吉備路(きびじ) Along the Kibi Road 1 GoogleMap     
             
      
     
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     吉備路風土記の丘(詳細有り)  
     
   吉備路    吉備津神社(詳細有り)  
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  吉備路(きびじ)
「吉備路」、この言葉は、私たち岡山県に住むものにとって、何か郷愁をそそると共に、この自然豊かな郷土を自慢したくなる言葉として響く。
なだらかな起伏、四季折々に美しい表情を見せる、ここ岡山市西部から総社市にかけて地域は、2-3世紀に大和朝廷に匹敵する勢力を誇った古代吉備王国の中心であった。
吉備の国は、その力が、大和や出雲の国などと並び、余りにも強大であったため、それを恐れた当時の為政者により、「備前」「備中」「備後」「美作」の四つに分断されたといわれている。
また、「路」という言葉から連想されるとおり、東西を結ぶ交通の要衝であったと考えられるところでもある。その地域が、古い歴史と豊かな風土を開発により破壊されること無く保存されてきているのである。
その豊かで、広大な吉備の国の証として、この地域には、豪族の古墳ー造山古墳、作山古墳、こうもり塚古墳や城跡ー鬼ノ城、そして吉備信仰の中心としての神社ー吉備津神社、寺ー備中国分寺・国分尼寺跡等が点在している。
 
備中国分寺(吉備路を代表する風景)
なだらかな起伏、早春の菜の花をはじめとし、れんげ、桜、桃など四季折々に美しい表情を見せる丘陵に建つ五重塔。
ここ備中国分寺跡周辺は、吉備津神社、吉備津彦神社のを山裾に控える吉備の中山と共に吉備路の中心をなすところである。
吉備津神社
古代には吉備国の、中世以降は備中国で第一の社格を有した大社。本殿は、比翼入母屋造という前後に棟を二つ並べる独特の構造をしており、拝殿とともに国宝に指定されている。
境内の御釜殿では「雨月物語」で知られる鳴釜神事が、また正月には古式ゆかしい矢立行事が今も行われている。
(現地案内板を参考に作成)
       
吉備の中山(詳細有り) 吉備津彦神社(詳細有り) 宝福寺(詳細有り)
吉備の中山(吉備の中心)
吉備の中山は、遠い昔この地方が吉備の国と呼ばれていた頃、その中心に位置していたことからその名がついたと言われている。
温暖な気候と肥沃な土地、豊かな自然に恵まれた吉備の国は、大和の国にも対抗し得る力をもったと考えられ、それがために後に、備前・備中・備後さらには美作に分国されることになる。
この時、備前と備中は、太古より神奈備山(かむなびやま)として崇めていた「吉備の中山」を二つに分ける形で国境を定めた。
そして備前も備中も、その国にとって最も大切な神社の一宮を中山の麓に置いた。それが吉備津神社と吉備津彦神社である。
国府から遠く離れたこの地に一宮があるということは、吉備の中山に対する崇拝が如何に高かったかを如実に物語っていると言える。
(現地案内板を参考に作成)
吉備津彦神社
(主祭神)大吉備津彦命
吉備中山の東麓に鎮座、備前国の一宮として広く信仰を集めており、江戸時代中期の元禄10年(1697)、藩主池田綱政によって再建された三間社流造、檜皮葺きの流麗で清楚な本殿は、
厳粛な雰囲気に満ちている。
古式豊な地泉回遊式庭園を舞台に、室町時代から続けられているお田植祭(岡山県指定重要無形民俗文化財)が8月に、また10月には流鏑馬(やぶさめ)の神事が行なわれる。                                                            
(現地案内板を参考に作成)
宝福寺
臨済宗東福寺派の寺院で、画聖雪舟ゆかりの禅寺である。室町末期の備中兵乱で三重塔を残して消失したが、江戸時代以降七堂伽藍は漸次復興された。
境内には山門、仏殿、三重塔をはじめ、経蔵、庫裏、方丈、書院、禅堂、鐘楼堂、開山堂などが配置され、禅宗様式の重厚な構成を示している。
絵に心を奪われていた雪舟をこらしめるため住職が柱に縛ったところ、泣いた涙でネズミの絵を足で描いたという伝説で有名である。
(岡山県観光便覧より)
矢喰宮(詳細有り) 鯉喰神社(詳細有り) 王墓の丘史跡公園(詳細有り)
矢喰宮
御祭神 吉備津武彦命 後に天満宮を合祀したので矢喰神社又は矢喰天満宮と呼んでいる。創立年代不詳。
鬼ノ城に住む温羅と、これを退治しに派遣された吉備津彦命が戦った時、命の射掛けた矢が温羅の矢と空中でかみ合って落ちた。その矢を祀っているといわれている。
鯉喰神社
吉備の国平定のため吉備津彦命が派遣された時、この地方で村人を苦しめていた賊、温羅との次のような戦いの伝説からこの名がついた。昔の人達の創造力の豊かさが窺われる。
「吉備津彦命の放った2本の矢の内の1本が温羅の左眼を射抜き、血吸川を真っ赤に染めた、そして温羅は雉と化して山中に逃れたが、命は鷹となってこれを追った。
温羅はさらに鯉となって血吸川に逃れる、命は鵜となって鯉を捕えた」
王墓の丘史跡公園
王墓の丘史跡公園は、王墓山(おうぼさん)丘陵に残された貴重な遺跡群を広域的に保存・公開するため約6.5ヘクタールの区域について整備を行ったものである。
公園は、楯築(たてつき)地区・日畑赤井堂地区・王墓山地区の三つに分かれている。
吉備地方の歴史を考える上で欠くことのできない重要な遺跡であり、永く後世に伝えていかなけれなならない。
(いずれも現地案内板を参考に作成)
鬼ノ城(詳細有り) 岩屋(詳細有り) 砂川公園(詳細有り)
  鬼城山(鬼ノ城)
古代山城 高さ6mにも及ぶ土塁や石塁が約3kmにわたってめぐらされた古代の山城、実物大で復元された西門をはじめ、城内からの排水施設である
水門、兵糧を蓄えた礎石建物跡などがある。また、桃太郎の元となった「温羅伝説」の地として知られている。 総社市奥坂 
(岡山県観光便覧)
岩屋
鬼の城(きのじょう)、新山とともに、平安時代には、山上仏教の中心地として栄えたといわれているが、いろんな学説等がありはっきりしない。
周囲のたたずまいや巨大な花崗岩でできた岩穴を目の前にして、吉備津彦命の温羅(うら)退治をはじめとする数々の伝説を思いうかべるとき、岩屋は、いまもなお緑と伝説の地といえる。                                                                        
(現地案内板より)
砂川公園・砂川の森
砂川公園では、豊かな水や森の中で、太陽の光を浴びながら自然を満喫でき、また、その奥にある砂川の森では、バードウォッチング、野山散策を楽しむことが出来る。
近くには、童話、「桃太郎」の元として語りづがれている、「吉備津彦と温羅との伝説」の舞台となった「鬼ノ城」がある。
(総社市発行カタログを参考に作成)
 
高松城水攻め跡(詳細有り) 神道山(詳細有り) 足守(詳細有り)
高松城水攻め跡
今から約400年前の天正10年(1582)織田信長の命を受けた羽柴秀吉が、沼沢や深田に囲まれた平城である備中高松城を水攻めをした時、城主、清水宗治は、城兵の命を助けという条件を飲み、自刃した。京都本能寺で信長が明智光秀に討たれたことは伏せられていた。
(現地案内板を参考に作成)
神道山(黒住教本部)
黒住宗忠を教祖とする神道教団で、毎朝お日の出を拝む日拝とともに、初詣、4月の教祖大祭、6月30日の大祓大祭、12月22日の冬至大祭、12月22日の冬至大祭などには全国からの参拝者でたいへんにぎわっている。                                                   
(現地案内板より)
足守(地区)の街並み(吉備路の一部)
豊臣秀吉の正室ねねの実兄を藩祖とする木下家2万5千石の陣屋町。保存地区は、陣屋町のうちの町人町にあたる。足守の特徴として、格子が良好に保存されていることがあげられる。
千本格子や切子格子など端正な格子が取り付けられ、生活の中から生み出された比例の美学を楽しむことが出来る。
間口の広い、平入りの民家が並ぶ、静かな落ち着いた街並みである。
(岡山県観光便覧)
最上稲荷・奥の院(詳細有り) 温羅伝説
最上稲荷
最上稲荷の歴史は、天平勝宝(751)に報恩大師が八畳岩でご本尊の最上位経王大菩薩を感得されたことに始まる。
中世の戦乱時、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇消失の憂き目にあったが、慶長6年(1601)、日円聖人によって再興、「稲荷山妙教寺」と寺号を改め、以来、
法華経で護持されたお稲荷さんとして法灯を継承。
(現地案内板より)

「古代吉備王国、桃太郎伝説(温羅伝説)を訪ねて」
比翼入り母屋造りの本殿と拝殿が国宝に指定されている吉備津神社、境内には全長398mに及ぶ美しい回廊や釜の鳴る音で吉凶を占う鳴る釜神事が行われている御釜殿などがあります。
さらにこの神社の祭神、吉備津彦は、皆さんもよくご存知の桃太郎のモデルとして有名です。

「悪事を働いて人々を困ら せていた、温羅という鬼を朝廷から派遣された吉備津彦命が犬飼部の犬飼健命、鳥飼部の留玉命、猿飼部の楽々森命という3人の部下を率いて退治した」 これが
「吉備津彦命の温羅退治」神話のあらましですが、桃太郎の鬼退治の昔話と共通点が多い上、吉備路一帯には、温羅が城を構えたと言う、鬼の城、吉備津彦の矢と温羅の投げた岩が絡み合い落ちたとされる場所にある矢喰宮、鯉に姿を変えた温羅が鵜と化した吉備津彦に捕らえられた鯉喰神社といったゆかりの史跡も数多く残されていること、吉備団子や桃が古くから岡山の物産品であることから、桃太郎伝説のルーツと言われています。

また、吉備路はかって吉備王国の中心として栄え、以来数々の歴史の舞台となってきました。全国で4番目の大きさを誇る造山古墳、総高34.3mの五重塔が美しい備中国分寺、そして羽柴秀吉の奇策、水攻めで有名な高松城祉など、古代から中世、近世に至るいくつもの史跡をみることができます。
「古代吉備王国、桃太郎伝説を訪ねて」は、この吉備路一帯に点在するスポットを訪ね、歴史ロマンを体感するルートです。
周辺地図 吉備津・吉備津彦神社周辺地図MapFan 備中国分寺周辺

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