脚です。
推定全長40m、幅約2.3mの大きな橋です。最初に橋が架けられたのは今から約800年前の鎌倉時代初め頃ですが、当時の橋は橋脚を打ち込んだだけの簡単なものでした。
それ以後、壊れる度に補修や改修を繰り返しています。
ここに移築したものはその最後の段階(室町時代末頃)の姿です。大量の石と木材を使用した頑丈な基礎を新たに構築し、橋の倒壊を防いでいます。
このような基礎構造は全国的にも珍しく、土木工学の点からも注目されています。
この橋はその位置や以前の調査から、港と内陸部を結ぶ重要な橋であったと考えられます。多くの、そして様々な人や荷物がこの橋を渡っていったことでしょう。

(現地案内板より)
竪穴住居C
この住居は百間川原尾島遺跡で発見したものを復元しました。
古墳時代前期に作られたもので、4本柱で建てられています
が、床面の中央には火を使用した跡と小石を敷きつめている
所がありました。
竪穴住居D
この住居は百間川原尾島遺跡で発見されたものを復元しました。
古墳時代後期に作られたもので、4本柱で建てられていますが、
壁の中央にはカマドが作られています。
竪穴住居E
この住居は百間川原尾島遺跡で発見されたものを復元しました。
住居は火災を受けていましたが、弥生時代後期に作られたもの
です。今までの住居が4本柱であるのに対して、この住居は8本柱
で建てられた大型の竪穴住居です。
百間川遺跡群の竪穴住居復元について
百間川内には、原尾島(はらおじま)遺跡、沢田(さわだ)遺跡、兼基(かねもと)遺跡、今谷(いまだに)遺跡、米田(よねだ)遺跡などが点在しており、これらの遺跡を百間川遺跡群と
総称しています。
これらの遺跡からは弥生時代、古墳時代の竪穴住居が多数発見されていますが、この百間川緑地公園内に復元された竪穴住居はその中でも保存状態が良いものです。
竪穴住居は、地面を掘って、その底面を平らにして床面をつくり、その上に屋根をかけた構造となっています。
床面には炉、カマド、柱穴などがあります。弥生時代の竪穴住居の形は円形や隅を丸くした方形が一般的ですが、古墳時代には方形に変化します。
また、弥生時代の竪穴住居にはカマドがつくられていませんが、古墳時代になると、屋内の壁にカマドが取り付けられるようになります。

(以上現地案内板より)